022:静謐のダンジョン
第一階層鉱床樹海キムラヌート。
床から壁、天井まで様々な鉱石で形成されたダンジョンで、樹氷のように枝分かれした特殊な形の鉱石が無数に連なり、時間経過で自己破壊自己形成を繰り返して、答えのない迷路を生み出している。
運が悪ければ袋小路に閉じ込められ、そこをモンスターに奇襲されるなんて罠もあるけれど、モンスターのみならずダンジョンの地形まで感知できるエッセのおかげで迷路に迷うことはなかった。
「フッ!」
鋭爪との剣戟を制し、身体を反転させてオアスパイダーの間合いの内側に入り込む。蜘蛛の怪物は距離を保とうと脚を動かそうとするけどもう遅い。
白刃を煌めかせ、オアスパイダーの首を一刀の下に斬り落とした。最後の悪あがきもなく、残された胴体は力尽きて地面に落ち、そのままダンジョンに吸収されていく。残ったのはオアスパイダーの爪だけだ。
「よし、と」
それを拾おうとしたとき、天井に隠れ潜んでいたもう一匹のオアスパイダーが飛び掛かって来た。
けど、慌てる必要はない。
「よいしょーっと!」
こちらへ疾駆してきた銀狼の相棒ウルに乗ったサリアが、片手斧を戦斧かと見紛うほどの勢いで振り抜いた。
落下するだけのオアスパイダーにできるのはその頑強な鋭爪で防ぐことのみ。
しかし、その自慢の爪も斧に真っ向から打ち砕かれ、軌道を逸らすことすら叶わず、轟音鳴らす赤雷の一閃に胴体を弾き飛ばされオアスパイダーは絶命した。
「相変わらずの馬鹿力」
「えー、それが助けてもらった相手に言うことぉ?」
赤いフードの中で意地悪く笑むサリアを見ず、俺は銀狼に向き直る。
「うん、ありがとなウル」
「おいおいおーいリムぅ?」
「ウルが動かなかったら助ける気さらさらなかったろ」
「ありゃバレてた。まっ、お礼なんて気持ち悪いからいらないけどね」
舌を出して意味深な笑みを浮かべるサリア。こんなやり取りはもう何度目か。
ここは通路と
「リムー、サリアー、そっち行ったよ!」
と思っていたけど追加が来たみたいだ。
エッセの警告とともに結晶柱の陰から、黒茶色の鉱石のようなものが現れた。
大きさは成人男性の胴体程度。しかも、浮いている上に周囲には小石のようなものを纏っている。
「珍し、クレイエレメンタルじゃん」
「なんだそれ。モンスターか?」
「もち。下層の奥らへんでたまーに出てくる奴。色々厄介で、あっ、魔石光った。リムぅそこ飛び退いたほうがいいよ」
「っ!?」
足の裏を小突かれるような感覚を覚え、飛び退いた刹那。甲高い金属音を鳴らして鉱石の杭が俺のいた場所を突き上げた。
しかも本体と同色に発光する度、離れた場所を杭が突き刺そうと迫ってくる。
クレイエレメンタル。
他のモンスターとはまた異質で、魔力を宿した無生物のモンスターと言うべきだろう。
遠隔攻撃を放ってくるサリアの言う通り厄介なモンスターだ。
「距離取らされるとジリ貧だから踏み込んだ方がいいよっと!」
ウルの高速移動で肉薄しようとするサリアだけど、魔石が瞬けば今度は杭でなく鉱石の壁が形成された。さらに周囲の結晶柱と結合し、俺たちを取り囲んでいく。
「おっとぉ、こいつ賢いじゃん。長生きしてんな?」
「ウルなら駆け上れんじゃないのか?」
「いやいや、壁もあいつの魔法の支配下にあるからね。下手に行ったらグサッよグサー」
「なるほど。じゃあ」
俺は壁に向かって駆けた。後ろを見ると呆気に取られたサリアがいて、俺は挑発するように鼻で笑ってやる。
そして、迫る壁に向き直り、駆けながら拾った小石をそのまま壁に向けて投擲した。
衝撃を受けた壁に岩の杭が走る。思った通り。
ここはクレイエレメンタルからは完全に死角だ。なら何に反応するかは限られる。接触反応か音による感知。あるいは魔力。
しかし一つ目が正解。どう動くか決まった。
「【
翡翠の魔力粒子を流形の鞭へ変え、せり立った杭に引っ掛け、引き戻すとともに跳躍する。細い杭はすぐに折れたけど、壁を越える役目は果たしてくれた。
下方。クレイエレメンタルの姿がある。目が合った気がした。魔石が瞬く。
「させるかっ!」
『!?』
剣を投擲して瞬く魔石を打ち落とすと、自身の浮遊にも影響があったのか、モンスターの身体が揺らいだ。
左手の鞭を魔力へ還元、再形成、固着、形はシンプルにして強固。使い慣れた柄の握り心地は頭の中に入り込んでいる。
【無明の刀身】によって形成された剣を振り下ろし、瞬く別の魔石を叩き斬る。着地。この間合いでも反撃が来ない。
混乱したようにふらふら揺れるクレイエレメンタルへ、振りかぶった翡翠剣を振り下ろそうとしたときだ。
「誰も対処できないって言ってないでしょうがっ!」
「いっ!?」
壁をぶち抜いてきたサリアが獣の如く牙を剥きだしにして、片手斧を振り抜いた。刃が俺の顔面スレスレを通過し、混乱しているクレイエレメンタルの本体へ甲高い音を鳴らす。
『――――――――!!』
もはや爆発四散。クレイエレメンタルはサリアの馬鹿力の前に粉々に砕け散った。
トドメを横取りしたサリアがドヤ顔でこっちを見てくる。
「ふぅん! どうよ」
「……脳筋女め」
「んだとぉ!? あたしのどこが脳筋女だ!?」
「あの壁ぶち破っといてどの口が言うんだ。ったく、死ぬかと思ったわ」
クレイエレメンタルを粉々に粉砕する斧で顔面に振り抜かれたら……考えたくもない。
「んー、残念残念。もう少しでリムをもっとイケメンにしてあげられたのにね」
「来世の顔に期待ってか、やかましい」
クレイエレメンタルに形成された壁も自重で崩れていく。壁の向こうで暇そうにウルが欠伸していた。
「そういえば、あんたの魔法って剣以外にもできるんだ?」
「できるけどイメージしにくいのはどうしても強度がな」
イメージが曖昧で薄くて細いと脆い。その日の調子にも左右されるから困ったものだ。
「ふぅん。じゃあ、いまの触手はイメージしやすかったってことかぁ」
「はぁ? 触手じゃねえよ」
「触手じゃん。エッセの」
「……」
……。
あれ、そうなのか? いや、しなる鞭をイメージしたはずだけど。
でも確かに、エッセの伸びてしなやかな触手はさっきの鞭にしっくりくる。
「無意識にイメージできるって、どんだけ家で触手に触ってんの? やーらしー」
「っ、お前な……!」
「リムー。回収終わったよ。どうしたの?」
「あ、エッセ、ありがとっ! そっちは大丈夫だった? 怪我無い?」
すでに撃破済みのモンスターの素材回収を任せていたエッセがやってくる。
しかし、触手か。
伸ばしたり、巻きつけたり、別の物に変化させたりできる器用な触手。
俺の魔法との類似点は確かにある。
「あれ、エッセ。それ、クレイエレメンタルの魔石じゃない?」
「うん。あれ、魔石を全部取っちゃえば簡単に倒せるから天井にぶら下がってたらほとんど攻撃もされないし。楽々だったよ! 一体そっち行っちゃったけど、大丈夫だった?」
「「……」」
サリアと顔を見合わせる。不本意だけどお互い気持ちは一緒だった。
エッセのほうが一枚上手だ。
さすがに俺の魔法もそんな真似はできない。
素材回収を終えて、再びダンジョン探索を進める。
目指すのは第二階層。だから基本的にモンスターとの戦いは避けるようにしていた。
だけど、思った以上にモンスターの数が少ない。エッセの索敵にもほとんど引っかからずかなりスムーズに進行できていた。
ただし、サリアが観察と称してエッセの周りをぐるぐる周りながら歩くから、予定よりちょっと遅れ気味だけど。やはり組むべきじゃなかったか。鼻息鳴らして気持ち悪いし。
「なんだかモンスターの数少ないね」
エッセも同じことを思ってたらしい。
前屈みになって、下からエッセのスカートの中身を見ようとしているサリアを蹴飛ばして止める。
「何すんのよ」
「こっちの台詞だ。やめろ変態」
「変態じゃないわよ。だって気になるでしょ触手の生え際! 肌と触手の変わり目色のコントラスト肌の質感はどんななのかしらもちもちむちむちぷりぷりだったりねぇエッセお姉さんに少し触らせてみない気持ちよくしてあげるむぎゃっ」
「マジでいい加減にしろよ」
「うぃーうぃーリムぅ、顔怖いよ。冗談だってばフード引っ張んないで首締まるからっウル助けてー」
『バウッ』
そっぽ向かれてやがる。
エッセから十二分に離してからフードを解放してやった。
「もうっ、リムがいないときじゃないとろくに観察できなさそうね」
「エッセ。嫌なら断っていいからな。嫌じゃなくても断れ」
「あはは……えっと、そっちよりもどうしてモンスターの数少ないのか知りたいなぁって」
「おっ、ならお姉さんが教えてしんぜよう」
ずれたフードを戻し、セミショートの金髪を手櫛で整えながら、サリアはしたり顔で緋色の瞳を細めた。
「今日は階層主の討伐にギルドが出てんのよ」
「階層主の討伐? なんだっけか、ラスター……だったっけ?」
「そそ。階層主討伐の手順って知ってる?」
俺は首を横に振る。エッセも同様だ。
「エッセはともかくあんたは知っておきなよ。仮にも探索者でしょ」
「いや、階層主に興味ないし。というか、結局あれから一度も襲われてなかったから、もう討伐されたもんだと思ってた」
「私は生きてるのは知ってたけど、近くで感知することもなかったし。何も言わなくてもいいかなって」
サリアが呆れたように肩をすくめる。
「【フラクタルボーダー】狙いだもんね、あんたは。まぁいいや。簡単に説明すると、階層主の強さは生存期間と、その階層に存在するモンスターの数に比例すんのよ」
「数に? 無数に産まれるんじゃないのか?」
天井を仰げば、壁を覗けば、足元を見下ろせば、脈動する青白い光脈の走る根が大なり小なり生えている。いまもそこから、このダンジョンのどこかでモンスターが産まれ落ちているだろう。
「第一前提として、階層主=その階層ってこと。これはわかる?」
「ああ。階層主はその階層と緊密に繋がってるとかなんとか」
「そ。で、階層におけるモンスターの数の上限は決まってて、死ぬとアトランダムに再出現するわけ。正確な上限が幾つかは教会も計れていないらしいけど」
「それって強制?」
「強制。ただ、階層主が自分の意思で『ここに出ろ』ってことはできるみたい」
いわゆる『仲間を呼ぶ』というやつか。
「他にも地形弄ったりとかね。さすがに壁で圧殺! とか大掛かりなことはできないみたいだけど」
「それされてたら、あのとき俺もエッセも逃げきれてないな」
「だね」
「で、階層全体のエネルギー総量は決まってて、モンスターを産み出す度に消費するのね」
「それは、モンスターを倒しまくれば階層主を弱体化させられる、ってことか?」
「そ。逆にそうしないと異常にタフな上に再生能力もあるから、二つ下の階層のダンジョン探索を楽にこなせるパーティが複数ないとまず無理。だから今日、教会から指定されたギルドとそのおこぼれに預かろうとした一部のギルドがダンジョンで片っ端からモンスターを狩ってんの」
「だからモンスターの姿が見えないんだね。こんなに静かなダンジョン初めてかも」
「朝からやってるはずだから、もうあらかた狩り終えてんじゃない」
静謐な結晶洞窟を歩けど、モンスターと遭遇しない。まるでダンジョンではない別の場所に迷い込んだかと錯覚するほど静かだった。
「……ん? もしかして一日ずらしたのって、このためか?」
「リムの割に察しがいいじゃん。そ、いちいち足止めされんのも面倒だしね」
「一言余計だ」
「しかも件のギルドは【ヘカトンケイル】で、指揮を執るのは【
その名に俺もエッセも苦虫を潰した顔になる。あいつか、エッセを問答無用で殺そうとした最上級探索者。
「リ、リム。ダンジョンだから問答無用、とかないよね?」
「さすがにその気ならもうやってるだろ」
「もう階層主の捜索に動いてるだろうし、あたしたちなんか無視されるって。今回、新人に階層主討伐の経験をさせるからって、本人は前線に出ないみたいだし」
最上位ギルドと言えど、後進の育成に余念がないと。強いわけだ。
「でもなんで、【ヘカトンケイル】なんかが第一階層の階層主討伐に? 明らか過剰戦力じゃないか?」
正直言って、階層主ラスターと【極氷】どちらが怖かったかと言えば後者だ。前者は逃げられる余地があったけど、【極氷】はその暇すら与えてくれない気がした。
事実、【ヘカトンケイル】は第四階層から下の階層をメイン探索域としているそうだ。
「さっきも言ったけど今回の階層主隠れるのが異常に上手いのね。五年も見つからなかったわけだし」
「アシェラも言ってたね」
エッセの言葉に頷く。五年か。
「でもあんたたちが襲われてようやく存在確認できたから、討伐隊を出したけど全部スカ。【開闢祭】で探索者の卵も増えるだろうし、確実に階層を弱体化させときたいのよ、教会は」
「なるほどな。ちなみに、帰り道も楽しようとしてるだろ」
「もち。日が変わる前に決着つくだろうし、あたしたちが帰る頃には“フリータイム”突入よ」
抜かりないな。
「フリータイムって?」
「あ、知らないのね」
「階層主がやられると、階層の動きが止まるんだよ。地形変化もないし、モンスターも動かなくなって再出現ストップ、採取とかもし放題。俺は経験ないけど」
「五年討伐されてないからねぇ。あたしも第一階層のは一度しか経験ないわ」
ふとエッセを見る。こいつもモンスター、なんだよな。
「それってエッセも動けなくなったりしないのか?」
「んー、確証もっては言えないけど大丈夫なんじゃない? モンスターの活動が停止するのは新しい階層主が産まれるまでで、支配者がいないからだから。エッセは操られてるわけじゃないし」
「ウルとかは?」
「ウルは元より第一階層の子じゃないけど大丈夫。シスターの加護で、魔法で繋いだあたしとのパスを確立してるから。階層主の影響は受けないの」
「なるほど。つまりエッセはそれなしで支配を受けてないってことか……つくづく訳の分からんモンスターだな、お前」
「ひゅーひゅー……」
横目にエッセを見ると、下手な口笛を吹いている。
「うん。興味深いよねー。デミショゴスだっけ? 物への擬態能力、ダンジョン物質に対する感知能力、テイム無効で他には何ができるの?」
「わかんない。どれもダンジョンにいたときに自然とできるってわかったものだから」
「可能性の宝庫じゃん。いいねいいね。もっと探そう、エッセのできること。うっふっふーたーのしーなー」
鼻歌交りにスキップするサリアに、俺とエッセは肩を竦めながら顔を見合わせて、そのあとを早歩きで追った。
このあと、先が壁に塞がれていたため、一度下層へ下り、もう一度上層へ上がった。
リアルタイムで迷路構造が変化する第一階層は、場合によっては上層と下層を行き来しなくちゃいけないから面倒なことこの上ない。それもエッセのおかげで最小限にできているけども。
ただ。
「……なぁ、本当にあそこ通るのか?」
「中央抜けてったほうが近道なのさっき地図見て確認したでしょ」
そうだけどさ。
「リム、この前も行くの避けてたよね」
「う」
俺が返答に窮したことを目聡く察知したのか、前屈みになったサリアが殴りたくなるほど腹立つにやけ面で見上げてきた。
「なぁに? どうして? 気になるじゃん」
「いいだろ別に」
「当てたげよっか。あれでしょ、シェフィ、だっけ? あんたが捜してる娘関連じゃない?」
「!」
俺じゃなくて、エッセが驚いたように触手と背筋をピンっと伸ばす。
サリアの口ぶりは確信めいていて、幾らはぐらかそうとも無駄に思えた。
「……はぁ、そうだ。そうだよ。色々あった場所だから、避けてた」
「リム」
「そういえば、あんたとその娘の間に何があったのか私は詳しく知らないんだけど。エッセはあのあと聞いたの?」
「え、えっと……ううん」
ああん? とドスの効いた声とともにサリアにジト目で睨まれた。
確かに有耶無耶にしていた。聞かれなかったし。進んで話したいことでもなかったし。
「口下手もここに極まれりっていうか。なんていうか。悠長にしていい場所じゃないけどせっかくだしさ。全部話せば? あたしに聞かれたくないなら、先行ってゆっくりしとくけど?」
「珍しく気が利くな」
「でしょ」
「でもいいよ。お前にも迷惑かけたわけだし、一人に聞かれようが二人、と一匹に聞かれようが一緒だ」
この道の先でかつて起きたこと。
シェフィとの最後の日を語る。
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