024:選択


 水上都市を越えて、鉱床樹海の迷路を歩く。

 奥へ行くほどモンスターとの遭遇率は上昇するけど、水上都市を出てから遭遇したのは僅か一度だけ。それも単体で群れとの遭遇ですらない。


「エッセ、これモンスターは避けて進んでるのか?」

「え? ……あ、ううん。最短の道を普通に進んでるよ」


 まだ様子はおかしかったけど、ほぼほぼいつも通りに戻ったエッセが答えてくれる。

 心配だったけど、ここはダンジョン。落ち着いて話をする場所でもないし、いまはダンジョン探索に集中すべきなんだろう。第一階層はともかく、俺にとっては未知な第二階層に到着すれば、一つの油断で死にかねない。

 話はダンジョンを帰ってからだ。


「そうか。他の探索者ともすれ違わないけど、こんなもんなのか?」

「んー。階層主の規模がわかんないからね。【ヘカトンケイル】の捜索隊は少数で散らばってて、おこぼれ狙いのギルド連中はいったん地上に出てるんじゃない?」

「階層主の戦いに参加しないのか」

「いやいや、【ヘカトンケイル】が拒否るでしょ。指揮系統ごちゃるし。それに、もし【極氷】が前線に出張ったら、巻き添え喰らって最悪氷漬けだしね。上級探索者は戦闘の規模が違うから」

「そうなの?」

「うん。その気になれば、あの水上都市の湖全部一瞬で凍り付かせるくらい楽勝じゃない?」

「ひぇ」


 エッセが身震いする。同感だった。そんな女に一度は命を狙われたのだから。


「それくらい称号持ちはやばいの。世界最大のこのダンジョンにおいて偉業を果たしたとセフィラ様に認められた証だからね」

「リム。喧嘩売っちゃダメだよ?」

「いや売ってないって」

「リム口悪いし。喧嘩っ早いしちょっと心配」


 エッセは触手の先っぽを指でくるくると弄りながら心配そうな顔で見てくる。


「さすがに相手は見てる」

「処世術としては正しいけど、それちょっとダサいよ?」

「自殺行為はしないって意味だ」

「それさぁ、リムが言っちゃう?」


 言ってて確かにと自分でも納得した。自殺行為なんて日常茶飯事だった。

 死ぬことは怖くない、死ぬ以上の恐怖はない。

 そう思いつつもやっぱり目に見える恐怖の対象――階層主やら【極氷フリジッド】なんかはどうしても怖い。怖いもんは怖い。仕方ないことだ。


「第二階層まであとどれくらいなんだ?」

「リムは行こうとしたことあったんじゃないの?」

「門前払い喰らったし、ルートが前と違うからな」


 前回行こうとしたときはルートで言えば今日より短かった。当然、時間で言えば接敵していない分今日のほうが短いけども。

 迷路構造は本当に厄介だ。行きは良くても帰りのルートは別になることが多々ある。下層と上層を行き来しないといけないことも少なくない。

 ランドマーク代わりの【水上都市】が無ければ、地図なしだと本当に迷って帰れなくなるだろう。


「いまは八割くらいかなー。次、下層に下りたらそのまま第二階層に行けるんじゃない」

「おっけ。しかしそう考えるとエッセの能力はほんと便利だな。地図いらず奇襲警戒いらず」

「だよねぇ。エッセの能力ってパッシブ? アクティブ?」

「ぱっしぶ? あくてぃぶ?」


 エッセに教会の用語使ってもわからんだろ。


「簡単に言ったら勝手に発動してるのか、自分で意識して発動してるのかってこと」

「えっと、一応意識的にかな。魔力を使ってるよ」

「疲れないの?」

「ダンジョンにいると魔力の回復も早いから。普通にしてたら大丈夫。でも怪我してたりしたらちゃんと意識しないとダメかな。ほら、この前サリアがウルに助けてもらったとき、私気づけなかったから」

「ああ、サリアがすごすごと遁走したときか」


 にぱーと笑って脚蹴られた。馬鹿力め、加減しろ。


「まっ、それならエッセは第二階層に言ったら基本感知最優先でお願いするね。前衛はあたしとリムで務めるから」

「奇襲頻度が高いのか?」

「それはおいおい。階層間の通路で話すわ。今日は下見みたいなものだしね」


 俺たちはこのまま歩を進める。何度かの交差路を過ぎて、突発的な地形変化に迂回させられながらも下層への階段があと少しというところまで来た。


「……ウル?」

「どうした?」

「人間の臭いがするって。しかも複数」

「言葉わかんのか」


 そりゃ、ダンジョンだし俺たち以外の探索者もいるだろう。

 ただ、ウルがわざわざサリアにそういう警告をするってことは、それなりの意味があるってことなのか。


「【ヘカトンケイル】の捜索隊か?」

「あー、ううん、ちょっと嫌な感じ。複数のパーティが明らかにこっち向かってるって。一応、【水上都市】抜けた辺りからいたみたい」

「……エッセはわからないんだよな?」

「うん。人は感知対象にはないの。あの足が侵食されてた人はダンジョンに深く繋がってたからわかっただけだから」


 複数でほぼ同時にこちらに向かってくる探索者。心当たりはあった。


「酒場で男が言ってたエッセを狙う奴か」

「この感じ間違いなさそう。こっちの動き捕捉されてるっぽいよ」


 歩は止めず、ウルが鼻を利かして警戒してくれる。一応まだ遠くではあるらしい。


「で、どうすんの?」


 サリアが立ち止まって腰に手を当てて俺を見る。一瞬意図を測りかねたけど、すぐに理解した。

 パーティ結成の発案はサリア。だけど、第二階層に行く理由は俺にある。だから行動の決定権が俺にあるのは至極当然だ。

 一瞬考えようとしたけど、決まっていたのかすぐに答えは出た。


「仕方ない。出発前に決めた通り、第二階層行きは中止だ」


 酒場で情報を貰ってから、何もしてこなかったわけじゃない。

 アシェラさんを通して教会にも報告はしておいたし、仮に襲撃があった場合は逃げに徹することも事前の打ち合わせで決めておいた。


「へぇ、意外。あんたなら、このまま行っちゃうと思った」

「教会からは管理しろって言われてるからな。身の安全は確保しとかないと」

「照れ隠し」

「うるさい」


 サリアのからかいを無視して、気落ちしているエッセに向き直る。


「ごめん、リム。私のせいで」


 肩を落とすエッセの萎びた触手を引っ張ってやった。面白いくらい背筋をピンと伸ばして目を瞬かせる。


「そもそも、第二階層の探索はお前がいること前提だ。だからこうなった以上仕方ないし、お前は一切悪くない。横槍警戒しながら探索なんてできないしな」

「そ。リスクケアは探索者の義務だから。その判断をリムが下せたのが意外だけどねぇ」

「しつこいな」

「ふふっ。今回ばかりは褒めてんの。でも今後のこと考えると、敵の姿は一目しておいたほうがいいんじゃない?」

「黒幕が出張るか?」

「失敗は一度や二度じゃないかもしれないわよ。エッセが三日後教会と何するのか知んないけど、その日にもう手の届かないとこに行くとしたら、今日以外仕掛ける日ある?」

「……階層主か」


 言うが早いか、サリアが指を鳴らして俺に指を差し、次に地面を差した。


「そ。【ヘカトンケイル】の階層主討伐で戦場になりえるから、普通の探索者たちは外に出てる。目が少ないのよ、いまここは」

「……このまま進んで迂回してダンジョンの外に向かおう。その途中で背後に置いた追跡者の姿を確認するってことで」

「ウルの嗅覚とエッセのマッピングをすり合わせる必要があるけど、どうする?」


 確かにエッセには正確な追跡者の位置を把握してもらわないとルート決めが難しいだろう。その都度確認のため足を止めていたら追い付かれてしまう。

 最悪なのは迂回した結果、行き止まりに追い詰められてしまうことだ。エッセのマップ把握もその距離に限度があるためだ。


「……」

「どうする?」

「……エッセ。もし魔力が大量にあったら、お前の感知範囲を広げたりなんてことできるか?」

「それって」


 察したエッセに俺は頷き返す。

 俺の無駄に流れ出る魔力。これをありったけエッセに注げば、感知範囲も広げられるのではないかと思ったのだ。


「やったことないからわからないけど、うん。やってみよう。でもリムは大丈夫? 魔力いっぱい使っちゃうかも」

「気にするな。どうせこのあと帰るんだし」


 俺は手を差し出す。エッセは恐る恐る俺の手を握った。

 柔らかく吸い付くような、肌と肌が隙間なく密着するような感触。指の皺の間にさえ入っていくような、人肌ならざる触り心地。

 それ故に気持ち悪かったんだけども、そこを越えてさえしまえばずっと触れてさえいたくなる。

 ただまぁ、顔が緩みそうになるから少なくともサリアの前では必死に耐えないといけないのだけども。見られたら絶対からかってくるだろうし。


「じゃあやるね」

「うん」


 吸い付く感覚が比喩じゃなくなった瞬間だった。気怠い感覚を覚えてそのとき、俺はもうそこにはいなかった。

 代わりに見た。

 全てが際限なく広がる世界を。

 暗く深淵のソラに無限に浮かぶ泡沫が、消えては生じ枝分かれし続ける世界を。

 ここを俺は知っている。自分の存在すら溶けてしまう、沈みゆくだけの場所。

 俺がダンジョンと繋がるときに見た、夢と現の境界線上の世界だ。

 そして一際輝く泡沫の星。遠くに光を見た。光。何度も目にした俺を浮上へと導いた温かな光。その正体を見るため、手を伸ばせばそれはもう目の前にあった。

 際限なく枝分かれしていく泡沫が確かな輪郭を象っていく。

 これは――。


「っっっぶはっ!?」


 エッセの手を弾いて、俺もエッセも一緒に尻餅をついていた。


「はぁはぁはぁ」

「はぁ……っ、なに、いまの?」


 エッセはいつもより青い顔をしていて、多分俺も同じなんだろう。お互い手の震えを確認して、自分の身体に異常がないか調べる。

 どうやらエッセも同じものを見たらしい。身体に異常はないけれど頭が少しクラクラする。ダンジョンで気絶していて目覚めたときの感じに似ていた。

 取り込まれかけてたのか?


「なになになに。手を繋いだと思ったらいきなり離して転んで。何がしたいの?」

「俺にわかるか。けど……エッセは平気か?」

「う、うん。大丈夫。でも、いままでこんなことなかったのに。なんていうかすごく変。気持ち悪かった。自分が溶けて広がっていくみたいで」

「だな」


 エッセに同意する。ただ、ダンジョンと繋がるのと似ていた、とまでは言えなかった。


「さすがにもう一度するのはちょっと怖いな。悪かったな、エッセ。変な提案して。普通にやろう」

「ううん。ごめんね。リムのほうこそ大丈夫だった?」


 問題ないと頷く。似たようなことは経験済みだ。

 それと同じことが起きたことが俺の疑問をとてつもなく加速させるのだけど、いまはそんなことに考えを割いている余裕はない。


「いまできる範囲で囲まれないルートを決めるね」

「ほい、こっちの地図に大まかな敵の位置の印つけたから、それとすり合わせて」

「うん。ありがとうサリア。敵を後ろに置いていく形で立ち回ればいいんだよね?」

「そ。正体は知っときたいからね」


 敵の正体がわかり、エッセのことを狙う存在について確証が得られたなら教会からも何らかのアクションを取ってもらえる可能性がある。


「……ウル。前に一人?」


 さっきまでは歩きながらサリアに伝えていたウルが立ち止まって、伺い立てるようにサリアの顔を見上げる。狼の表情なんてわからないけど、確かに警戒心のようなものが見え隠れしていた。


「変な感じする。多分そのヒト、何か持ってる。アーティファクト?」

「エッセってアーティファクトも感知できるの?」

「うん。ダンジョンから生まれたものが対象だと思うから。でも嫌な感じ。なんていうか、力が渦巻いてる。地図で言うとここだよ」

「疑似じゃない、ってことか」


 ダンジョン産のアーティファクト。

 疑似アーティファクトと違い、ダンジョンによって生み出された、強力な神秘物。


「下層行く道に張ってるわね。そいつも一味だとしたら面倒そう」

「どうして?」

「アーティファクトを扱うには資格がいるの。厳密には違うんだけどレベル制限ね。そのアーティファクトが形成された階層とのパスを得てないとダメなのよ。まだこの階層のならいいけど、もっと下のだとしたら」

「相当強いってわけか、ったく。面倒な位置にいるし厄介だな」


 ちょうど、下層へ行くための坂道がある場所だ。

 ここで立ち止まる状況は普通に考えて、何かと戦っている、あるいは仲間を待っているかだろう。だけどこのタイミングだ。

 そもそも現在モンスターの数は激減している。

 誰を待っているかにしろ、状況的に俺たちを追っている奴らと考えるのが自然だ。


「最悪を考えるなら躱したほうが良さそうじゃない?」


 背後から迫っていることも考えると行ける道は一つしかなかった。

 下層への道を避けて、鉱床樹海の岩窟を道なりに進む。そのときだ。


「なんだこれ」

「地震?」


 不意にダンジョンが揺れた。地震、というよりはピシピシと亀裂の走る音の伝播。振動となって伝わっている感じ。


「って、あいつらいつの間にか走り出してるって! 早く移動しないと追い付かれ――」

「ダメ!」


 踏み出しかけたサリアをエッセは叫んで止める。いままで聞いたことないくらいの警告の声。切羽詰まっているのがわかるように、髪の触手がピンと跳ねて周囲をその瞳で見渡していた。


「いま、ダメになっちゃった」

「何が」

「この先の道全部、崩れる道になっちゃった」


 エッセの言葉にハッとする。

 さっき揺れた割に近くでダンジョンの構造変化が起きた様子がなかった。だけどあの亀裂音。足裏に伝わる細かい振動。通路の地面自体が変化した。硬い材質から、脆い材質に。

 もし崩れて落下したら、下層へ真っ逆さま。あの足が取り込まれた女性探索者みたいになりかねない。


「チッ、引き返すしか」

「……いや、もう無理みたい」


 サリアが面倒くさげにため息をつく。

 振り返れば、無遠慮な足音が響いてくる。少しの猶予もなく、ぞろぞろと探索者たちが俺たちの道を塞ぐようにやってきた。

 数にして十数人。どいつもこいつも下卑た笑みを浮かべて、エッセのことを見据えている。

 悪い予感は大当たり。どこのギルドか示す紋章もない。寄せ集めか、あるいは隠しているか。顔を覚えるのは骨が折れそうだ。

 しかし、相手のことがわかっても逃げられないと話にならない。この数を正面から突破するのは骨が折れる。

 サリアに目配せする。頷いてくれた。こっちで一番強いのはサリア。そして機動力があるのはウル。


「あたしが突っ込んで場をかき乱すから、その隙に抜けて。ウル、エッセを頼むわよ」

『……ゥゥ』

「心配しないの。どいつもこいつもあたしよりは弱いって。それくらい見ればわかる。包囲を突破したらすぐ戻って来てね」

「悪い、サリア」

「あんたは自力で逃げなさいよ。逃げ遅れたら笑ってやるわ」

「わかってるよ」


 ちょっと感謝しようと思ったらこれだ。口の減らない奴め。


「リム……」

「大丈夫」


 エッセが心配そうに、罪悪感の伴う表情でこちらを見てくる。手が震えていて、それを安心させるべく俺は笑う。多分、ぎこちないけど。

 それに逃げの目はある。あっちの狙いはエッセだ。つまりエッセを追って、戦力は分散する。それなら俺も逃げられる可能性は十二分に高い。サリアもいるしな。ムカつくけど心強い。


「よし、じゃあ行くぞ……いまっ――」

「なんだ? まだ捕まえてねぇのか」


 声がした。

 心臓を鷲掴みにされたのかと錯覚した。


「は?」


 自分のものじゃないような、驚愕と憤激の声が漏れていた。

 有象無象の探索者たちを掻き分けて、恰幅のいい長身の男が姿を見せる。

 その顔を見た刹那。思考の全ては吹き飛んでいた。

 眠りについていた憎悪がいま、目を覚ました。

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