026:何をしてくれるのですか?
頬をひやりとした物で拭われて、俺は目を覚ました。
薄暗い岩壁に世界。壁と天井を走る、青白く発光する根と、頭上の大穴。
ここはダンジョンで、俺は崩れる床から落下してきたのだろう。
そして、俺の頬を手ぬぐいに変化させた触手で拭っているのが。
「良かった、目を覚ましたのですね」
いつもの口調とかけ離れたエッセだった。
過去、俺に話しかけてくれたシェフィールドでもない。
帝国の皇女としてのシェフィールドだった。
意識を失う前に起きた出来事が全部夢じゃなかったのだと認識させられる。
「サリアのことは安心してください。無事離脱できたようです」
「……本当に、お前はシェフィなんだな」
「はい……私はシェフィールド・オブシディアン・マルクト。ダフクリンの言ったように、マルクト帝国の皇女です」
身体を起こしてエッセを見据える。幼い顔立ちはそのままなのに、地に座り、背筋を伸ばす姿は俺よりもずっと年上に見えた。
「なんで、教えてくれなかったんだ……?」
自分でも笑えるくらい声に力がなかった。怯えているのだとエッセに気づかれたかもしれない。
真実なんて知りたくない。でももう避けては通れない。だってこの五年は彼女と会うためにあったんだから。
「……いまのようになってしまうのが明白で、言えませんでした。公にできない事情もありましたから。ですが、全てお話します。少し長くなりますが」
「構わない」
「……私の国、マルクト帝国は皇帝を頂点とし、幾つかの皇族が領地を支配する君主制の国ですが、その在り方は個の力を絶対とするものです」
「力?」
「単なる力や技量とはまた異なります。皇族は【変わり儀】と呼ばれる儀式を行うことでダンジョンの特別な力をその身に宿すのです。その身の一部を異形へと変える代わりに」
「それは、【水上都市】でやっていた?」
エッセが神妙な面持ちで頷く。遠目からでもあの光景は神秘的なものだった。
「探索者の方々がダンジョンで侵食を受け、成長するのと原理は似たものです。取り込まれるほどの侵食を受けた上で、ある道具を使う。ときには自傷行為もする壮絶なものです。リムと再会するまでその理由を知りませんでしたが」
負傷や体調によって侵食の速度は早まる。儀式にダンジョンの侵食を必要とするのなら、自傷行為はあり得ない話じゃない。
まともじゃない、とは思うけど。
「じゃあ、その【変わり儀】ってので、エッセはその姿に? 触手の形を変えたり、ダンジョンの物を感知できたりするのも?」
「はい。この儀式によるものです。ただ、私の成り方は聞いていた話とは異なっていました。一部ではなく、何もかもが異形に変わりましたし。一度ダンジョンに取り込まれた故かもしれません。それに……リムも巻き込んでしまって」
「……だけどなんでクリファまでやってきたんだ。帝国はダンジョンなんか幾らでも持ってるんだろ」
帝国があちこちに戦争を吹っ掛けるのは、ダンジョンを奪うため。アーティファクトが眠り、資源の宝庫ともなるダンジョンは国力に直結するからだ。
そして、帝国はそれを繰り返し、世界で最もダンジョンを保有する国となっている。
エッセは渋い顔をした。幾らか回復していた触手で強張る拳を抑えるように巻き付けて。
「私の一族、オブシディアン家は皇族の中でも非常に低い立場にありました。当主であった母が他界し、家が崩れたためです」
「代わりはいなかったのか?」
言って後悔した。浅慮が過ぎる。でも一度吐いた言葉は戻ってはくれない。
エッセはどこか諦めたように微笑むだけだ。
それがいたたまれなくて、彼女の顔をまともに見られない。ずっと見たかったはずなのに。
「私がその代わりです。ですが、私はまだ儀式を終えておらず、力がなかった。母を失った隙を狙われ、他の皇族に保有しているダンジョンを抑えられてしまいました。だから厳密には私は当主を継げていないのです」
「いや待て、狙われるって、身内だろ?」
「次代の皇帝となるために、どこの家も必死なのです。“力”がなければ皇帝にはなれません」
「……」
だから、内ではなく外のダンジョンを求めたと。
「唯一後援者となってくれた方の助言を元に、私は世界最大のダンジョンを有するクリファに向かったのです」
「……クリファである必要あったのか? 帝国にとって一番の敵国だろ」
そしてクリファにとっても最も危険な敵国は帝国のはず。
幾度も侵略戦争を退けていると言っても、相応の警戒はしているはずだ。容易にスパイが入り込めるとは思えない。ましてや皇女なんて。
「【変わり儀】はそのダンジョンによって得られる力が違うと聞きます。本当に帝国がダンジョンを集めるのはそれが理由なのです。より強い力を得るために」
「だから、クリファ」
世界最大のダンジョンを保有する街。
「はい。ダフクリンはそのお供でした。ダンジョン探索未経験の彼ならクリファの検問に引っかからず、多少のモンスターとも渡り合える力も持ち合わせていましたから」
「じゃあ、その道中で会ったのが」
「はい。リム、あなたです」
そこから先は知っての通りか。
「力が欲しかったのは帝国での立場を取り戻すためか?」
「……そうです。力持たぬ者は皇帝との謁見の機会すら得られません。それがたとえ皇族であろうとも。あそこはそういう国なのです」
「セフィラ様に会いたがったのは?」
「この身では遠い本国まで帰還するのは難しいですから。私が持つ情報と引き換えに国に戻してもらうつもりでした。私には是が非でも国に戻る必要があるのです。どのような犠牲を払ってでも」
「じゃあ、俺を助けたのはなんでだ」
エッセが意識して触手たちが暴れないよう抑えるのが見て取れた。
「あの村で、お前の目的にとって足手纏いで邪魔にしかならない俺を助けたのは? ダンジョンで俺の前に姿を現したのは?」
これはきっと、疑問ではなく願いだったのだろう。
でも俺は何を期待していたのだろうか。何を言ってもらいたかったのだろうか。
尋ねながら、求める答えが何かわからなかった。
「あなたはただの隠れ蓑です。それ以上でも、それ以下でもありません」
「…………」
「ダンジョンであなたと接触したのも、あなたがソロで隠れ蓑にちょうど良かったから。名前を明かせなかったのは、その過程で私が帝国の人間だと知られないためです」
きっと正しいのだろう。よりリアリティを求めるために俺と存在が必要だったというのは。
帝国の人間ということを隠す必要があったのも納得だ。クリファは帝国と戦争状態にある。もし俺が逆上したりして、敵国の姫の存在が公にすればどうなるか、想像に難くない。
でも。
それでもやっぱり、エッセは嘘を吐いている気がした。
そう信じたかったのかもしれない。
「ごめんなさい、リム。私の身勝手にあなたを巻き込んで。五年もあなたを束縛して。ですが、もう私に縛られる必要はありません。私は消えます。正真正銘、あなたから。……何のお返しも償いもできないのが心苦しいのですが」
「そんなもの、俺は欲しくない。そんなもの求めちゃいない」
エッセは微笑んで立ち上がる。もう話は終わりだと。別れの時が来たのだと言わんばかりに、踵を返して俺に背を向けた。
ここで止めなければ本当に消えてしまう。ダンジョンよりも遠い地へ行ってしまう。
「俺はお前に助けられた。救われた。あの闇の中から。それはどうなったって事実だ。だから、俺はお前と一緒にいたくて。ずっと、ずっと何かを抱えてるお前に何かをしてやりたくて」
必死になって、まとまらない気持ちを言葉にした。叫ぶように、ここで終わらせないために。
だけど。
「私は帝国の皇女。あなたの仇なのです」
「でもそれは、別にお前が俺の村を襲えって命令したわけじゃないんだろ……?」
「はい。ですが同じことです」
「全然ちが」
「いいえ。あの部隊は“私”を狙って動いていたものですから」
崩れる足場を踏みぬいたのだと錯覚した。
喉から掠れきった声が漏れる。言葉にならない。できない。
「クリファで行った【変わり儀】。それに必要な、ダンジョンと繋がるための国宝【センテイケン】を私は持ち出しました。私がクリファへ向かわなければ、ああならなかったのです。リム」
その一瞬だけ、エッセの本当を見た気がした。
罪悪感と贖罪を求めて喘ぐ、重すぎる物を背負った小さな少女の本当の顔を。
「こんな私に、あなたは何をしてくれるのですか?」
何も言えなかった。
去り行く彼女の背中を見送ることもできず、ただ地の底を見つめることしかできなかった。
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