013:ほぐれる触手、ほぐれぬ心


「ごめんね、リム。足引っ張っちゃって」


 溜め池までの道中で露骨にしょぼくれているエッセが頭を落としながら謝ってくる。

 まるでいつものアシェラさんみたいだ。触手でそれまで真似しなくていいから。

 ただ、まぁ。足引っ張られたかどうかで言うと、今回はそうでもない。


「お前が他のモンスターの足引っ張ってくれたおかげで、大きい方を一人で倒せたからな。そこは気にしなくていい」

「……ありがと。怒られちゃうと思った」


 ふにゃりと笑うエッセ。糸で触手がほとんど見えなくなって、本当に人間のようにも見えた。いや、うん。モンスターだけどもっ。


「さすがにそんな姿に追い打ちかけるほど鬼畜じゃないって。それに大きい方から糸嚢胞しのうほうも獲れたし」


 糸嚢胞。液状の糸が入ったオアスパイダーの内臓のことだ。

 かなりの大物だったし、オアスパイダーの糸は丈夫だから、加工すれば色々な武器や防具の素材になる。つまり高く売れる。

 【祝福】でステータス向上の種にするか悩みどころだ。


「……リム、ゲンキン?」

「万年貧乏だからな……本当、どこで覚えたんだその言葉」


 なんて話していると水流の音が聞こえる。

 細い一本道を抜けてやや開けた場所へ出た。鉄鉱や水晶、色とりどりの樹海が広がる場所で、緩やかな流れの小川を見つけた。といっても真っすぐな川じゃない。

 ダンジョンの地面はなだらかじゃなくて、場所によっては高低差、亀裂による段差とかがあるから、その低い場所をぐねぐねと水が流れているといった感じだ。

 当然、やや深い穴もあって、そこには水が溜まる。

 水自体の透明度は高くて、綺麗だ。

 ダンジョンの水は飲めるし、なんなら外の川の水よりも綺麗な場合が多い。ダンジョンの侵食効果がいい意味で働いているとかなんとか。

 まぁ、魚の一匹もいない状態が健全かどうか言われれば疑問だけど。


「近くに敵はいるか?」

「……大丈夫。いないよ」


 エッセが一瞬だけこちらから意識を手放し、俯く。空気が変わった気がした。ダンジョンの静謐が全体に広がるような、飽和するような不可思議な感覚。

 けれどそれも一瞬で、エッセはいつものように笑顔で答える。


「つくづく便利だな、その力」

「ふふ、リムのお役に立てて嬉しいよ」


 便利どころじゃない。探索者なら喉から手が出るほど欲しい力だろう。

 モンスターから不意打ちを受けず、遠くから位置と数を把握できる。それだけで生存率はぐっと上がる。それにエッセ自身もダンジョンの構造を熟知していて、十二分に戦える。

 一人でやってきたときよりも段違いで探索効率がいい。

 二時間の探索程度で、俺のリュックに三割、エッセ用に新しく買ったリュックには半分程度、道中で狩ったモンスターの素材が入っている。エッセのは糸に塗れないようにいまは俺が持っているけど。


「じゃあここにするか」

「湖……じゃなくて池、というより水溜まり?」

「人ひとり入る分にはちょうどいいだろ」

 

 俺はサイドポーチの耐火ポケットから魔炎石を取り出す。ややオレンジ色がかった不透明の赤い石だ。


「あ、燃えるやつだね。赤くて綺麗だし好きだよ、それ」

「知ってるのか」

「弄ってたら火傷しちゃったから二度と触りたくないけど」


 心なしか触手が警戒心を露にしているような気がする。


「それどうするの?」

「こうする」


 二個の魔炎石同士を何度か弾かせ合うと、鮮やかなオレンジ色へ発色する。右手袋越しでも熱を帯びていくのを感じ、そのまま持っていたら火傷は免れない。

 俺はすぐに魔炎石を池へと放り投げる。魔炎石から気泡が昇るのを見ながら少し待つと池から湯気が出てきた。

 つまるところ簡易風呂。掌サイズの魔炎石だから火力も鍋の水を沸かす程度のものだけど、池に入れればちょうどいい湯温になる。


「わぁ、わぁあ! 湯気が! お風呂だ!」

「オアスパイダーの糸はお湯なら取れるから、さっさと入って洗って出てこい」

「うん!」


 飛び込む、かと思いきやエッセは風呂の淵に座った。

 指先で湯音を確認して大丈夫だとわかったのだろう。うんと頷いてから、爪先をゆっくりと湯に浸し、沈めて膝、太ももと湯の中へ入れていくと、脚に絡まっていた触手が湯にほどけていった。

 なんというか、無駄に上品。

 黒紫のスカートごと浸かっていくと、オアスパイダーの糸がエッセの身体から剥がれ落ちていく。底の方へ吸い込まれていくあたり、もしかしたら小さな穴でもあるのかもしれない。


「んんっ、ぁあ、すごい気持ちいい~」


 ダンジョンの中だというのに警戒心の欠片もないふやけた言葉が周囲の岩壁に反響する。


「あくまで糸を落とすためのだからな。長風呂するなよ」


 モンスターとはいえ女の子。男の俺が傍にいるわけにもいかない。とりあえず周囲の索敵だけはしっかりとしておかないと。


「わかってるよ~。というか、リムも一緒に入ろ? 気持ちいいよ」

「……頭お花畑かお前は。俺が風呂入って誰がモンスターと戦うんだよ」


 上流、下流、どちらにもモンスターの影はない。突如根から出現することはあるけど、あそこまでピンポイントに不意打ちを決めてくるのは本当に稀だ。とは言え、それが警戒を解く理由にはならない。


「大丈夫だよ。近くにモンスターいないし、出る気配もないもん」

「すぐそこで湧かないとも限らないだろう、が……あ?」


 はっ?


「どうしたの?」


 どうしたの、じゃないが。


「お前、なんっ」

「?」


 なんで服着てないんだ? という言葉は最後まで出て来なかった。

 風呂の淵に手をついて立ち、こっちを見上げてくるエッセ。

 その身体は糸の白さではなく、エッセ本来の肌の白さのみになっていた。

 いや、厳密には白のみじゃない。紫と白でグラデーションがかった皮膚がエッセの身体を波打つように巡り、艶やかに彩っていた。まるで触手を泳がせているよう。美しさとおぞましさを同居させたアンバランスな姿。

 唯一触手の残った首元の宝石【ルーティア】に水滴は滴り、曲線を描く白い肌を滑るように伝っていくと、呼応するように紫のグラデーションを描いていく。

 そして跳ねた水滴は地面へと零れ、ぽたぽたと聞こえるはずのない音が耳に残響する。

 服を着ていたときとは想像もつかない豊満な乳房が、エッセが小首を傾げるとぶるんと跳ねて水滴を弾いた。その先は白い肌と黒紫の触手とは対照的な、淡い色の――。


「服、着ろっ!」


 ギリギリ、なんとかギリギリ目を逸らせた。危なかった。あれ以上見ていたら、モンスター相手に変な気持ちを抱くところだった。


「リム? お風呂で服は着ないよ?」

「お前に入浴マナーを説かれるとは思わなかったよ! 俺がいるんだから着とけバカ!」

「うーん。だって、糸、おっぱいの谷間にも入ったんだもん。糸早く取れって言ったのリムだよ?」


 そうだけどさ。いやそうだけどもさ。


「なのに一緒に入ろとか抜かしたのかお前は。お前に羞恥心ってもんはないのか」

「しゅうちしん? 恥ずかしい? 気持ち悪いって目で見られるのはいやだけど、おっぱいとか裸とか見られると恥ずかしくなるの? あ、それとも私のおっぱい変? 気持ち悪い?」


 なんでそういう話になる。後ろで何かこねくり回すような音が聞こえる気がするけど多分気のせいだ絶対そうだ振り向かないぞ。


「違くてな。モンスターじゃわからないかも知らんけど、世間一般じゃ、男女で普通裸を見せたりしないんだよ。特に上半身、下半身。お前の今の姿は完全にアウトだかんなっ!」

「……そう、なんだ。そうだったんだ、そういうことだったんだ」


 なんでカルチャーショックっぽい反応するんだ。


「わかったら大人しく身体隠して頭の糸も落とせ。というか風呂に浸かれ」


 リュックからタオルを出して適当に置く。絶対にエッセのほうに顔を向けないようにしながら。


「うん。んーっと、よし。もう大丈夫」

「はぁ、それでいいんだ、よッ!?」


 ほぼ目の前。いつの間にか、音もなく這い寄って来ていたエッセがいた。

 一糸纏わぬ姿で。病的なまでに白く、煽情的な肌を見せつけるように。

 エッセは人を煽るような小悪魔のように悪戯っぽく、ギザギザの歯を見せて笑った。

 触手が、エッセの豊満な胸を見せつけるように持ち上げる。


「わかったよ。リムが私の裸を見るのが恥ずかしい、ってことだよね? ううん、照れてるっていうのかな?」

「っ!」

「リムのその顔好きだな。むすっとしてる顔より好き」

「わか、わかった、わかったから見せてくるなっ! 服着ろ、風呂に戻れっ!」


 頭の中がぐちゃぐちゃになる。冷静な思考能力が湯の底に沈められて戻ってこない。


「はぁい」


 大人しく肩まで浸かったエッセ。服は……着てないけど、見えないからよしとする。


「はぁ」

「疲れた? 入る?」

「入らない。ってか、その服そんな簡単に脱げたんだな。触手だからか。どっから生えてるんだ」

「えっと、肌の一部から触手を生やして、盛り上げて薄―く伸ばして身体に広げてるって感じかな?」


 器用なこって。


「頑張って練習したからね。この姿も服みたいなものだから。本当はもっと、もっと…………リムに見せられるようなものじゃないんだ」


 エッセの声音に少し翳りが差す。

 リムのいまの姿も触手が擬態したもので、本当の姿は別にある、ということか。


「あっ、でもこの顔の基本的な部分は生まれたときのままだよ! ナチュラルボーンフェイス! 別の顔にしようとしてもできなかったし! 触手も万能じゃないからね!」

「さいで。まっ、バカでかい巨人のモンスターだって見てんだ。お前がどんな触手モンスターでもそうそう驚かん」

「……うん、ありがと」


 ぶくぶくと泡を噴く音が聞こえる。やっと大人しくなった。

 俺は座って左手をダンジョンにつける。しばらく暇だろうし、ダンジョンに繋がってみようかと思うと、触手が俺の腕に巻き付いた。


「任せて。リムがダンジョンに取り込まれたら、お風呂に引きずり込むから」

「……満面の笑み浮かべやがって」


 本気でやる気だこいつ。目は笑ってない。


「わかったから黙って入ってろ」


 お湯で温まった触手の熱が妙に生々しく感じて、風呂に入ってもいないのに身体は熱かった。

 ちなみにダンジョンに繋がったが、体感五秒で触手に引きずられる感触を覚えて、速攻起きる羽目になった。

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