031:白馬の王子様
ああ。これは夢だ。
そう、シェフィールドは思う。
こんな幸せがあるはずがない。自分は彼にとって家族の仇であり、ずっと利用していたと告げて、彼を傷つけて別れたのだから。
だからこれは夢。死の間際の恐怖と苦痛を和らげるために自分の頭が生み出した幻想に過ぎない。
きっと、今頃自分の心臓は冷たい剣で貫かれている。そうして心臓は止まり、シェフィールドという存在は全て零れ落ちて、ただの肉塊に成り果てるのだ。
「悪い、待たせた」
しかし、声がそんな現実を掻き消していく。ありえざる夢が現実を塗り替えて、もっとも見たかった人の輪郭を鮮明に映し出していってくれる。
白銀の狼に跨り、翡翠に輝く剣を携えた彼――リム・キュリオスがそこにいた。
「どう、して、あなたが……ここに?」
怒った風にも呆れた風にも見える、いつもの彼らしい表情を浮かべてリムは鼻を鳴らす。
「助けに来た。悪いか?」
「で、ですがリムが、私を助ける理由なんて」
「殺されかかってる奴を助けるのに理由なんざ必要ないだろ」
リムはウルから降りて、見上げることしかできないシェフィールドの手を握る。
無色透明の温もりが手を通して全身に巡っていった。ダンジョンと繋がることで得られる以上の魔力がシェフィールドの怪物の身体を癒していく。
ずっと触れていたい。けれど、それはいけないことなのだと、シェフィールドはリムの手を振り払った。
「あります……! 私は! あなたの家族を、村の人たちの命を奪った! あなたの五年を奪ったのですよ!」
シェフィールドが国を出なければ――村が滅ぶことはなかった。
リムを連れていかなければ――彼は人並みの生活が出来ていた。
すぐに正体を明かしていれば――彼を危険な目に遭わせることはなかった。
何もかもが裏目。リムを傷つける結果にしかなっていない。そんな自分が彼に救われるなんてあってはならない。
これ以上、彼の命を脅かしてはならないのだ。
「私のせいであなたを……! こんな私にあなたが何かをする必要はないのです。命を懸ける必要なんて」
「その通り、なんだろうな」
リムは眉根を下げると、悲しそうに微笑んだ。
彼はシェフィールドの手をもう一度握る。強く、弱く、強く、弱く。その手の感触を確かめるように。自身の決意を確認するかのように。
シェフィールドはもう一度振り払おうとしたけれど、今度は許してくれなかった。
「ずっと思ってたんだ。どこか諦めた顔して、本心隠して笑顔貼りつけて、小さかった俺を安心させようとするお前を、俺を見てどこか辛そうにしてるお前を、どうにかしてやりたかった。きっと、本当の笑顔を見たかったんだ。俺を救ってくれたときみたいな、ただ喜びに満ち満ちてた、あんな笑顔を」
「……私の」
「でも、お前が自分は家族の仇だって言って、何もわからなくなった。俺はお前を恨まなくちゃいけない。仇を取らなくちゃいけない。でも俺がしたいことはそれじゃないって思うと、もうどうすればいいのかわからなくなったんだ」
「それでいいのです。仇ならあなたが無理に取らずとも、今日ここで私は死にますから。だから」
「だから」
遮るようにしてリムは言う。
「俺はシェフィじゃなくて……エッセ、お前を助ける」
燃え尽きず残った触手がぴくりと反応するのがわかった。より鮮明にリムの顔が見える。
いま初めて彼の本当の顔を見た気がした。
曇りなんてない。迷いなんてない。怒ってなんて全然ない。悲しんでもいない。
為すことが定まり、ただそれにまい進する少年の顔だった。
「シェフィにとってエッセは擬態した姿かもしれない。国に戻るまでの一時の姿なのかもしれない」
それでも、と彼は言ってくれる。
「お前がエッセとして語った言葉、浮かべた笑顔は本当だと思うから」
その言葉に、涙が一筋垂れていた。
「…………」
ああ。
そうだ。
そうだとも。
あのとき、あの日々、自分は皇女ではなく、エッセだった。
一人のただの女の子だった。
擬態していたが故に、偽ることはなかった。
それを彼は――。
『ガウッ!』
「っ!」
リムが起き上がり様に翡翠剣を振るい、背後に迫ったダフクリンの剣閃を逸らす。
直後、真横から飛び掛かったウルを、バックステップで躱しダフクリンは距離を取った。
「随分長々と歯の浮くような台詞言ってくれたじゃねぇか。ついしゃしゃり出ちゃったぜ」
追撃はしてこず、ダフクリンは肩を剣で叩きながら言った。
「……ウル。ここはもういい。行ってくれ」
『ワウ』
一鳴きするとウルはすぐに【天蓋都市】から走り去った。恐らくはサリアと合流するためであろうが。
「なんだ、あの犬っころはいらねえってか。おいおい、俺を一人で相手できるとでも?」
「こっちはそのつもりだよ。最初っからな」
「だ、ダメ、リム逃げてください! あなたではダフクリンには勝てません!」
リムの言葉にもしかしてと思いはした。けれど現実は常に非情だ。
問題は何も解決してはいない。自分を殺そうとしているのは、さっき歯牙にもかけられなかったあのダフクリンなのだ。
シェフィールドの見立てではダフクリンの強さはサリアと同等。口ぶりからして第三階層にも到達できている。第一階層でまごついているリムに勝ち目はない。
その上、アーティファクトの炎の魔剣まである。広範囲高威力に加え予備動作もほぼなしの化物染みた性能だ。
少しでも距離を取られ放たれれば、躱すことは不可能に近い。
そんなことはリムも承知のはずだ。
「ああ言ってるぜ?」
「ここで退くなら最初から来ないよ」
けれど、彼は一歩も退こうとしなかった。
「ッ!」
「へっ!」
翡翠の剣と長剣が剣戟を交え、響き渡る滝の音を掻き消すように火花を散らす。
「なんでエッセを殺そうとする」
「あいつはもう仕事をしたからな! 回収するだけだ!」
「物じゃないだろうがっ!」
「物なんだよ! ご当主様にとってはなっ!」
その巨躯、剛腕から繰り出される破壊的な太刀筋がリムの肩を掠める。
容易に服は裂け鮮血が舞えどリムは止まらず、翡翠剣で足を掬い上げるように斬り上げる。
巨漢故足元は死角になりやすいはずだが、ダフクリンは刃を逆さに寝かせてリムの剣閃を逸らすと、その剣を伝うように斬りかかってきた。
「ぐっ!」
翡翠剣の鍔が一瞬だけ受け止めて弾け飛び、リムは痛みに喘ぐように顔をしかめて下がる。
「ああ、リム……ダメ」
攻撃を喰らっていないのに苦しそうなのは【
元から持っていた武器は、先ほど崩れる床を踏み抜いて落ちたとき、上層に残してきている。そのため、リムは不安定な武器で戦うほかないのである。
「面白い剣だが随分脆いじゃねぇか! 石ころで戦ったほうがマシなんじゃねぇか!?」
「心配いらねぇよ!」
剣を新たに作り直し、リムは一歩踏み込んできたダフクリンに応戦する。
膂力の差は歴然。魔法で作った剣もその特性上受け太刀しにくく、下手に受ければ剣ごと叩き斬られてしまうことも明白。
何より下手に攻めて受けられれば、その反動で剣が砕ける恐れすらあった。
「ひょいひょい躱してばかりで攻めて来ねぇのかぁ! ああっ!?」
「っぁ!」
剣に意識を割かれて浮いた腕の下を抜け、ダフクリンの蹴りが脇腹を抉る。第三階層到達者のステータスによる蹴りがクリーンヒット。悶絶はおろか気絶したっておかしくはない。
だが。
「ああああああっ!」
「うぉっ、チッ!」
蹴り飛ばされながら振るった翡翠剣がダフクリンの頬を掠める。
だがそれだけだ。脇腹に喰らわされた一撃は重く、すぐに攻勢に出られない。
「ぼうっとしてていいのか、適正距離だぜ」
そして、ダフクリンは距離を取ることを許さない。アーティファクトの存在を意識させリムの行動を縛る。逃げれば待ち受けているのは焼死体だぞ、暗に言っているのだ。
リムは歯を食いしばり、翡翠剣を握り締め、不遜に待ち受けるダフクリンへ剣を偃月に振るう。
それをダフクリンは真っ向から剣で受けた。
――ガキンッ!!
金属の弾ける音が響き渡った。
「カハッ!」
「おいおい眠るにはまだ早いぜ?」
追い打ちにまるでハンマーを振るが如く、空を切る音を響かせてダフクリンの長剣がリムを身体を引き裂いていく。
間一髪。ボロボロになった翡翠剣が逸らし続けるも限界は見て取れた。
もう血まみれでボロボロだ。先ほど蹴られた脇腹などに至っては折れているのではないか。立っているのが不思議に思えるほどだった。
「ああ、リム、リム……!」
助けに行かないと。そう思い、立ち上がろうとするが脚が動かない。ならばと触手を伸ばそうとしても、焼き焦げた触手は数Mも伸びてはくれなかった。
「はぁ、はぁ、っ、リム! 逃げて! 私のことはもういいですから!」
できるのは呼びかけることだけ。真実を語ることを避けてきた口が切望するのは彼の安否。それだけはずっと前から本当だった。だから言える。言葉にできる。
けれど、彼は止まらない。止まってくれない。
「やめてくださいリム! 私はここで死ぬべきなんです! あなたの家族を! 村の人の命を奪った私は! 世界中に悲しみを広げている帝国の皇女はここで! 死ぬべき――」
「うううぅぅぅぅぅぅぅぅぅるせぇええええええええええええええええええっ!!」
リムの翡翠剣が、初めてダフクリンの剣閃を真っ向から弾き返した。
その怒号に呼応するように。
「さっきからぺちゃくちゃぺちゃくちゃとうるさいんだよお前はっ!」
「ぐぉっ、てめえっ!」
怒りに我を忘れたように叫びながら、しかし、呑まれるのではなくただ剣に乗せ、流麗に振るう。
一歩。また一歩。リムの踏み込みがダフクリンを押し返す。その眼光に気圧されたのか、浮いた腕の真下を抜け、ダフクリンの胸当てを横一文字に斬り裂いた。
そして、ダフクリンにそのまま畳みかけるのではなく、立ち止まってシェフィールドに切っ先を向ける。
「いい加減、その似合ってない喋り方やめろッ!」
「……………………え?」
「そんの喋り方! はっきり言って気色悪いからな! シェフィのときからずっと思ってたからな! 無理して言ってんのバレバレだからなっ!」
「き、きしょっ!? こ、こここ、これは姫にあるべき由緒正しい言葉遣いなのですよ!?」
突然の口調批判に混乱しながらも真っ向から反論する。
そう、これはかつて友であり従者でもあるモエニアから教わった、姫はかくあるべしという由緒正しい言葉遣い。幾度となく読み込んだ小説に出てくるヒロインの姫もこう話していた。
――だから気色悪いはずないもんっ!
「お前には合ってないって言ってんだよ! 姫っぽさを演じてんじゃねぇ!」
「ほ、本物の姫ですっ!」
「てめぇら俺を前にして遊んでんじゃねえぞッ!」
怒髪天のダフクリンが剛腕に身を任せた長剣を修羅の如く振り回してくる。受ければ破滅は必死。それでもリムは落ち着いているように見えた。
攻撃が当たらない。いや、当たってはいる。掠めている。だが、最初の頃と違い、それは皮一枚にも満たないもの。躱しきれないものは剣で逸らし、身を捩り、一歩退き、あるいは踏み込んで完璧にダフクリンの猛攻をいなしていた。
「エッセ!」
リムが叫ぶ。
その背中は逞しく、勇猛果敢に敵に立ち向かう姿は相対する巨漢よりも遥かに大きく見えた。
「もう擬態すんな! ありのままでいてろ! 姫になりたいって言うんなら!」
そして、彼は叫ぶ。
「俺がお前の白馬の王子様になってやる!」
「白馬の、王子様……」
「お前がどこにいようと、どんな奴だろうと、駆け付けて、傍にいて助けてやる! だから言え! 一言お前の望みを言ってみろッ!」
憧れ。シェフィ―ルドが封じ、なれないと思った理想。
エッセとなって初めて感じた、リムに思われ続けたときの感情。
――本当にいいの? そうシェフィールドが言う。彼をこれ以上巻き込んでいいのかと。
きっといけないことだろう。
あってはならないことだろう。
赦されざることだ。
それでも、彼は――リム・キュリオスは望むことを許してくれるのだ。
「リム……助けて」
白馬の王子様に助けられるお姫様でいることを。
エッセであることを。
「ああ!」
ダフクリンの振り下ろされる凶刃。それを受け止めた刹那。
リムの空を握る右手が、手袋を裂いて翡翠に煌めいた。
振り上げられた翡翠の偃月が、ダフクリンの左肩を斬り裂き鮮血を撒き散らす。
手に握られるは二本の翡翠剣。
その背は白馬に乗らずとも自分の憧れた王子様そのもののように見えた。
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