021:いってらっしゃい


 今日はいつもより目覚めが早かった。

 カーテンを開ければちょうど日が地平線に顔を見せた頃合い。目を覚ます人、まだ寝ている人、これから寝る人とが入り混じる時間帯だ。

 ただ今日はいつもより起きている人が多い気がした。朝風に混じって人の音が窓を叩いている。

 部屋を出ればエッセもちょうど起きたらしい。寝ぼけ眼な触手をゆらゆらさせて覚束ない足取りのエッセが出てきた。


「あぁーリムーおはよー」

「おはよう。寝癖……か、それ? ひどいな」

「えぇー?」


 エッセは自分の髪を肩越しに見下ろす。黒紫色の髪は竜胆の花飾りで止められておらず、滝のように広がって足元に届いていた。

 ただ、その髪の一部がぴんっと跳ねている、というより踊っていた。うねうねと。

 エッセは眠気なんてどこへやら、慌てたように後ろ手で髪を束ねようとしたが、うねる触手髪に逃げられて上手くできないみたいだった。


「こっ、これは違うのっ! 寝起きで擬態が甘いだけだからっ!」

「あー、服もなんというか、擬態が甘いみたいだぞ。少し肌が見えてる」

「え、あっ、うぅ、見ないでぇ、戻ってぇ」


 裸見られるのは平気な癖に寝癖は恥ずかしいらしい。モンスターの価値観は本当にわからない。


「仕方ないな。ほらっ、手」

「手?」

「魔力。声だって治ってたし、寝癖くらいすぐ治るだろ」

「ああ! なるほど!」


 エッセが俺の手を握ってくる。女性特有の丸みのある柔らかい感触。触手もそうだが、吸い付いてくるようなソフトな触り心地は手も同じだった。

 別に下心があったわけじゃないと、誰にでもなく言い訳をしてしまう。

 しばらくすると寝癖になっていた踊る髪の毛が大人しくなった。どうやら髪も寝ぼけていたらしい。

 エッセが髪をかき上げるようにして束ねると、その一部が独りでに竜胆の花飾りに擬態する。そうして肩甲骨辺りの位置で髪を一本にまとめた。

 そしていつも通り、先端の幾本かが触手になる。俺に礼でもするように鎌首をもたげた。


「おお、上手くいったぁ。ありがとね」

「どういたしまして」

「ん、待って? どこ触っても同じならついでにリムに髪を束ねてもらえばいいのかな?」

「いいわけあるか。自分でやれ」

「ええー。だって朝起きてすぐだと触手に逃げられちゃうんだもん」

「お前まで師匠みたいなこと言うのか……」

「リムのお師匠さん……う、あの部屋をすごく散らかしてた人と私が、一緒?」


 さすがに嫌だったのかエッセはテキパキと居住まいを正す。もういつでも外に行ける装いだ。

 朝食を取るため、俺たちは一階に下りる。


「聞いてなかったけど、お師匠さんってどんな人?」

「小さい。口悪い。雑。面倒くさがり。メシマズ。大酒飲み。サディスト」

「あー、リムの口の悪さってお師匠さん譲り?」

「……さぁな。それから、クッソ強い」


 そこだけは唯一手放しで賞賛できるところだ。そこしかないとも言う。


「んー。お師匠さんみたいなのは嫌だけど。やっぱり梳かしてもらいたかったな」


 長い髪を掴んでぶらぶらと俺に見せてくる。髪というか、触手というか。


「別に誰にだっていいわけじゃないんだよ? リムが私に背中預けてくれたみたいに、ね」


 はにかみながら、エッセは俺の横を通り抜ける。

 背を向けた彼女の髪が俺の頬を撫で、風のないここで無防備に宙を舞った。


「……っ」


 伸ばしかけた手を慌てて下ろす。


「残念。触っても良かったのに」


 髪の触手、その先が瞳になっていて俺を下から見上げている。

 謀られた。一つも言い訳が思いつかない。


「……今日はサリアと第二階層行くからな。飯食ってすぐ行くぞ」

「うんっ」


 上機嫌になったエッセの鼻歌を聞きながら、もしもその黒紫の髪を毎日梳くことになったらと夢想する。

 けれど、それはきっと叶わない。

 セフィラ様との謁見の日。

 三日後の開闢祭が始まれば、エッセと俺の生活も終わる。そういう予感があった。


 ―◇―


 街はいつもより人通りが多く賑やかだった。

 メインストリートに出れば、街路にはみ出る形で組み立て途中の屋台が散見していた。その資材を運ぶためか荷馬車も忙しなく、緩やかな坂を行き来している。


「なんだか人いっぱいいるね。あれって何の準備をしているの?」

「開闢祭の準備じゃないか? 結構大きい祭みたいだし」


 祭ともあれば、人も集まりやすく商売チャンスのかき入れ時だ。この屋台は祭本番に向けての準備なのだろう。

 街の上空を走るロープウェイもフル稼働で荷物を運搬している。


「お祭り……人がいっぱい来るの?」

「そりゃ来るだろうな。俺は見たことないけど、世界最大のダンジョン都市だし」

「この道が全部人で埋まる……とか?」

「いやぁ、さすがにそれは」


 ないと思ったけど、【ガーデン】に向かうため探索者がよく使うこの道ですら外国人らしい旅装の人がすでに多く行き来していた。

 下の新市街からはいつもと違う喧噪が聞こえてくる気がする。


「リム。祭が始まったら一緒に街まわろ? 少しだけ! ちょっとだけでいいから!」


 祭の熱に染まりつつある街に、エッセも少し感化されたらしい。でも、初めての祭を見てみたいという気持ちはわからなくもなかった。

 初めて尽くしのエッセにとっては特にそうだろう。


「別にいいよ。その代わり、今日の探索頑張るからな」

「うんっ!」


 わかりやすくエッセの顔が明るくなって頷く。触手を隠しもせず、スキップまでしかねないくらい軽妙に空を踊った。


「それに聞いた話だと、古今東西、祭のときは色々とぼったくり価格になるらしいからな。いまの内にダンジョンで稼いどかないと何も残らん」

「……世知辛いね」


 現実に引き戻されたエッセが苦笑いを浮かべる。触手ももうスキップできなかった。


 ―◇―


「ふ、ふへへ、ご、ごめんなさ、ごめんなさい……い、いい、いっぱい待たせちゃって、ごめんなさい……!」


 受付に来るなりアシェラさんが平謝りしてくる。カウンターに額を擦り付けんばかりの勢いだ。

 十分ほど待たされたのは確かだけど、そこまで平謝りされるとこちらが逆に申し訳なくなる。


「いいよいいよ、なんだか教会の人たち皆忙しいみたいだし」


 シスターが忙しなく行き交い、怒号にも似た声が飛び交っていた。あちこちへ指示を飛ばすシスター、口早に応対するシスター、台車一杯の素材を運ぶシスターなどなどなど。

 担当のシスターが捕まっていない探索者も俺だけじゃないみたいだ。小耳に挟んだ話だと、小一時間は軽く待っている人もいるらしい。

 いつもの優雅さはどこへやら。死闘を繰り広げるが如く見えない何かと戦っていた。


「み、三日後に開闢祭だから……、えへ、諸外国から人がいっぱい入国してて、その対応で人手が足りてなくて」

「アシェラ、大丈夫? 顔色悪いよ?」

「あ、これはいつもだから……大丈夫。ありがとう、エッセさん、えへへ」

「エッセでいいよ」


 いつも顔色悪いのは確かだけど、疲れ切っているのは間違いなさそうだった。

 この忙しさ、やっぱり開闢祭絡みだったらしい。


「さすがに書庫で寝落ちしてないよね?」

「き、気を付ける……それでリムくん、今日は?」

「否定しないのか。あ、えっと、サリアと一時的にパーティ組むことになったから、第二階層に行くよ」


 一昨日サリアの提案を飲んでから、本当は昨日にでもアシェラさんに伝えるつもりだったんだけど、忙しかったらしく捕まえられなかったのだ。


「サリアさんって、あのサリア・グリムベルトさん……? この前、襲われたんじゃ」


 アシェラさんが危惧するのもわかる。探索者同士の問題だからサリアには言えないけど、サリアの担当シスターには文句を言いに行こうとしてたみたいだし。

 まぁお門違いだから全力で止めたけども、それくらい怒ってくれたのは嬉しかった。

 だけど、これについては解決済みだから俺はエッセと一緒に経緯を説明する。


「もう第二階層……? どうして?」

「第一階層じゃもう伸び悩んでるから。そろそろ行こうと思ってたし、サリアがいたら確実な探索もできると思って」

「え、エッセ、さんは大丈夫なの?」


 不安はまだ拭いきれないようで、手をもじもじさせながらアシェラさんはエッセに尋ねる。


「うん。サリアが悪い人じゃないのはわかってるよ。襲われたからこそ、味方だと頼もしいってわかるし」


 そこに関しては俺も肯定して頷く。ただ少しばかり特殊な嗜好の持ち主なだけだ。

 釈然としない風だったけど、アシェラさんも「二人がいいなら、うん」と納得してくれる。


「で、でも、別にリムくんは伸び悩んでないと思う、な……むしろ、早すぎだし」

「まだ第二階層は早いと思う?」

「ん。んん。サリアさんがいるなら大丈夫……だと思う、でも、二人にとって初めての階層だし、だ、第二は第一と全く異なる環境、出現モンスターで、知識がまだ少ない状態で向かうのは……だから、えっと、うぅ……」


 アシェラさんは俯いてしまって「ごめんなさい」と呟く。


「わ、私がもっと、リムくんにちゃんとアドバイスできたら……こうしたらって言えたら、ダメなシスターで、ごめんなさい……」

「大丈夫。俺は充分アシェラさんに助けられてるから」

「うんっ! それにリムのことは私が守るから! 安心して、アシェラっ!」

「……え、えへ、ふふ、ふへへ……そ、そう、ですよね。リムくんもエッセさんもお強いですから。信じる。でも、絶対に、絶対に、無茶だけはしないでね。危なかったら逃げてね。生きて帰ることが探索者の一番の戦果だから」


 俺もエッセも頷く。なんだかんだ、俺が今日まで生きて来られたのは、口酸っぱくずっとこの言葉をかけられてきたからかもしれない。

 そう思えば、アドバイスはずっとされている。死ぬことは怖くないし、躊躇いはないけれど諦めずにいられるのはアシェラさんのおかげでもあるのだ。


「アーシェーラー?」


 突然、アシェラさんの背後に一人の女性シスターが立ったかと思うと脇下に手を通してその豊満な胸を公衆の面前で揉みしだき始めた。


「ひぃゃぁあああああああ!?」

「いっつまで世間話に花咲かせとんじゃ爆乳シスター!」


 そのまま立たせると、その金髪吊り目のシスターはこっちを睨んでくる。


「もういいわよね?」

「えっと、でもまだリムくんとお話が」

「開闢祭の影響で来国者増加の検問でシスターの人員割かれてる上に新規探索者登録も増えるし来国者がクエストバンバン貼ってくるからその受注発注管理とダンジョン素材の管理の手間も爆増極めつけはクソッタレの帝国が国境にまで進軍してて対応のためにギルドへの依頼の選定友好国への根回しその他通常業務も山積みで全然片付いてないんだけどまだ世間話続ける?」


 圧巻の高速詠唱にアシェラさんも何も言えず大人しくなった。


「いいよ、アシェラさん、伝えときたいことはそれだけだったし。多分帰るのは夜になると思うけど、もし間に合ったら【祝福】よろしく」


 アシェラさんが同僚シスターの魔の手から逃れると、ぎこちなくはあるけど微笑みかけてくれた。


「いってらっしゃい」

「いってきます」

「いってきます! アシェラもお仕事頑張ってね」

「うん、ご武運を」


 無事を祈って送り出される。それだけで本当に充分だった。

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