028:天蓋都市にて断罪の剣は振り下ろされる


「お。なんだ、お前から来たのか」


 湖の畔、隆起した岩に腰かけていたダフクリンがこちらを認めると意外そうな表情を浮かべた。

 ここは下層の中央。ちょうど上層にある【水上都市】の真下である。

 天井からは上層と同じ建物群が逆さまに地面へと伸び、その窓などの穴から際限なく水が流れ落ちて湖を形成していた。

 見る者を惑わせる天地逆転の大部屋ハウス

 通称【天蓋都市】。誰も到達することのできない都市を頂く場所である。


「ダフクリン。私はあなたに投降します」

「ほう。どういう風の吹きまわしだ?」

「あなたも本国に戻りたいのでしょう。私も同じです。相争う必要はありません」


 ダフクリンは眉根をひそめながら、指を差してくる。


「あのガキは?」

「……リムには別れを告げました。もう私を追うことはありません」

「はっ。そうかい。その懸命な判断を五年前にしてもらいたかったもんだね」


 胸が締め付けられる気分だったが必死に触手を抑えて、シェフィールドは平静を保つ。


「俺が本国に戻ったらちゃんと口利きしてくれるんだろうな? 一度俺はお前を殺してんだぜ?」

「侵食を加速させ、儀式を早期完了させるための行動だったのでしょう。リムを殺そうとしたことは許せはしませんが、意図は理解できます。罪に問うことも致しません。相応の地位はファブラス卿より頂けるでしょう」

「よしよし」


 ほくほく顔で浮かれ調子になりながらダフクリンは立ちあがる。周りに彼が連れていた探索者たちはいなかった。


「あなたが連れていた人たちは?」

「安心しろ、お前がいるならもうあのガキに用はねぇ。教会に俺が帝国の人間だって知られても、その前に脱出すりゃ問題ない。そのために開闢祭直前までお前らを狙わなかったんだからな」


 開闢祭前後は人の流入が著しく増加する。そこに乗じて脱出する手筈を整えているとダフクリンは言うのだ。


「だが、ダンジョン出る前にお前が見つかっちまったら終いだからな。あっちの通路の先の登り坂に行きゃあ、見張ってる奴らと合流できる。そんとき仲間は引き上げさせてやるよ」


 ダフクリンが歩き始めながら、顎をくいっと上げてその先を示した。そこへ視線を誘導させられたときだ。

 金属が擦れる小さな音を聞いた。本当に極々微かな音。モンスターとなっていなければ、背後で飛沫を上げる滝に掻き消されていただろう音。

 しかし聞こえた。音を聞いた触手は本能的にその音の主を確かめようと瞬時に目を形成する。それはシェフィールドの脳内にも共有された。

 ダフクリンが剣を引き抜き、刺し貫こうとしているところだった。


「ぅァッ!?」


 咄嗟に身を翻しながら触手で弾いてダフクリンの凶刃を躱そうとするが、その鋭い一刺しはシェフィールドの脇腹を抉るように刺し貫いた。

 焼けるような痛みが腹部に広がり、触手たちが発狂したようにのたうち回る。


「ハッ。前と違って急所は避けたな。無駄にダンジョンにいたってわけじゃあねえみたいだな。いや、化物になったおかげか?」

「ダフクリン、あなた……!」

「おうおう、見捨てられた子犬みたいな顔しちゃってまぁ」

「何故……」

「お察しの通り殺すためだ。ちゃんと心臓狙いだったろ、っと」

「あぐっ!」


 しならせた触手でダフクリンを弾き返そうとするが、身体を反転させて躱したダフクリンに腹部を蹴られながら剣を引き抜かれた。


「がはっ、ごほっごほ」


 血とともに全身の力が抜けていく。燃えるような痛みが刺し貫かれた箇所から広がり、全身を貪るようだった。


「効くだろ、こいつ。“フラムヴェルジュ”。第三階層でたまたま見つけた一級品だ。魔力を込めてなくてもこれ自体が熱を持ってやがる。刀身はアチアチだぜ」


 波打つ刀身を持つ剣。鈍い銀色ながら熱気を肌に感じるほどの温度を纏っている。

 アーティファクト。作られたものではない、ダンジョンにて稀に発掘される人ならざるものにて造られた遺物。

 ダンジョンが作った生き物がモンスターとするなら、ダンジョンが造った武具がアーティファクトということになる。

 ある種、同じものでもあるのだ。

 故にモンスターとなったシェフィールドにとって致命的でもあった。単なる物理攻撃はさほど通用しない。特にダンジョンにいれば、魔力を得ることで肉体的損傷は癒せる。

 しかし魔力を含んだ攻撃をされれば話は別だ。攻撃的に変じた魔力は、ダンジョンより得られる魔力の吸収を阻害する。

 シェフィールドが以前、自ら肉体を傷つけたときの状況に近い状態に陥っていた。

 急所は避けているため死にはしない。それでも回復には時間がかかる。

 ダフクリンに止めを刺されるには十分すぎるほどの時間が。


「あ、ぐ……何故、なのです、ダフクリン。私に儀式を、成功させて連れ、帰ることがあなたの任務だったはず……でしょう」


 そう。ダフクリンはファブラスの配下。彼のおかげで外界を知らないシェフィールドはクリファまで辿り着けた。儀式も一応ではあるが終えられた。

 なのにいま殺してしまえば、五年もクリファに居続けたことが無意味になる。

 だが、ダフクリンは笑う。口角を吊り上げ、最大の嘲笑を込めて語る。


「これが任務なんだよ、皇女様」

「え……?」

「本当におめでたい奴だな。まさか本当に我が主ファブラス卿が善意でお前に手を貸してやってたとでも?」

「ぇ……え?」


 意味がわからなかった。痛みが消えたかと錯覚した。いや、全ての感覚が消えたのだ。

 全神経が脳内に反響するダフクリンの言葉を理解しようとするために。


「ファブラス卿は元からお前を始末するつもりだったんだよ。お前の家を乗っ取るためにな」

「う、嘘です、そんなこと、ありえません。だってファブラス卿が保護下に入れてくれたから、私の家は」

「ああ、そうだとも。内側に入れば、お前の家が保有するダンジョンを抑えるのは楽だったろうなぁ。そうでなくとも当主を失ってごたごただらけの家だ。早い者勝ちだしな」

「っ! で、ですが、こんな回りくどいこと。何故私をクリファに」

「わかるだろ。腐っても皇族。クリファのダンジョンで儀式を行えばどうなるかが試したかったのさ。結果は元の形すら残ってない化物になっちまったが、まぁあの方はこう仰せだ。『生かして帰す必要はない。儀式後肉体を回収して帰還しろ』ってな」

「……あ、あぁ、あああっ……あああああああああああっ!」


 全てが崩れた。一縷の望みが断たれた。

 最初から全て騙されていた。家も帰る場所も地位も、そして自分の本当の姿すら無くした。

 それを信じたくないがために、シェフィールドは触手を槍に変え、半狂乱になりながら振るう。血とともに、大粒の涙を撒き散らして。

 だが、ブレード状の穂先はダフクリンの服すらも掠めやしない。躱され、捌かれ、子供をあしらうようにステップする。

 いつものシェフィールドなら、その身体に染みつけた槍術ならば一矢報いることは可能だっただろう。

 だがいまの彼女の動きは、駄々をこねる子供のソレとなんら変わりなかった。


「うううぅうぅううううう、ああああああああああああああっ!」

「ハッ」


 しかし不意にダフクリンの動きが止まる。そこへ槍を突き刺そうとしたときだ。


「!?」


 ダフクリンが自らの心臓をその槍へ差し出したのだ。

 その意図を全く理解できなかった。しかし、このままではどうなるか明白である。己の槍が心臓を刺し貫く。命を奪う。

 かつて、最も親しい友人である従者を傷つけたときのことが、シェフィールドの脳裏に過ぎった。

 その瞬間にはもう槍を柔らかい触手へと戻していた。


「やっぱりな。だからダメなんだよ、お前は」


 触手をフラムヴェルジュで焼き斬られる。痛みに仰け反り、顔をダフクリンに向けたとき、その炎剣の切っ先はこちらへ向けられていた。


「自分の手で人を殺す覚悟もねぇ奴が国を変えようだなんて、土台無理な話だ。絵空事で救える命なんざありゃしねぇ」


 文言とともに鈍銀色の剣が真紅に染まり、熱波が空気を押し出す。


「手向けだ。【フラムヴェルジュ・ヴォルテクス】」


 うねりを上げる炎が剣より纏うように顕れ、竜の顎が如く広がる竜巻を解き放った。

 シェフィールドの眼前が炎で埋め尽くされる。躱しようがない。そもそも躱すという選択肢がなかった。

 そして、その轟炎の痕。放射状に焦がされた大地にシェフィ―ルドは倒れていた。


「かはっ、ごほっ、ごほごほっ」

「……おいおい、まだ生きてんのか、しぶといな」


 フラムヴェルジュを鞘に戻し、ダフクリンが気怠そうにぼやいている。こちらへ歩いてくるのも億劫だと言わんばかりだった。


「まぁ安心しろ、お前の家は当主様が搾りカスになるまで使ってくれるだろうよ。ああいや、五年も経ってるからもうなくなっちまってるかもな。てめぇもオブシディアンの家ももう誰も覚えちゃいねぇわ」

「……ぅう、あ、あああ……」


 視界が滲んでもう前も見えない。なのに意識は明瞭で、全身を襲う痛みと己の愚かさに身を焦がされ続けた。

 全てが無駄だった。最初から意味などなかった。愚昧な姫の末路は家を出たときすでに決まっていたのだ。

 これは罰なのだろう。

 友である従者に黙って家を出たこと。

 身の程を弁えず力を求めたこと。

 無辜の民が死ぬ原因を作ったこと。

 己を救ってくれた少年を騙したこと。

 己を捜して死地に歩く少年に嘘を吐き続けたこと。

 自分を想ってくれる少年を突き放し傷つけたこと。

 少年を、少年を、少年を……。


「……リムぅ、あいたいよぉ」


 零れた声は誰にも聞こえない。故に叶わない。叶ってはいけない。

 自分はここで死ぬことが、彼に対して償える唯一のことなのだから。


「じゃあな、シェフィールド」


 剣が振り上げられる。もう一息の間に今度こそ自分は死ぬ。

 その最期の時まで、シェフィールドはただひたすらリムを、友であった従者を想った。

 そして、優しかった亡き母へ、謝った。

 あなたの望む人間にはなれなかったと。


 剣が振り下ろされる。

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