xxx:泡沫の夢4


 シェフィと出会って一週間と数日。

 その間に幾つかの山と森を超えた。村や街に寄ることもあった。

 いま思えば、結構な強行軍だったと思う。当然、馬を休ませる必要があるから小刻みに休憩を入れていたけど、山とかはモンスターの危険もあってすぐに抜けたし、街の滞在時間も長くても半日。補給を終わらせればすぐに経つこともあった。

 当時の俺にはかなり厳しいはずだったけど、外界を知らない俺にとっては初めての連続過ぎて、疲れる暇がなかったとも言える。

 疲れより、初めて見るものへの驚きのほうが勝っていた。

 馬車を粉砕しかねないほど巨大な角を持つ鹿のモンスターの襲撃。それを剣で切り伏せたダフクリンには初めて感謝した。その晩の鹿鍋は癖が強すぎて食べるのに難儀したけど。


『リム、きちんと食べないと明日の旅の元気が出ないわよ』

『わかってるけど……シェフィだってあんまりお肉に手を付けてないよね?』

『わ、私はあまり食べすぎてはいけませんから』

『おう、無理に食わなくていいからな。余りは次の村で金に変える。その金でお前らの飯を用意する気はないがな』


 要するに黙って食えってことだった。

 シェフィとダフクリンの関係は不思議だった。叔父と姪の関係らしいけど、それらしい気安さはない。もっと他人行儀だ。

 二人旅にしては荷物も多くない。最低限の旅の荷物だけ。それにシェフィの持ち物の中には布でぐるぐる巻きにされた棒状のものもあった。武器? シェフィが戦う? でもあの状態だと戦えないし。

 二人は不思議だらけだったけど、それこそ初めてだらけの旅で聞く暇がなかったのだろう。


 話に聞く大海を思わせるほどの巨大な湖の畔にある街では、初めて見る人の数に圧倒されっぱなしだった。ずっとシェフィの後ろに隠れていて、ダフクリンの野次が飛んできたことを覚えている。


『男の癖にみっともねぇ』

『仕方ないでしょう、ここまで大きな街に来るの初めてなのですから。私も城下に降りたときはそうでしたし。それに、リムはこうだからいいのです』

『うっ』

『慰めになってねぇぞ』

『へっ?』


 その日の間ずっと機嫌を悪くしていたな。


『リム、せっかく久しぶりの街なんだからお風呂に入ろう』

『は、入らないよっ! 男だからっ!』


 ガキっぽさ全開で、シェフィには弱く見られたくないって思っていた。みっともない。

 ……いや、いまもそう変わらないのかもしれない。


 それから、自然に咲き誇る、俺の村全域を覆いつくさんばかりの広大な花畑の脇を通り抜けたこともあった。シェフィが熱烈に休憩を所望していたけど、ダフクリンがバッサリ『ダメだ』と切り伏せていたな。

 花を一輪摘んで来ようかとシェフィに聞いたけど、彼女は少し迷って首を横に振った。


『皆で一緒に咲いているんだもの。一人だけ連れていったら可哀想じゃない』

『……うん』


 特に何かを思ってした返事じゃなかったけど、シェフィは違う意味で捉えたらしい。

 ハッとした顔になって、気まずそうに俺から目を離していた。

 昔はわからなかったけどいまならわかる。きっと村から離れることになった俺とその花を重ねていたんだと思う。

 そんな必要ないのに。

 俺が花なら、俺は俺の意思でシェフィを飾ろうとしたってことだ。家族と離れ離れになっても、そうしたいと思ったからしている。

 シェフィが罪悪感を覚える必要なんてない。

 でも、その日からシェフィの様子がおかしくなったように思える。


 その日、俺は寝込んでいた。

 疲れを感じなかったと言っても、半月近い強行軍はまだ十の俺には厳しかったのだろう。

 疲労の蓄積で精神的に参ったせいか、突然村での惨劇がフラッシュバックしたのだ。

 そのせいで馬にも乗っていられず、川沿いの林道で小休止を挟むこととなった。

 久しぶりの悪夢だった。あの日の再現が夢の中で行われた。何度も、何度も何度も。まるで忘れることを、逃げることを許さないとでも言うかのように。


 目が覚めたときには日は頂点を超えていて、傍にいたのはダフクリンだけだった。

 全身寝汗が酷く、シェフィが傍にいなかったことに夢のとき以上にパニックになりそうだった。

 だけど、そうなる前にダフクリンが川の上流にシェフィがいると教えてくれた。すぐに駆けだしていた。

 嫌に涼し気な空気を吸っては吐いて、悪夢の残滓を振り払ってシェフィを探す。

 シェフィはいた。声をかけようとして、俺は止まった。


『ッ、ひぅ、うっ……ぅぅー』


 溢れ出る涙を気にも留めず、嗚咽を噛み殺しながら、川で手を洗うシェフィがいた。

 何度も何度も、何度も何度も何度も、強迫観念に駆られるように、その白い手を何度も川の水で洗っていた。


『……シェフィ?』

『ッ!?』


 声をかけた瞬間、俺は息を呑んだと思う。

 何故かシェフィが俺のことを怖がったから。

 近づけなかった。まるで俺たちの間に壁ができてしまったかのように。


『ぅぁ、ごめ、なさい、ううん、違う、違うのっ。ハッ、はっ、は、はぁ……』


 過呼吸になりそうな自分の胸を押さえて、シェフィは必死に息を整えようとしている。

 断続的なか細い息は徐々に整っていって、微笑みを浮かべると俺たちの間にあった壁が消えた。

 いや、多分見えなくなっただけなんだと思う。ずっと前から、最初から壁はあったんだ。

 俺はそれに気づけなかった。


『シェフィ、大丈夫?』

『ええ。もう大丈夫。ごめんね』


 シェフィの頬には涙の痕があって、声もまだ上擦っていた。

 触れてしまえば脆く崩れ落ちてしまいそうなほど弱々しくて、まるで俺を呼んでいたあの日のように、その言葉と表情の裏側で助けを求めているように俺には見えた。


『どうしてシェフィが謝るの? 悪いこと何もしてないのに』

『ッ!』


 くしゃっとシェフィの顔は歪んで、その瞳がまた濡れそうになる。

 違う。そんな顔にしたいわけじゃないのに。


『シェフィ。苦しいことがあるなら僕に話してよ。僕にできることなんて、ないかもしれないけど、シェフィの力になりたいんだ』


 助けを求めてくれたら何かできる。このときの俺はそう思っていた。


『……ありがとう。でも少し家を離れて長いから寂しくなっただけなの。だから、大丈夫』


 シェフィは笑顔で辛さを隠す。

 大罪を背負いながらも、その重さをおくびに出すことも許されない咎人のようだった。

 助けを求めてはいけない。甘んじて受けなくてはいけない。自分がこうなのは仕方ないのだと、シェフィ自身が諦めているように見えた。


『さぁ戻ろう、リム。リムも目が覚めたばかりなんだから』


 シェフィは顔を服の袖でごしごしと拭くと、俺の手を引っ張ってダフクリンの元へ歩いて戻る。

 それ以上のことはもう聞けなかった。

 だけどここで全てを聞いておけば、俺はシェフィにもっと何かしてやれたのかもしれない。

 この夢を見るたび、俺はいつもそう思うのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る