032:無明の刀身


「てめえっ、出せるのは一本だけじゃ、なかったのか……!」

「んなこと言った覚えねぇよ!」


 翡翠の双剣を間断なく振るう。ダフクリンの長剣の隙を縫うように、隙を最小限にして絶え間ない連撃を繰り出した。

 本当なら二刀流はできないはずだった。

 二つの物を同時に出そうと試したことはある。けれど成功したことは一度としてなかった。

 難易度は一刀のそれとは全くの別物。例えるなら、左右それぞれの手で精緻な絵を描いている、あるいは同時に二本の物語を紡ぐような感覚だ。

 仮に一つを先に作っておいたとしても、もう一つ作ればイメージが霧散して消えてしまう


 けれど、今は違った。


 思考が透き通っていた。いや、拡張していた。

 上下左右、深奥に至るまで思考が広がっていっている。

 為すべきことがわかる。それと同時に身体が動いている。

 ダフクリンが一歩下がろうとしている。長剣の間合いを取って、水平斬り。あえて振らせる。わかっていれば躱すのは容易い。


「っ!?」


 長剣は屈んだ頭部を掠め、ダフクリンは無防備な脇腹を晒す。俺は前傾に至りながら、間合いを詰めた。蹴り。来る。


「なっ!」

「脚癖悪ぃんだよ」


 剣の腹で受け止めながらすれ違いざまにダフクリンの脇腹を一閃。浅い。けど、まだだ。


「こいつ動きが!」

「フッ!」


 ダフクリンの剣の合間を縫い、急所へ攻め込めずともその身体を刻んでいく。少しずつ、水滴が岩を穿つように。


「ぐっ! あああああっ! うぜえええっ!」


 猛火の如く水滴を蒸発させる荒々しい剣閃。

 服越しに風圧すら感じる力一辺倒のそれは、怒りのまま振るっているように見えるけどそうじゃない。

 ダフクリンはあえて大振りな攻撃で隙を晒している。攻撃して来いよ、と。


「乗ればいいんだろ」


 乱撃の隙間を縫い翡翠剣をダフクリンの左腕へ見舞う。奴の口角がつり上がるのがわかった。

 翡翠剣の斬撃上に、身体を捻り切り返して戻した長剣が添えられる。あの巨漢でこの素早い動き。第三階層到達者の探索者故の体捌きだ。

 狙いは防御。いや、強くぶつけて武器破壊からのカウンター狙い。当たれば砕かれる。反動があることはもう知られている。もう攻撃は戻せない。


「てめぇのウザってぇ剣ぶっ壊して――!?」


 翡翠剣がダフクリンの長剣に当たる刹那。それは翡翠の粒子に弾けた。


「消え」


 砕けたわけじゃない。粒子がダフクリンの長剣を通過した瞬間、それは再び翡翠剣を形成する。ダフクリンの胸を今度は刃先数CM確実に斬った。


「ぐっ! 何をしやがった」


 鮮血を撒き散らしながら数歩下がり、明らかな狼狽の表情を見せるダフクリン。

 やっと余裕をなくせた。


「別に難しいことしちゃいねぇよ。ただ、消して戻しただけだ」


 サリアにも受け太刀を誘って消し、隙を作ったこともあった。それをより精密に行っただけに過ぎない。

 いつもならできない。だけどいまなら。


「んな一瞬で魔法が発動できるわけ、ぐっ、あってたまるかっ!」


 やれる手が増えた。思考がクリアだから、【無明の刀身】の出し入れがスムーズに行える。

 まるで自分の手の届く範囲全てが武器の金型にさえ思える。ただ手を添えて握る。それだけでどこにでも剣が形成される。

 間合い全てに常に武器が準備されていた。


「っ! くそっ、がっ! ぐぉっ!?」


 そうなれば止まらない。触れる刹那。振るう刹那にだけ剣を握る。受け太刀が意味をなさない不可視の斬撃。

 イメージするのはエッセ。槍捌きではない。その自在な触手の動き。

 静動、緩急を絶え間なく繰り返し、防御の隙間、剣戟の合間を縫い、触手の如く自在に剣閃を描く。

 翡翠の残光のみが俺の手に握られている。


「また消え、ないっ!? ぐほっ!」

「さっきの仕返し、だっ!」


 甘い受け太刀に応じ、がら空きの胴に蹴りを食らわせる。

 悶絶して屈んだダフクリンの側頭部に、受け太刀されていた翡翠剣を消し、勢いそのまま拳をめり込ませた。

 できた大きな隙。腕は動かない。反撃はない。

 掲げた手を握る。翡翠の柄は鍔を形成し、刀身を完成させた。その重さをダフクリンの袈裟へ振り下ろし、止めを刺そうとした。

 そのときだった。


「待てえええええええええええええええええええええええ!!」


 俺を止める男の声が滝の音を打ち消すように【天蓋都市】に響く。

 振り向けば、エッセのすぐ横に男がいた。

 いや、そいつだけじゃない。そこら中に探索者の姿がある。大部屋ハウスは複数の入り口がある。しかもダンジョンの中心地点だ。俺たちを捜していた奴らが戻って来たのか。

 見れば少なくとも六人はいる。うち一人は、エッセの首に剣を当てていた。


「幾ら探しても見つからねぇから戻って来てみたら、まさかボスのところにいたとはなぁ」

「っ!」

「おっと動くんじゃねぇよ坊主。その剣を収めな。じゃなきゃ、この死にぞこないのモンスターを細切れにするぜぇ?」


 下卑た笑いが木霊する。完全なしくじりだ。ダフクリンしか見えていなかった。

 思考はクリアになっていたけれど、完全にダフクリンの仲間たちのことは抜け落ちていた。

 どうする。どうす――。

 切羽詰まった思考の外から飛んだ拳が、俺の顔面にめり込む。意識が一瞬ぐらつく一撃に、宙を浮いた俺はそのまま受け身も取れず地面を転がった。

 鼻血がボタボタと地面を濡らして、すぐに消える。

 顔を向ければ、ダフクリンがただ怒りと殺意に塗れた表情で俺を睨みつけている。


「よくもまぁ、俺をコケにしてくれたなぁ、クソガキが」

「っ!」

「抵抗すんなよ。おい、こいつが抵抗して見せたらその女の脚斬り落とせ」

「やめろっ!」

「誰が喋っていいっつったぁ!?」


 振り下ろされた剣を咄嗟に転がって躱す。


「リム! 私のことは良いから反撃してっ!」

「黙ってろ!」

「きゃっ」


 エッセの悲鳴。刺されてはいない。髪を掴まれて地面に押さえつけられているだけ。

 だけ……だけど。


「お前っ! 汚い手でエッセに触んな!」

「舐めた口聞いてんじゃねぇぞガキ! 何度も何度も邪魔しやがって! てめえのせいで俺の計画はぶち壊されっぱなしだ! 今頃本国に帰ってるはずだったのによぉおおおっ!」

「くっ!」


 翡翠の剣は出せない。だから躱すしかないのだけど、明らかにダフクリンはブチ切れている。躱すのも禁止だとか言いかねない。どうにかエッセだけでも助けないと。

 だけど、遠すぎる。翡翠の剣は手から離れれば消える。投擲は出来ない。どうする。どうする。どうす……あれは?

 思考を現状の打開に寄せすぎた。


「足元がお留守だぜ!」


 ダフクリンの足払いで、俺は仰向けに転ぶ。まずい。この体勢、躱せない。


「死ねっ!」

「くっ、ぐっ!」


 俺は翡翠の双剣を十字に掲げて、ダフクリンの長剣を受け止める。


「魔法、使ったな。ハッ! やっぱりどんな耳障りのいい言葉使ってても結局は自分の命が惜しいんじゃねぇか」


 ほくそ笑むダフクリン。やっぱり気づいていないらしい。


「う、うわあああああああああああああああああっ!?」

「な、なんだああっ!? いきなりこいつらどこから!?」


 突然悲鳴が【天蓋都市】に響き渡る。十数体に及ぶモンスターの群れ。ゴブリンからクォーツボア、さらにはガーゴイルに至るまでのモンスターたちが、俺たちを取り囲んでいた探索者たちに不意打ちを仕掛けたのだ。

 今度はこっちがほくそ笑む番だ。


「なんだ!? 何が起きて」

「俺ら以外の存在、一人と一匹、忘れてるだろお前」

「ッ!? あのモンスター遣い!」


 俺の後方。エッセから一番近い【天蓋都市】の入り口の通路から、銀と赤の疾風が飛び込んでくる。

 別たれた二陣の風の内、銀がエッセを抑えつけていた男を、赤が俺を抑えつけていたダフクリンをぶっ飛ばした。


「あれぇ、リムじゃーん?」


 いつもの如く既視感の覚える、わざとらしい抑揚で吐かれた言葉。もはや決め台詞である。

 夕日と見紛う赤いフードの内に金髪を揺らし、紅緋の瞳を細めながら、満面の笑みを浮かべる女が俺を見下ろしていた。

 サリア・グリムベルト。銀狼ウルを駆る探索者。

 今日ばかりはそのままどっか行けとは言わない。

 俺とエッセの頼もしい仲間だから。


 ―◇―


 戦況は再び覆された。

 サリアの登場と彼女がテイムによって引き連れたモンスターの群れによって、再びリムとダフクリンの一騎打ちとなる。

 モンスターは数はいてもしょせんは第一階層のモンスター。複数でかかっても倒しきれるのは極一部。時間稼ぎがせいぜいだろう。

 それまでにリムがダフクリンを仕留める必要がある。

 とはいえ、先にこっちだった。


「お待たせ、エッセ。ごめんね、モンスター引き連れて来ようと思ったんだけど思いの外見つからなくてさ。時間かかったわ。って、うわぁ、派手にやられてるね。待ってて、ポーションかけたげる」


 サリアはベルトポケットからポーションを取り出すが、エッセに手を掴まれ止められる。


「サリア。私のことはいいからリムを助けてあげて」


 悲壮感を漂わせるエッセの懇願に、苦笑いするサリアは頬を掻いて左右に首を振った。


「ごめん。それはちょっと無理」

「ど、どうして?」

「まず第一に、あたしはいま第一階層探索者に毛が生えた程度の実力しかないから。弱いモンスターたちとは言え、十数体を同時にテイムしてるからね」


 テイムはパスを繋ぐことで支配下に置くが、その際モンスターの強さに応じてステータスの一部を一時的に分与することとなる。つまり、モンスターを使役すればするほど術者には弱体化デバフがかかるのだ。

 使役を終えれば解除されるが、そうなれば戦況はまた相手側に傾くこととなる。


「エッセを守っとかないとリムが自由に動けないからね。だからあたしはここを動かない。まだ何人かダフクリンの手下がやってくるし、最低でも膠着状態には保っておかないと」

「で、でも! リムがやられちゃう!」

「どうして?」

「どうしてって、ダフクリンはサリアくらいの実力があるんだよ!?」


 確かにと一応サリアは頷く。

 ダフクリンは第三階層到達済みの中堅探索者。かたやリムは第一階層でまごついているルーキーだ。

 ダフクリンがいつ頃からダンジョン探索を始めたか知る由もないが、探索歴は年単位はくだらないだろう。対してリムはたったの一ヶ月と少し。客観的に見ても実力差は明々白々だ。


「リムがさっきまで優勢だったのは魔法のおかげだよ。見たことない魔法で不意を打って冷静さを失わせられたから。対応させずに攻められたから。でも、ダフクリンが冷静にステータスの高さで潰しに来たら、リムじゃ絶対に勝てない!」


 それほどリムとダフクリンのステータスには隔たりがある。だから力を貸してあげて欲しい、そうエッセは言うのだ。


「あはっ」


 サリアは声を出して笑った。

 こんなにも近くにいたのに気づけていないのかと。

 見えていない、知らないのはお互い様なのかと。

 とても可笑しくてつい噴き出してしまったのだ。


「さ、サリア?」

「ごめんごめん。えっと、リムじゃ絶対にダフクリンに勝てないって?」

「うん……」

「じゃあ、あれは?」

「……え?」


 親指立てて差した先には、互角に剣戟を繰り広げる二人の姿があった。

 エッセの言う魔法による一芸のみならず、剣技と立ち回りで確実にダフクリンに肉薄している。

 筋力で確実にダフクリンに劣っているはずのリムが、ダフクリンの重い剣閃を弾き、蹴りによる体術を織り交ぜた長剣を危なげなく躱している。

 お互い傷だらけ。常人なら気絶していてもおかしくない。なのに、両者一歩も譲らず剣戟をひたすらに交えていた。

 いや、リムが押しつつあった。


「どう、して?」


 エッセにとっては信じられない光景だっただろう。明らかにあれは魔法によるものだけではない。

 ステータスにおいてもダフクリンに肉薄していた。技量などでカバーできる範囲じゃない。そもそも、リムの剣の技量はダフクリンにも劣っている。

 ならば何故。


「実は二人には言ってなかったけど、あたし本気を出してたんだよね」

「ほん、き?」

「あなたを奪い合ってリムと最後にやり合ったとき。リムは殺す気で来られたらやられてたって謙遜してたけど、違う」


 サリアは片手斧を握りしめて、常人ならざるナニカとも言える彼の戦いを睨み据える。

 笑みを浮かべることはできている。しかし、内心に渦巻くのは畏れだった。


「あたしは本気でやってた。モンスターを使役してたから全力ではなかったけど、あのときあたしは本気を出してたの」

「うそ……で、でも、どうして? そんな魔法もスキルもないよ?」

「理由はわからないけど、起こってる現象に即して言うなら、リムのステータスはいま完全に化けてる」

「化ける?」

「多分一過性だけどね。今日最初一緒にモンスターと戦ったときは第一階層メインの探索者の実力とほとんど変わらなかったから」


 けれどいま、リムには第二、第三階層にも通用する実力を備えている。


「だから多分、リムは侵食を受ければ受けるほど、ステータスが上がる」

「侵食を? それって、長くダンジョンにいればいるほどってこと?」

「それだけじゃない。怪我をする、体力を消耗する、魔力を消費するとかでも侵食速度は上がるから、それでステータスも底上げされる。何より」


 これが一番異常。信じがたい。けれど、この一ヶ月リムがいまここで立てていることが何よりの証明だった。


「レベルも上がってる」


 エッセはぴんと来ていないみたいだったが、これは在りえざることだ。

 古今東西、レベル以外のステータスを上げるスキルや魔法があっても、レベルを上げるスキルなどは発見されていない。

 そしてレベルが上がるということは、だ。


「リムは実質的に、侵食に対する完全耐性がある」

「あ!」


 レベルは侵食耐性を示すステータスともされている。不変の数字だ。

 リムがダンジョン探索を始めて一ヶ月。

 単身、モンスターの群れと戦い、傷だらけになりながらも生還し続けてきた。

 大怪我を負い、医療ギルド【アスクラピア】の世話になったことも少なくないはずだ。

 それほどの窮地に幾度となく立たされ、探索を続けていれば確実にダンジョンの侵食効果作用は、リムを食い散らす。侵食されていないとおかしい。

 欠損どころの話ではない。

 もはや死んでいないのが異常なのだ。


「ステータスが底上げされてるなら、どれだけ窮地に立っても生き残れてるのも納得。普通、追い込まれたら詰むもんよ。逆転の目なんて、ダンジョンではそうそう起きない」

「じゃあ、いまリムは」

「リムのいまのレベルは10を優に越えてる。だからいまのあたしが行っても足手纏い。ね、信じよ? リムを。だって、あなたの白馬の王子様なんでしょ?」

「っ! うん!」


 心底信頼を寄せた真っすぐな瞳で、エッセはリムを見据える。

 眩しいとサリアには思えた。薄汚れた自分には荷が重いモンスターだとも。

 だから、さっさと勝って迎えに来いと、サリアはリムに内心で発破をかけるのだった。

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