033:諦めない
身体が軽い。全身傷だらけなのに痛みで動きを制限されずに済んでいる。
ダフクリンの荒々しい暴虐のような剣閃を、半歩下がり、身体を反らし、翡翠剣で軌道を変え、間合いに踏み込むことで全て捌けている。
「くそっ! くそくそくそっ! くそったれが! なんで当たらねぇ! なんで躱せる! 第一階層の探索者如きが!」
「フッ!」
「ぐぅ! チッ!」
大振りの長剣を掠めるようにして、ダフクリンの身体を斬る。薄くとも浅くとも、体力ステータスがどれだけ高くても、人間の血の量には限界がある。このまま削っていけば、ダフクリンは近いうちに倒れることは見えた。
だが。
「ううぉおおらああっ!」
「ッ!?」
突如ダフクリンの振り上げた腕が加速した。淡い橙色の明滅の残光が腕の軌道上に残る。いままで見せて来なかった身体強化のスキルだ。
これはまずい。回避が間に合わない。完全に虚を突かれた。
「くっ!」
咄嗟に掲げられた翡翠剣で斜め受け太刀し、力を殺す。だけど傾きが甘い。砕かれる。反動が強い。だが、肩を掠めながらも軌道は変えられた。
振り下ろされた一閃。その破壊力によって爆ぜた地面に、俺は弾かれる。追撃が来る。早く体勢を立て直して――違う!
ダフクリンの元へ走った俺の眼前にモンスターと戦うダフクリンの仲間たちが割って入った。
さっきの一撃は俺と距離を取るため。そして、タイミングを計っていた。確実にアレを決めるために!
「追い込まれたから使う羽目になるとは思わなかったぜ。だが、終いだ!」
蒼い鞘から引き抜かれた波状剣。その刃が根本から赤く染まっていく。
俺は翡翠剣を消した。腰を下ろし、右腕を腰へ。イメージはできている。俺の視界。見える全てが間合いであり、武器の金型だ。
「何をする気か知らねぇがもう遅えぇ! 【フラムヴェルジュ・ボルテ】――」
「――フッ!」
モンスターとダフクリンの手下たちの戦う合間。そこに見えた一筋の空間へ向け、俺は腕を振るった。
構築は一瞬。
本物の居合とは程遠い形だけの真似事。
けれど、腕が上がり、空を握る手の直線状とダフクリンの突き出す剣とが重なった刹那。
十数Mのただの棒が瞬時に形成される。ただの翡翠の丸い棒である。
だがそれが、ダフクリンの波状剣を打ち上げる。
「な、にぃぃいいいいっ!?」
天高く舞うフラムヴェルジュは沈黙を保っている。それは俺とダフクリンの中央真ん中。モンスターと探索者の戦う戦場の頭上だ。
俺は駆ける。ダフクリンも同時に駆けだしていた。俺とダフクリンの決着はあのアーティファクトにかかっている。取りこぼせば、盤面を覆される。それほどの武器だ。
「畜生がッ!」
「っ!?」
ダフクリンの脚が淡い橙色に明滅する。一瞬の身体強化。腕だけじゃないのか!
その巨体に似合わぬ力強い跳躍と同時に、俺は探索者に馬乗りになるモンスターを踏み台に跳んだ。
翡翠剣での空中戦はダフクリンの長剣に阻まれて通らない。下降に転じたフラムヴェルジュの取り合いだ。思い切り手を伸ばす。身長差は歴然。けど。
柄頭を握った。
「残念だったな!」
その上をダフクリンが握っていた。
力の入り方は一目瞭然。確実にアーティファクトはダフクリンの手に渡る。
「【フラムヴェルジュ】は俺のモンだ!」
「ああ。俺は触るだけで良かったんだ」
「あ?」
突如フラムヴェルジュが爆ぜた。アーティファクトの発動。否、暴発。荒れ狂う炎の暴風が天蓋を薙ぎ払い、土煙を撒き散らしながら、俺たちを地上へ叩き落とす。
お互い受け身をまともに取れず墜落し、すぐに立ち上がれない。
「がはっ、ごほっ、て、てめぇなにをしやがった」
「触れはしたからな。魔力をたっぷり注がせてもらった」
「ふざけんな! あれは第三階層のアーティファクトだお前が扱えるわけ、っ!?」
受け身は互いに取れなかった。だが、俺は落ちること前提で備えていた。
その僅差で俺のほうがより早く立ち上がれた。
俺は降り注ぐ火の粉を掻き分け、ダフクリンに肉薄する。翡翠剣と波状剣がかち合い、俺とダフクリンお互いに激痛に顔をしかめた。
だが、すぐに俺は口角を釣りあげて笑う。
「くそっ! 一旦鞘に……なっ! 鞘がねぇ!?」
「やっぱり一度使ったらクールタイムが必要になるんだな! 熱くてまともに握れねぇんだろそれ!」
アーティファクトの使用にはリスクがある。【隻影】のじいさんもよく言っていた。
ならダフクリンがフラムヴェルジュの連続使用をしなかった理由もわかる。
使ったあとどうしていたかも。
「いつの間にやりやがった!?」
「言うかよ!」
空中戦の直後、フラムヴェルジュが発動した刹那。
ダフクリンは危機察知能力が高い。たとえフラムヴェルジュの暴発に気が逸らされても、直接狙えば反応されかねない。
だから狙いをダフクリンではなく鞘にした。
フラムヴェルジュを冷やさせないために。
「ぐっ! てめぇの剣も焼き砕かれてんじゃあねぇか!」
「だったら我慢勝負だ! 俺が剣を出せなくなるか、お前がそれを握れなくなるかのな!」
翡翠剣は砕かれ、反動で胸が締め付けられる。体内のどこかで悲鳴を上げて血管が千切れる音が聞こえる。けれど退かない。逃げない。
二度と諦めないともう誓ったから。俺の後ろにはエッセがいる。守りたい人がいる。
「お前なんかに二度とエッセを傷つけさせてたまるか!」
フラムヴェルジュでの受け太刀。刃が交わる瞬きにも満たぬ間。翡翠剣は粒子へと変わる。
来ない衝撃に握りの甘くなったダフクリンの腕を蹴り上げ、フラムヴェルジュが空を舞った。もう取りに行く必要はない。これが最後の一太刀。
「うぉおおおおおおおおおっ!」
「くそったれぇえええええっ!」
蹴り上げた脚にそのまま力を込め、全力の一歩を踏みぬくとともに、両手で握った翡翠剣をダフクリンへ振り下ろす。
だが。
「!?」
「惜しかったな!」
肉を断つ音は響かず、甲高い鉄の音が空を裂いて鳴る。
長剣が俺の翡翠剣を阻む。ダフクリンのものじゃないもっと無骨なものだった。
さっきモンスターに襲われていた奴のものか!
翡翠剣の切っ先がダフクリンに届かない。ガチガチと刃同士が全力で食い合っていた。
力は拮抗している。あと少しなのに……!
「ひび割れてきたな! いいぜ消して出して俺を斬ってみろ! その前にお前の首をぶった斬ってやる!」
ピシピシと音を立てて亀裂が走っていく。奴の刃が俺の翡翠剣に沈みつつある。手にその振動が伝わる。もう砕け散るのがわかる。
限界だ。連続で翡翠剣を砕かれたせいでもう意識がもたない。次に砕かれれば俺の意識は地の底に落ちる。
だけどその前に消して再形成すれば、刺し違えることにはなったとしてもダフクリンは倒せる。もうエッセが奴に脅かされることはない。守り切れる。
「っ!」
命が惜しくないのは、あの日からずっとそうだ。
俺はずっとエッセを、シェフィを助けたくてここまで来たんだから!
朦朧としかかる意識の中、翡翠剣を消そうとした。
そのときだった。
「リムーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
声が聞こえた。
彼女の声が聞こえた。
俺を繋ぎ留める、諦めるなという声が。
……。
ああ。
そうだ。
そうだとも。
俺は彼女を迎えに行かないといけない。助けるだけじゃ、ダメだ!
「――――」
深く意識が沈んだ。気絶した? 死んだ? どちらでもない。
意識があるまま、俺は見た。
暗く深淵のソラに無限に浮かぶ泡沫。それらが弾けては生まれ、枝分かれし無限に広がる世界を。
そして、光を見た。それは手を伸ばさずともすでに手の内にあった。
まるで最初からいつでも、捜さずともそこにあったかのように。
光は輪郭を帯び始め、翡翠の粒子が解くように溶けて、拡散し流体し、あらわになる。
剣が握られていた。
「な、んだと?」
力を込めて柄を握る。この一刀は砕けるものではないと確信して。
そして、亀裂の走る翡翠剣が弾けた。
「なんで、なんでてめぇが!」
拡散した粒子の内側から、純白に煌めく刀身が出現する。
これまでの翡翠剣とは違う、明らかな実体として。
刀身に彫り込まれた【
「なんでてめぇが【センテイケン】』を!?」
「あぁああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
全身全霊を以て振り切った白剣は、ダフクリンの長剣を両断し、奴の袈裟を断ち切った。
一瞬だった。けれど長い長い時間、続けていたように思えた。
ダフクリンが折られた剣を振り上げる。
「……くそ、ったれが」
しかし、できたのは悪態をつくことだけで、白目を剥くと仰向けに倒れた。
動かない。もう襲ってくる様子はない。
勝った。勝てた。勝てたんだ。
俺は生き残れたんだ。
そう安心した刹那。
「ぐっ!?」
全身をねじ切られそうな激痛が爪先から頭のてっぺんまで貫いた。
内臓をぐちゃぐちゃにかき混ぜられて雑巾のように絞られるような筆舌にし難い痛み。
己の存在全てが肉体から弾き飛ばされて、そこら中に撒き散らされて世界に溶けて消えてしまいそう絶望的な感覚。
耐え切れない。
「がはっ、あ、がっぐ、ぎぎぎっ、うあああああああああああああああああっ!」
原因。原因は純白の剣。実体化した剣。俺の魔力、俺の力じゃ過ぎたものだったんだ。翡翠剣を砕かれたときの比でない反動が、形成しただけで襲い掛かっている。
俺は純白の剣を握る。掌から血が出るほど握って内心で叫ぶ。
戻れ、戻れ、戻れ戻れ戻れ。魔力に戻れ! 俺の中に戻れ!!
戻らない。消えてくれない。まずい、死――。
「リム!」
背後から誰かに抱きすくめられた。
柔らかな肌が密着して、まだ煤汚れながらも再生した触手たちが俺の手を足を包む。
広がりすぎた感覚が、弾けていく自分が身体の内側に戻っていく気がした。痛みが引いていく。
そう思った瞬間、実体化していたその剣は翡翠の粒子にほどけて俺の身体に戻っていった。
「はぁっ、はぁっ、ん、はぁ、あああああああああ……」
「り、リム!」
俺はもう立っていられず、けれどエッセも俺を支えるほどの力はなく、巻き込む形で一緒に倒れる。
上にならずに済んだのは最後の意地。背中は痛かったけど、エッセを押し倒すよりは全然いい。
「ああ、リムっ! リム! リムリム!」
泣くのか笑うのか、悲しいのか嬉しいのか、どっちかにして欲しいんだけどな。
まぁ気持ちは理解できる。俺もまだ気持ちの整理がつかない。何を言えばいいのかも。
「…………」
エッセは手で俺の頬を何度も触る。俺が本当にいるか確かめるように。
触手が俺の腕に絡みつく。二度と離さないとでも言いたげに。
どっちの手も傷だらけでボロボロで、この前までの吸い付くような柔らかい感触なんてなくて、でも愛おしくて、ただこうしているだけで心が安らぐ気がした。
「五年も待たせてごめん」
エッセは俺の胸に顔を埋めて、より強く触手を絡めてくる。そして顔を上げて、涙ぐみながら微笑んでくれた。
「ううん。ありがとう。迎えに来てくれて。本当はずっと、ずっとずっと、リムに会いたかった。酷いこと言ってごめんなさい」
「俺は…………俺はまだお前に何をしてやれるかわからない」
重い腕を上げて、エッセの頬を撫でる。くすぐったそうに目は細められて、唇から覗くギザギザの歯が弛緩するように開いた。
「俺は弱くて、頼りなくて、何にもわかってなくて……でも、エッセの声が聞こえて、お前のおかげで諦めたくないって思えた。だから、お前の傍にいさせて欲しい」
「……私は帝国の皇女だから責任があるの。いまも世界を悲しくしてる祖国を、たとえ命に代えても変えなくちゃいけない使命が。でも……」
鎌首をもたげる触手と一緒に、エッセは頷いてくれる。
「私も。一緒にいたい。いたいよ! お願い……リム。ずっと傍にいて。嬉しいときも、辛いときも、楽しいときだって、悲しいときだって、ずっとずっと傍に! あなたがいれば、私はきっと諦めないでいられるから!」
竜胆の花飾りが彼女の笑顔を取り戻して咲き誇り、触手とともに踊る。
ずっと見たかった。
導になってくれたこの光を。生きる指針となってくれた笑顔を。
守れるなら、見続けられるなら。
俺も諦めないでいられる。
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