xxx:泡沫の夢6


「ただいま」


 ちょうど話し終えたところで、エッセがぽつりと呟く。

 返事はなく、水の弾ける音だけが俺たちを出迎えるように反響していた。


「着いちまったな」


 巨人が住まうような仰ぎ見るほどの高い天井、その中央に空いた大穴から零れ落ちる滝のような水が飛沫を上げている。

 それを一身に浴びるのは巨大な構築物の群れ。

 ――【水上都市】。

 第一階層において二つしかない大部屋ハウス。窓とドアのない穴の開いた建物群が密集した場所だ。

 水上都市と呼ばれるのは建物たちが水に水没しているから。第一階層の川は全てここが始点となっている。そして下層にもここに似た構造となっていて、ちょうど鏡合わせのようになっていたはずだ。そこが第一階層のもう一つの大部屋である。

 一応中央の建物群には沈んだ建物の屋根を足場にして簡単に行けるけど、採取できるような目新しい素材はないというのが探索者間の共通認識。しかも建物内は暗く、モンスターの襲撃にも遭いやすいというおまけ付きだ。


 だから探索者はあまりここに近寄らない。

 でも俺が近寄らなかったのは、ここがシェフィの裏切られた場所だからだ。

 俺のせいでダフクリンに刺されてしまった場所だからだ。

 いやでも自覚させられる。俺のせいでシェフィは死んだのだと。だから避けていた。

 一応、ここで死んだわけじゃないから、ダンジョン接続をする必要はなかったとも言えるけど、そっちは些細なことだ。


「…………」


 当然、あのとき撒き散らされた血は一滴たりとも残っちゃいなかった。

 ただ、隆起した地面などがあって、地形は多少変わっている。それ以外は変わりない。


「じゃ、第二階層行く前の最後の休憩挟みましょっか。リムもお疲れみたいだし」

「俺は全然、てかまだ話は」


 終わっちゃいないと言いかけた俺を、サリアが手を上げて制した。しかも意地悪な笑みじゃなくて、目尻を下げた優しい笑みで。

 俺は呆気に取られて言葉を紡げずにいると、サリアは肩をすくめて言う。


「自分の過去を話すってのはもう一度それを経験するのと一緒。だから疲れるもんなのよ。辛いことならなおさらじゃない?」

「お前、本当に頭打ったか?」


 妙に優しいのが気味悪い。それとも本当に気遣って?

 だが、サリアはエッセの肩を抱き寄せてにんまりと相好を崩した。


「いーのいーの、その間、あたしとエッセでデートしとくから。湖畔デートとかロマンチックじゃない? それに、残りの話ってなんやかんやあって助かったとかでしょ? ここにあんたがいるわけだし」


 前言撤回。やっぱりこいつはサリアだ。


「じゃあ、サリア、私が寝てたところ案内したげよっか?」

「え! いいのっ!?」

「おいおい、エッセ」


 心底心配なんだが、エッセはなんてことない風に笑う。


「大丈夫。あそこにモンスターはいないよ」

「そうなの?」

「うん。根がないから。モンスターが産まれないよ。たまに迷い込んでくることはあるけど」

「あー、そうなんだ初めて知ったわ。そっかぁ、じゃあ喋るモンスターの話題出てたときにここ探してたら、私のほうが先に見つけられたんじゃない? あーもう悔しい」

「まだ言ってんのかお前」


 水上都市内のモンスターよりも隣のサリアのほうが心配なんだが。

 ある意味、サリアもモンスターだろ。


「じゃあ、リムはここで休憩してて」

「いや、やっぱ俺も」

「ダメダメ、リム。女の子の寝室に男が入るとかNGだから」

「は?」

「髪触るとか、バストサイズを揶揄するとか最低の所業だから」

「……お前、結構根に持つタイプだよな」


 というか、やっぱり女性の髪を触るとかダメだよな。良かった。俺の判断は間違っちゃいなかった。


「ウル置いてくから、水の補充とかよろしくー」


 ひょいひょいっと蛙かと思うくらい軽やかなジャンプで屋根の足場を飛び移っていく二人。

 俺が呆れながらその場に胡坐をかいて座ると、俺の背と脚を囲うようにウルが横たわる。


「難儀な主人を持ってお前も大変だな」

『…………』


 頭を撫でると心地よさげに鼻を鳴らして、腕に顎を乗せて瞼を閉じた。

 ここはあの日シェフィが刺された場所。

 けれどその痕は何も残っていなくて。

 過去すら取り込まれたかのように、水上都市に落ちる滝が湖の水面に波紋を広げるばかりだった。


「なんで俺だけ助かったんだろうな」



―泡沫の夢6―


『』

『』

『』


 夢を見た。

 俺がなくなっていく夢だった。

 そこには全てがあって、全てが一つで、個はなかった。

 俺は大海の水滴であり、砂漠の砂粒であり、森の木の葉だった。

 希釈され、混入し、回帰した。

 俺は消えた。全の一部になって何者にもならなくなる。

 声が出ない。言葉がまとまらない。考えが泡沫に消える。

 俺は誰か。誰が俺で、ここにあるのは何なんだ。

 わからない。わからないこともわからない。

 消える。融ける。全部かき混ぜられてぐちゃぐちゃになっていく。

 ――はずだった。


『』

『』

『――』


 声がした。光が見えた。

 俺を呼ぶ声。知っている声。闇の中で一筋だけ差しこみ、俺を掬い上げようとする光。

 あれを知っている。何か知っている。

 行かないと。手を伸ばさないと。

 必死に闇を漕ぐ。もがいて手を伸ばす。

 助けるんだ。光を。彼女を。大切な人を。

 俺はその光を掴んだ。


『!』


 その光は溢れんばかりの閃光を放ちながら一振りの剣を形作った。

 刀身に翡翠に輝く樹状の文字が刻まれた儀礼剣だ。


『そうだ』

『これはあの人が』

『シェフィが握ってた――』


 その剣から溢れんばかりの輝きが俺を呑み込む。それは俺をこの世界から追い出すように浮上させた。


『待って! 違う、ダメだ! 嫌だよ! シェフィ、やめて!』


 光の剣が俺を引き上げていく。腕が千切れそうなほどの強さなのに、手は離れてくれない。

 全しかないそこに取り残されたシェフィを置いて、俺は浮上していく。

 その闇にシェフィの姿は見えなくても、声が聞こえた気がした。


『君は生きて、ね』

『シェフィ! シェフィーーーーーーーーーーーーー!』


 伸ばした手はシェフィに届いてくれなかった。




 俺は一命を取り留めた。いや、傷なんて一つもなかったらしい。

 ダンジョンで気を失っていた俺を、師匠が地上まで連れ帰ってくれたのだ。

 そうして俺は、家族を失い、故郷を失い、シェフィまで失った。

 残ったのは自分の身一つだけ。

 教会から色々と聴取を受けたけど、相手の満足のいく説明なんてできなかった。シェフィが誰なのか俺すらわかっていないんだから。

 そのときは、帝国の大規模侵攻もあったらしく、クリファは混迷していてそれ以上追及されることもなかった。

 帝国について特に思うことはなかった。恨む相手であるはずなのに。どうでもよかった。

 シェフィが生きようとした理由だったから、今の俺に意味なんてない。


『お前を引き取ることになった』

『誰?』

『お前をダンジョンから地上まで持って帰ったのが私だ。名前はない。だから師匠と呼べ』

『え、師匠、え、なんで……嫌です』

『口答えするな。これは決定だ。大人しく頷け』


 師匠は黒いローブに三角帽子といかにもといった魔女の風貌をした俺よりも小さい女性だった。それと反比例するように尊大だった。

 三白眼の悪い目つきに、有無を言わせない口調。だけど、困惑や恐怖よりも無関心のほうが勝った。

 でも俺の無関心よりも師匠の強引さの方が何枚も上手だった。

 犬か猫みたいに腰を抱きかかえられ、馬車に放り込まれ俺はクリファを出ることとなった。


『お前が見た場所は【フラクタルボーダー】だ』


 師匠の話を最初こそ無視して馬車に揺られていた。けれど、すぐに俺は食い入って聞くことになる。


『世界樹の、ダンジョンの全てが集まる場所の境界線。お前たちはそこに行った。お前は戻って来て――』

『――シェフィは戻って来れなかった……もしそこに行けばシェフィを助けることができる、ってことですか?』


 僅かに俺の内側に火が灯る。


『さてな。【フラクタルボーダー】の存在は実在すると言われているが証明されていない。取り込まれずに行く方法は言わずもがなだ』


 それでもと俺は身体が震えた。どうでもよかった命に意味が芽生える。あの日闇に塗れていた俺に光が差し込んだ気がした。


『もう一度、会いたい。僕はシェフィに会いたい』

『どこにあるとも知れない御伽噺の場所を、この世界で最も危険なダンジョンで探してか?』

『それでも。僕にはそれしかないから』

『そうか』


 師匠はそう言って、揺れる馬車の中で笑う。地獄へ誘う悪魔の笑みだ。


『私には力がある。何十年とダンジョンへ潜り、生きて帰って来た実績持ちだ。さて、そんな私がお前を預かってやろうと言っている。何か言うことは?』


 子供の姿の癖に、何十年? という疑問は浮かばなかった。

 俺は即座に頭を下げていた。恥も外聞も何だって要らない。いま必要なのはダンジョン探索するための力。シェフィを助けるための力だけだ。


『俺を強くしてください、師匠』


 そうして俺は魔女と契約した。

 修行の日々は地獄だった。

 基礎体力、身体作り、体捌きに剣術の基礎。

 いつの間にか習得していた【無明の刀身インタンジブル】を最低限、剣へと形作れるようにするなどなど。

 こればっかりは思い出したくない。口の悪い体型貧相生活習慣最悪の暴力女との修行の日々は最悪だったから。何度も死にかけ、その度に無理矢理蘇生されて地獄を何度も味わった。

 ただ村では勉強なんてほとんどしなかったから、読み書きや数字を学ぶことは楽しく、天国のような時間だった。

 だからこそ時間が過ぎ去ることに焦燥に駆られ、隠れてクリファへ向かったことはあった。ダンジョンを目前にして捕まり、より激しく扱かれたけど。


 修行の日々はおよそ五年。身体の成長がほぼほぼ止まった頃、ようやく師匠にクリファへ向かう許可をもらった。

 止まっていた時間がようやく動き出した気がした。

 でも無為ではなかった。師匠のおかげで俺は、いまもダンジョンで死なずに済んでいる。

 何度死にかけても立ち上がる。死んだら、【フラクタルボーダー】の先でシェフィと再会する。

 だから俺は怖くない。何も。


 夢はこれで終わり。ここから先を夢で見ることはない。

 シェフィと再会するまでは。

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