014:鉱床樹海


「あぁ、さっぱりしたぁ」

「たっぷり十分以上入ったな、お前」

「だって気持ちよかったんだもん」


 病的な肌の白さはそのまま、どこか艶めいていて、黒紫の触手もどこかご機嫌だ。あんな簡易なものでも気持ちよかったらしい。

 まぁ、ダンジョン生活でお湯にありつくなんてまず無理だから当然と言えば当然か。


「それにモンスターは来なかったよね?」

「運良くな」


 実際、モンスターの気配すらなかったから、これ以上は言い返せなかった。いったん地上に戻るよりかはかなり時間を節約できたし。


「さて、どっち行くかな」


 上流か下流か。上流はダンジョンの中央へ向かうルート。下流はダンジョンの端っこに向かうルートだ。別に次の階層に向かっているわけじゃないから、どっちが正解ということはない。


「あ、リム。下流は無理っぽいよ」

「なんで?」

「ほら、あそこ、もう閉じる」


 閉じる。その言葉の意味はすぐに理解できた。

 下流方面から続いていく通路。そこの地面が盛り上がったかと思うと、枝分かれした鉱石の樹が壁のように道を塞いでいった。

 これが侵食と並ぶダンジョンの特性の一つ。

 誰の手も加えられずに、ダンジョンはひとりでにその構造を作り替えてしまう。ああして樹を生やしたり、壁を作ったり、逆に消してしまったり。

 その周期はまちまちで決まった法則はない。常に変化し続け、確立した地図が描かれることを拒むのだ。

 単に樹の形をした鉱石が生えているからではなく、回答のない迷路となっているから、第一階層は鉱床“樹海”だなんて呼ばれている。


 とは言え、ダンジョンの物質は全てが“根”を起点として発生する。だから壁の向こう側、地面の底には根があるし、それらは移動しない。

 だから地図の大枠と特定位置は固定なため、一生同じ場所をぐるぐるするなんてことはない。道の塞がれ方によっては脱出困難になったりするけど。


「お前の感知って、こういうのもわかんの?」

「うん。ダンジョンに繋がっているものの動きがわかるからね。でも人はよくわかんない。多分、ダンジョンから生まれたわけじゃないからだと思うんだけど」

「だから、探索者に見つかったってわけか」


 エッセと最初に会ったときに現れた、ゴロツキ紛いの探索者パーティに追われていたのもそのためか。納得だ。


「でもモンスターとか塞がってる道とかは事前にわかるから! 道案内は任せて」


 エッセが胸を叩くとぼよんと跳ねる。さっきのアレのせいで、妙に大きく見えるようになってしまった。ダメだ、意識しないようにしないと。


「……まあ、お前の庭みたいなもんか、ここ」

「ずっと逃げ隠れしてた実績は伊達じゃないからね!」

「威張るとこかそこ」


 向かうは上流で確定。傾斜はほとんどないから、でこぼこの地面に気を付けるだけだ。

 上流の先、ダンジョン中央には巨大地底湖があって、そこからダンジョンの周辺への川を形成している。

 その湖には建築物を模した建物群が浮かんでいるのだけど、当然誰も住んでいない。


「真ん中に行くんだよね?」

「いんや、行かない」

「え! でもそっちに向かってるよ!?」

「直前で横道逸れる。確か下層への階段があったはずだし。……なんでそんな不満そうなんだ」


 頬を膨らませながら、エッセは大股で俺の前を歩いていく。


「だってようやく案内できるかもって思ったんだもん。私の寝床」

「ね、どこ?」


 ねどこ。寝床って、寝泊まりしてた場所ってことか。


「寝床連れていって何するつもりだったんだお前」


 まさか襲うつもり――いやいや、そんなわけない。

 くそ、さっきのお風呂のやり取りで変な考えが頭にこべりついてしまっている。さっさと取り払わなくては。


「なんだかリムにそこはかとなく警戒されてる気がする」

「……気のせいだ」

「むー。でもホントに何もしないよ。ただ、まぁ何もない場所だから。それ見せて、リムの貸してくれてるお部屋はとっても快適だよって伝えたくて」


 あんな質素な部屋でありがたがるって相当だな。まぁダンジョンで豪華な暮らししてたら逆に見てみたいけども。持ち込んだって即ダンジョンに没収されるだろうし。

 しばらく歩くと川の道から逸れる横道があった。先に進んでいたエッセを置いて、当然迷いなく俺はその道を行く。


「ええーホントに行かないの?」

「行きたがる理由も聞けたし必要ないだろ。“どういたしまして”」

「ここまで心の籠ってない“どういたしまして”は初めて聞いたよ」

「そもそも初めてだろ」

「……リム、真ん中行くの避けてない?」


 横に並んだエッセが三つ、いや四つの目で見てくる。漏れなくジト目。触手の癖に妙に感情が豊か。身体の色白さも含めて、何なら触手のほうが感情表現が得意な気もする。


「今日までずっと真ん中には行ってないし」

「……気のせいだ」

「それさっきも言った」


 耳聡い奴め。

 ああ、ったく。行きたくないのは本当だし、避けてるのも事実だから答えにくい。


「じゃあ代わりに話聞かせろよ。モンスターに襲撃されたりしなかったのか?」

「むむ、あからさまな話題逸らし」

「お前が言えた義理か」

「それはそうだから言い返せない。まぁいっか。んっと、モンスターに襲われるとかはなかったよ」


 意外な返答だった。

 あそこは光源がほとんどないから、探索者が行く場合はランタンとかを用意しないといけない。だから基本、探索者は行かない。


「暗いし道は狭いし入り組んでいるから、不意打ちくらいやすいって聞いたんだけど」

「そもそもモンスターがほとんどいないよ」


 エッセが袖から触手を伸ばすと、それぞれの触手の先端が変化する。

 まるで人形劇の襲われ役と不意打ち役のように見立てていた。

 きょろきょろと辺りを警戒する触手が、背後からじりじり迫る触手にがばっと頭から丸呑みにされて――。

 一本の触手に繋がってしまった。まるで最初からそれらはいなかった、とでもいうように。


「あそこね、広い割に根が少ないんだよ。建物の中とか全くって言っていいくらいだし」

「それは初耳。でもそっか、暗いってことはそうだよな」


 壁や天井を走る根は、モンスターが発生する場所であると同時に、探索者にとってのランタンでもあるのだ。


「まぁたまにモンスターたちが紛れ込むから、不意打ちされるのも間違いじゃないけどね」


 そもそもエッセの能力的に不意打ちは喰らわない。入り組んだ建物内なら余裕で躱せるだろう。


「しかしそう聞くとなおさら行く意味ないな。採取がしたいわけでもないし」


 モンスターと戦うことで疲労状態になって、ダンジョンと繋がりやすくするのが目的だから行く必要がまるでない。

 つまり今後も行かなくていい。


「むー、あそこで繋がったら【フラクタルボーダー】見つかるかもしれないよ」

「それはないから安心しろ」

「むーむー」

「触手の目でうるうると訴えて来ても無駄だぞ。腕にこっそり巻きつけて来て後ろ髪引かれているアピールしても無駄だ。甘噛みやめろ。吸うな」


 エッセの精いっぱいの抵抗を全部拒否して、奥へ進んでいく。

 途中、遭遇したオアスパイダーを二匹、コボルドを三匹撃破したところで、道のど真ん中に穴が見えた。


「下層への階段だ」


 上層に幾つかある下層へ通じる階段。

 ただ、階段といっても鱗ががたがたな蛇が半端にとぐろを巻いたような、そんな不格好な階段だ。それでも上り下りするには十分だけど。


「下層ってモンスター強くなるよね、大丈夫?」

「出現するモンスターの質と数が増えるな」

「危なくない?」

「そりゃ危ないけど、その分実入りがいいんだよ。それに同じモンスターの素材でパス接続するのにも上限があるって言ったろ?」

「あ、そっか」


 上層のモンスターはもう何度となく戦っているけど、下層となると少ない。【祝福】に使ったモンスターの素材は上層が大半で下層はまだまだだ。

 ちょっとでも探索範囲を広げていかないと無駄に時間を過ごすだけ。


「大丈夫。前みたいな無茶はしない。お前という囮もいるしな」

「が、頑張るよ!」

「真に受けるなバカ。冗談だ。数も多くなるだろうし、二人で確実に敵を減らすようにしよう。オアスパイダーのときみたく無理に囮にならなくていいからな」

「うん」


 そうして階段を下りた。そのときだった。


「エッセ?」


 隣を歩いていたエッセが階段を下りたところでぴたりと固まった。

 髪先の幾本かの触手がまるで水中を漂うようにほどけ、周囲に散らばっていく。でも放任されたものじゃなくて、何かを探るような、見定めるような様子だった。

 何より、エッセの表情はいつもの幼子みたいな表情じゃなくて、真剣な、鬼気迫る表情へと変わっていた。


「どうしよう、危ない」

「危ないって」


 周囲にモンスターの影はない。迫ってくる気配もない。また、モンスターの出現を感知したのだろうか。それでも根がぼこりと盛り上がる様子もない。

 しかし、エッセは俺の腕を掴むと、目を見開くほどの力で引っ張って通路を駆け始めた。


「エッセ、どうしたんだいきなり!」

「急がないと危ないの! リム、こっち!」


 グンッとエッセが地面を踏みぬくと、爆ぜた。加速したエッセに引っ張られ、一瞬詰まりかける。

 エッセの全速力はこんなに速かったのか? 足をもつれないように気を張るだけで精いっぱい。もし手を引っ張ってもらってないなら、確実に置いて行かれている。

 俺たちが走ったのはほんの少し。モンスターと遭遇することもなく通路を駆け抜け出たのは、石膏に似た鉱石の柱が点在するやや開けた白亜の部屋だった。


「いた」

「いたって誰が」


 エッセの視線の先を見て、すぐにわかった。

 白柱の陰に倒れる人影。外套を纏った探索者の風体の女性がいた。

 “右足”のない人が。

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