023:もう少しだけ
水上都市の建造物内は微かな光もない暗闇だった。
建物自体がほとんど不透過の黒や灰色の鉱石で形成されており、内部にダンジョンの主な光源である根もないためである。
「あー、噂には聞いてたけど本当に暗いわね。そりゃ奇襲されたら一たまりもないし、行く意味もあんまりないわ」
「うん。おかげで私は探索者の人たちにずっと見つからずに済んでたんだよね。モンスターもほとんど来ないし」
「エッセには見えるんだ?」
「うん。大丈夫、足元には出っ張りとかもないよ」
エッセには建物内の様子が隅々まで見えていた。家具もなければ調度品もない。ただ道と部屋があるだけの角張った箱庭がこの建物の正体だ。
暗闇でも見ることができたのはエッセの網膜の奥にタペタムと呼ばれる反射板が存在するからだった。それが極々僅かな光すらも集めて網膜へ反射することで暗闇でも正確な視覚情報を得ることを可能にしていた。
エッセの瞳が暗闇の中でも玉虫色に光る理由の一つがそれ。玉虫色である理由はまた別にあるが。
例えるなら、猫やフクロウの目と同じである。もっとも、エッセの場合は擬態能力を無意識的に駆使することで完全な闇の中でも活動が可能であった。これは他のモンスターも持ち合わせていない能力で、この建物内でエッセがモンスターに捉えられることは一度としてなかった。
「まっ、あたしは文明の利器とやらを使いますか」
サリアが赤いコートの下から出したのは掌サイズの小型の球体物。指で弄っていると、球体の亀裂部分から白く発光し始め、全体に光が灯った。
「これ、この前リムにぶつけたやつ?」
「そ。本来は目潰しに使うんだけど出力を抑えればこうやって使えるの。まっ、ダンジョンだとあんまりやんないけどね」
確かにダンジョンでは根が至る所にあり、透過する鉱石がそれらを吸収してさらに乱反射しているため、明るさに程度はあれど視認性に問題はほとんどなかった。
夜目の利くエッセが暗いと感じるのもここくらいである。
サリアが発光球アーティファクトを腰ベルトの網部分に潜り込ませる。
「便利だねぇ」
「他にもいろいろあるよ。すっごく大きい音出るのとか」
「こ、ここでやらないでね?」
「あはは、しないしない。んじゃ、行こっか。初デート」
「さっきも言ってたよね。デートって?」
「うっふっふーデートってのはね」
薬にも毒にもならない話を交えて、しばらく歩き、サリアが立ち止まる。
エッセもそれに倣って立ち止まった。モンスターの気配があったというわけではなかった。しかし、何故サリアが立ち止まったか。その理由もすぐに察した。
「ここくらいでイイでしょ。さすがにリムには聞こえないって。地獄耳でもないだろうし。どっちかっていうと鈍感な部類だろうし」
「わかって、た?」
恐る恐る尋ねる。顔の下部分を白く照らされたサリアの口元が意味ありげな笑みを象る。
「あたしたち、デートするって仲じゃないでしょ? こう見えても弁えてるつもりだから」
「…………」
「リムに聞かれたくない話がしたかったんじゃない? リムの話聞いてる間、ずっと何か思いつめた顔してたし。あいつは気づいてなかったみたいだけど」
エッセはおもむろに頷く。寝室に案内したいなんていうのは嘘八百だ。この建物に寝室なんてものはない。一つだって決まった寝床なんてない。いつだって、モンスターの唸り声に怯えて隠れて息を殺して休んでいた。
心休まるはずの寝室なんてダンジョンにあるわけがない。
「サリアにお願いがあるの?」
「お願い?」
「うん。私がいなくなったあともリムと一緒にパーティを組んで欲しいの」
エッセのお願いの内容に、サリアは訝しむように片目を閉じる。
「言ってる意味がわからないんだけど、何? エッセどっか行っちゃうの?」
「うん。詳しくは話せないんだけど、本当はリムと一緒にいるのは二週間だけなんだ。あと三日」
「リムは知ってる?」
「知ってるよ」
「開闢祭の始まり前後。教会絡み、か」
その通りだけどエッセは答えなかった。サリアも確認しているわけではなかったのだろう、無言のエッセに追求はしてこない。
「でもなんで私?」
「……一番信用できるから、かな?」
「あたしくらいしか知ってる人がいないの間違いじゃない?」
口角を吊り上げて図星を突いてくるサリアを苦笑いで躱す。確かにエッセが頼れる相手はクリファにはいない。それこそ、サリアを除いて。
「でも、リムとサリア仲悪くないでしょ?」
「ずいぶんと好意的に見てくれてんのね。いやまぁ、良い悪いってより、似てる部分があるから苛つくって感じかな。あっちもそうでしょ。憎いかって言われたらそりゃ全然。ウルもリムのことは気に入ってるしね。ムカつくけど」
「うん、だから一緒に」
「でも無理」
エッセの望みを被せて潰すように、サリアは一言で拒絶した。
さっきまであった浮ついた雰囲気はなくて、真剣そのもの。はっきり無理だと切り捨てる。
「どう、して?」
喉がひくつく。言葉を得る前の状態に戻ってしまいそうだとエッセは思った。必死に擬態を維持した。震える触手を握って止めた。
「もしウルかリム、どっちかしか助けられない状況になったら迷わずウルを選ぶから」
その簡潔な一言に、心臓が握りしめられたかとエッセは錯覚した。
サリアは明言したのだ。
同族の人間ではなく、テイムによって仲間にしたモンスターの命を優先すると。
「あたしはそういう人間。人間よりも身内のモンスターを優先するの。そういう取捨選択がすでに済んでる。誰と組んだって変わらない」
「で、でも一度リムとパーティを組んだって」
「自分に似てるって思った奴がどんななのか確かめたかったってだけ。結果かなりの地雷だったけど……ま、あたしが言えた義理じゃないか」
サリアは肩をすくめて来た道を引き返そうと歩き始める。
「ま、待って」
「エッセ、今回あたしのパーティ入りをリムに勧めたのこれが目的だったでしょ」
サリアはまるで全部を見透かすように、厳しい眼光を突き刺してくる。今度こそエッセは言葉を紡げなくなった。
「あたし、モンスターのあなたに興味はあるけど、その中身に興味はないんだ」
「っ!」
「だからリムを守りたいなら自分でなんとかすることね。擬態ばっかしてないで」
独り残されたエッセは下唇を噛んで俯くことしかできなかった。
どんな剣よりも鋭く痛いもので貫かれてしまった。
正論と現実を突きつけられて血反吐を吐いたとしても、それでもまだ目を逸らすことしかできない。
全てをつまびらかにしてしまえば、それでもう終わりだから。
もう戻ることはできないから。
「…………」
ずっとこのままが続けばいいのに。
そう擬態しかけた思考をエッセは握りつぶして、サリアのあとを追いかける。
あと三日。その三日だけだから。
もう少しだけ目を逸らさせて。
エッセはただそう祈った。
―◇―
明らかに何かがあった。
エッセとサリアが戻って来てから二人の様子……いや、サリアはいつも通りだけどエッセの様子が少しおかしい。
病的な白い肌でわかりにくいけど、いつもの覇気が感じられなくなった。寝室見に行くと言い出した割に戻ってくれば消沈している。そのくせ向こうでの話をしようとしない。
「おい、向こうで何があったんだ?」
「んー? 別になんもないよ。楽しく暗闇デートしただけ。なぁに? そんなに行きたかったの?」
「じゃなくて。エッセの様子が変だろ。お前なんかしてないよな?」
少し遅れて後ろを俯きがちに歩くエッセのほうを差して言う。
だけどサリアは口元を緩ませながら、目を細めるだけだ。
「随分過保護じゃん」
「はぁ?」
「ちぐはぐ。リムってエッセのことほとんど知んないでしょ」
「……お前よりは知ってると思うが?」
これは多分強がりだった。サリアにも読まれたみたいでますます笑みを強くして、それが俺の苛立ちを加速させる。
「じゃなくて。知ろうとしてないよね。なんか意図的に知ること避けてんじゃない?」
「そんなことは、ない……と思う」
「そ。まっ、期限付きの関係だから一線を保つってのもわかるけど。でもやっぱりちぐはぐじゃない。大切なのか、利害関係だけなのかって」
「やっぱりお前、なんか言ったろ」
俺の言葉は無視して、鼻歌を歌いながらダンジョンの悪路をスキップするサリア。くるりと回転してこっちを見ながら、赤い獣使いは言う。
「リムぅ、知らなきゃ大切にできないよ」
――そんなことわかっている。頭に浮かんだ言葉は喉を越えていかなかった。
知る機会を失した経験はすでに味わっていて。それが生む結末も知り尽くしていて。
だというのに、俺は同じ轍を踏んでいる。そう、踏み続けている。いまも。
そして足を上げるのは、もうこのすぐあとだった。
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