012:糸は触手より強し?
エッセと出会って一週間が経った。
モンスターとの生活に不安がなかったかと言えば嘘だけど、見た目が異形なだけでまともな性格をしているから特に苦労はなかった。
ただ、面倒がなかったかと言えばそうでもない。
「よぉー死にたがりー。珍しいモンスター連れてるって噂本当だったんだなー」
一週間も経てばエッセのことも知れ渡る。以前接点があった奴に絡まれることも何度かあった。
いつもなら基本的には無視なんだけど。
「リムはどうして死にたがりって呼ばれてるの?」
「察しはついてるだろ。傍目からはそう見えるんだよ」
エッセがいちいち絡んできた探索者に詰め寄るのだ。
「訂正して欲しいな。リムは【フラクタルボーダー】を探してるだけで死にたがってるわけじゃないよ」
「うっ、な、なんだお前やんのか!?」
慄く男。それはそうだろう。全身に触手生やした少女が詰め寄ってきたら誰だって焦る。
ダンジョンではモンスターに何かされる前に倒す、先手必勝が基本だ。
咄嗟に剣を抜くのも無理なかった。
「っ! 来いエッセ!」
「おい死にたがり! ペットの躾はちゃんとしとけよ!」
「む! 訂正して欲しいことまた増えた!」
なんてやり取りが数度あって面倒この上なかった。
罵詈雑言を無視して俺はエッセの手を引き、逃げるようにその場から離れる。
「もうリム! どうして言わせてくれないの?」
「流血沙汰になってただろうが。ああいう連中は言わせとけばいいんだよ」
「ダメだよ、リム! どんな嘘もね、言われ続けちゃうと本当になっちゃうんだよ。こう、捻じ曲げられちゃうの。だから正せるときにしとかないと!」
「はいはい。お前が知ってるからそれでいいよ」
住民たちの視線には多少慣れたみたいだけど、意思が固いのが困りものだった。かなり頑固だ。
嫌いな性格かと聞かれれば好ましいと答えはするけども。
少し前にかけられたアシェラさんのそんな言葉を思い出す。
『リムくん、前より、なんだか元気になった、よね……うん』
『そうかな?』
『う、うん……なんか、前はもっと、むーってしてて、お、追い立てられてるみたいな感じ、だったから……』
『……』
『ふ、ふひ、ごめ、私なんかが偉そうになに言ってるんだ、だよね。えへへ……』
俺がクリファに来て一ヶ月と少し。
その間、交流が続いているのはアシェラさんと『隻影』のじいさんくらいだ。
ひたすら毎日、限界までダンジョンに潜って、帰って寝るを繰り返し。それ以上の交流を広げる暇はなかった。必要ないと思っていたから。
そのアシェラさんが変わったと言うなら、それはエッセのおかげなのだろう。
割とこのモンスターとの関係を、俺は心地よいものと思っているのかもしれない。
「まぁ役に立つしな」
「え、役に立つ? 私のこと? えへへ、褒めてもらっちゃったー」
「便利アイテムみたいな」
「アイテム扱いはさすがにヤだよ!?」
出される食事に文句を言わないどころかいちいち感動してくれるし、自由自在器用万能な触手で掃除を手伝ってくれるから部屋以外も綺麗になったし。
探索も格段に楽になった。素材収集効率が段違い。モンスターの位置がわかるから、時間効率もとてつもない。ダンジョンでモンスター探して時間を浪費するのも珍しくないのだ。
そして、最近は一対多が基本で立ち回りでカバーしていたから、背中を預けられるようになったのは大きな違いだ。
何より、強い。
第一階層の他のモンスターと比べて、明らかにステータスが突出している。
それに加えて強靭でしなやかな触手での間合いの広さ。
人間に危害を加えないことを決めていないなら、最初にエッセを襲っていた奴らなんて余裕で蹴散らせていただろう。
だからこそ、何故そうしなかったのか、セフィラ様とどんな関わりがあるのかってことが気になってくるんだけど、相変わらずその辺りの事情は話してくれなかった。
「ごめんね」
と困った様な笑顔で謝るだけだ。そんな顔されたら深く追求なんてできない。誰にだって隠しておきたい過去は持ち合わせている。
ダンジョンで生まれたエッセにどんな過去があるのかなんて全く想像もつかないけども
エッセとの生活が折り返し地点を過ぎても今日も今日とて変わらず探索の日々だ。
ダンジョン第一階層上層の南東。水晶煌めく樹海の中を俺とエッセはやや離れた位置で並走していた。
「ほら、こっちこっちー」
『ギギギギギッ!』
水晶樹林を軽やかに駆けるエッセ。より目立たせるように、触手をはためかせながら身を翻し、障害となる木々の間をスルスルと抜け、枝に触手を引っ掛けて素早く樹海の中を動き回る。
背後から迫るのは蜘蛛型のモンスター、オアスパイダー。紫紺の結晶を生やした八本の脚をカチャカチャカサカサと鳴らしながら、樹海の障害をモノともせずエッセを這い追っている。
「行けるか!?」
「大丈夫っ!」
だけど、エッセの方が速い。表情に余裕がある。
こっちを見たエッセに頷きで応えると、速度を緩めながらこっちへ進路を変更。
俺との距離僅か十数M。そこでエッセが急停止した。一斉に飛び掛かるオアスパイダーたちだが、エッセは頭上を這う根に触手を伸ばし、間一髪で回避する。
「ようこそ」
『ギッ!?』
誘い込みに成功。
飛び掛かりを躱され、俺の足元に転がってきたオアスパイダーの頭部をショートソードで掬い上げるように一閃。一匹、二匹。
体勢を立て直して飛び掛かってきたオアスパイダーの下へ潜り、すれ違いざまに柔らかい下腹部を両断。三匹。
飛び掛からなかった四匹目。うなじが冷えるような感覚に咄嗟に前傾する。
何かが後頭部を掠めた。紫紺の結晶が刃物のように研ぎ澄まされた脚だ。
さっきの三匹より一際でかい個体。他のが腹部だけで人間の頭蓋骨大の大きさなら、こいつはその三、四倍近くある。
つまりより長く生きている個体。知性はなくとも本能的に敵を仕留めるにはどうすればいいかわかるのだ。
第一階層でも下層で出て来そうなオアスパイダーだ。
「くっそ、速っ!」
『ギギギッギギ』
踏み込んで来ない。自分の武器が何か熟知している。
後ろの六本の脚でタップダンスでも踊るみたいに小刻みに動きながら、いつでも回り込もうとしてくる。それでいて、二本の結晶の鎌は一緒に踊るのを拒絶してくる。
やりにくい! けど無理して踏み込めば、あの鎌に貫かれて終わりだ。
見定めろ。動き自体は消極的。俺が踏み込もうとしなければ深く切り込んで来ない。一発狙いじゃなくこっちを削ってくる動きだ。このままじゃジリ貧。
なら俺の動きで相手を動かす他ない。
右の鎌を剣で逸らし、左の鎌は飛び退いて躱す。テンポを刻む。
右の鎌、左の鎌……右、左……右、左……苛立ちからか、鎌が重くなる。まだ。右、左――ここ!
「フッ!」
受け太刀した剣ごと貫こうとする大振りの右鎌。それを受け太刀せず、振り抜かれた鎌に沿うように剣を走らせながら右脚側に滑り込む。
ほんの一瞬にも満たない時間。それでもオアスパイダーは戸惑いに身体を硬直させた。
そしてここからなら、振り切られた右脚の関節がよく見える。剣の道標は右脚自身がしてくれている。
「遅いッ!」
『グギッ!?』
左鎌でのカウンターも右脚を戻す猶予も与えない。右脚を弾くように刃を立て、一気に振り上げた。
鮮血を舞わせながら右脚が吹っ飛ぶ。
『グギァアアッ!』
「ぐっ!」
もはや反撃というより駄々をこねる子供のように暴れるオアスパイダー。
咄嗟に剣を前にやったのが功を奏して、弾き飛ばされるだけで済んだ。だけどその衝撃までは殺せず、掌が痺れる。
一撃は与えた。オアスパイダーの攻撃性能の低下は間違いない。いまはとにかく防御に専念して――。
「ッ!?」
怒り狂ったように見えたオアスパイダー。だけどその実、冷静だった。冷静に確実に俺を仕留めようとしていた。
脚を高く突き立て上体を起こし、浮いた腹部の後端を俺へ向けてきた。
直後、鉤爪のような突起が密集したソレが、ブルルッと脈動する。
オアスパイダーのこの予備動作は……出糸突起から吐き出される糸!
躱せる距離じゃない。あの体格。おそらく広範囲に糸は広がる。直撃すれば粘着性のある糸に絡めとられ、かなりの行動を制限される。そうなったら、俺はオアスパイダーのエサになるほかない。
だったら!
「ッ、【
あえてもう攻撃しかかっているオアスパイダーの方へ踏み込んだ。全身を巡る魔力のパスが燃え、俺の左手に形を成す。
イメージするは剣ではなく盾、あるいは壁。オアスパイダーの糸が広がるごとく、翡翠の魔力をこの掌で広げ、具現する。
『ギシャァッ!』
「くっ」
衝撃というには軽い。ゴブリンのこん棒で殴られるよりも遥かに弱い。
それでも曖昧なイメージによって具現化され、無駄に魔力を広げて作った盾は脆かった。オアスパイダーの糸吐き攻撃でも崩されそうなほどで、掌の痺れが肩まで一気に伝播する。
だけど、防いだ。糸が放射状に広がり切る前に。
勢いが弱まる刹那。魔力を戻し盾が消失すると、空中で勢いを失った糸が地面へと落下する。
『「――」』
零れ落ちる糸の隙間。一瞬、四つの双眸と視線が交わる。オアスパイダーが前脚を振り上げる。それよりも速く俺は動いた。
その落下する糸を中心に、コマのように右回転。その勢いを乗せた剣はオアスパイダーの顔面を捉える。
だが。
ガキィンッ。金属質の音が響いた。身体の移動に使っていた脚を眼前に伸ばし間一髪のところで俺の刃を防いだ。防がれた。
何度も鎌を受け、痺れる手が剣を離そうとする。俺の掌に剣を振り抜く力は残っちゃいない。
だけど。
「ふぅうううう」
俺は一歩踏み込む。
『ギッ!?』
防ぎきったと油断して、攻撃に転じようとした蜘蛛の化物に、全力全開の膂力を以て応える。
剣を握れない? だったら離せなくしたらいい。【無明の刀身】で俺の拳をガチガチに固めて、いやでも剣を離させない。
この剣も鎌の硬度に負けちゃいない。あとは単純な力勝負。あとは俺次第。俺とオアスパイダーのステータス差だけ。
「ああああああああああっ!」
剣を握る右腕。その肩に刻まれた【
「あああああああああああああああああああああああぁッ!」
『ギギッ、ギギギャ!』
数瞬にも満たないせめぎ合い。その末。
俺の膂力がオアスパイダーを僅かに上回る。
鈍色の一閃が紫水晶の蜘蛛の脚を砕き割り、その頭部を両断した。
オアスパイダーの脚から力が消え、自重によって崩れ落ちる。
それ以上の反撃はなく、俺は剣を杖代わりにしてなんとか倒れるのを堪える。
『…………』
ダンジョンとの接触面の身体が癒着し朽ち始めている。無事仕留められたみたいだ。
本当にギリギリ。あともう一匹いるはずだけど、多分エッセが注意を引いてくれていたはず。そうじゃなきゃ横槍でもっと苦戦を強いられていただろう。
「エッセ、大丈夫か!」
「うん、すごいね、リム! あんな大きいの倒しちゃうなんて!」
少し離れた場所に引き付けてオアスパイダーの攻撃を軽やかに躱し続けていたエッセの元へ走る。
追加のオアスパイダーがいたのだろう。俺が倒した以外にも壁に激突して弾けたオアスパイダーの残骸があった。
いまエッセが相手をしているのが最後の一匹。あとはそいつを仕留めるだけ。エッセなら簡単なはず、だった。
気が緩んだのか。はたまた、最初からそのことを知らなかったのか。
最後の最後で、エッセは選択を誤った。
「バカ、それ防ぐな!」
「え」
頭上の根に張り付いたオアスパイダーがエッセに向けて、雨を降らすように糸を吐き落とす。
それをエッセは躱すんじゃなく、俺がしたみたいに髪から伸ばした触手を傘のように広げて防ごうとした。
エッセの触手は俺の【無明の刀身】みたく魔力で出来ていないから、消すことができない。
案の定、傘のように広げた黒紫の触手に白い糸が纏わりついて、だらりと垂れる。
「ひゃぁっあわわっ」
「触手戻すな!」
あろうことか糸を剥がそうと触手を解いて戻したせいで、弾けた糸がエッセの頭上で解けて降り注ぐ。
びちゃり、と。黒紫の妖精は蜘蛛の白い糸で絡めとられてしまった。べたべたと粘着性のあるその糸はエッセの動きを鈍らせるのには十分すぎる。
「わわっ、リムー!」
「ああ、もうっ」
『ギッ!?』
オアスパイダーの凶刃がエッセに向かう前に全速で駆け、その頭部と胴を一刀両断する。
周囲に敵影はなし。後続もないと確認して剣を腰の鞘に納める。
「……大惨事だな」
「ネバネバする~」
「寄るな。こっちまでくっつくだろ」
「うう」
玉虫色の瞳にたっぷり涙を浮かべるエッセは、頭からスカートの裾までたっぷりと半液状の白い糸を滴らせていた。竜胆の花飾りはもはや蜘蛛の糸飾りになってしまっている。
「リムぅ」
一歩距離を置いて、俺を見上げてくるエッセ。
「ッ、落ち着け、どうするか考えるから」
エッセの頬を伝い顎先から零れた糸が、胸の谷間で溜まり、また零れ落ちる。その姿は人外な美貌と相まって、正直目のやり場に困った。
こいつはモンスター。人間っぽくてもモンスター。人間に触手なんて生えてないし、スカートが自ら動いて糸を剥がそうなんてしないし。
あ、スカートに浮かび上がった目玉に糸がかかった。基本無毒とは言え沁みるだろ。うん、やっぱり泣き出した。
「うう、目が沁みるよぉ」
「きっちり連動してんだな、やっぱ。ってか、だったら目玉出すなよ」
「勝手に出たの! 不気味だからいつもは出さないようにしてるけど……」
「お前の身体だろ」
「リムは歩くとき次は右脚、次は左脚って考えるの?」
「しないな」
「それと一緒。無意識に勝手に動いちゃうの前よく見えないし」
つまり目を出したのは視覚情報を増やして、周囲を警戒するためってことか。
全身至る所から生えている触手も常にうねったり絡んだり自由気ままな風にしてるけど、確かにあの数の触手をいちいち考えて動かすのは大変そうだ。
俺も全身至る所まで神経を張り巡らしてるわけじゃない。ぼうっとしてるときはいつの間にか頭掻いてたり、変な体勢になってたりする。それに近いのだろう。
でもそうなると、わざわざ触手が俺の腕に絡みつけてきたりするのは……。
「リムー、これからどうするのー?」
糸のついた触手をこちらに伸ばしまいとむすっとした表情になるエッセの言葉に現実に引き戻された。
「悪い悪い」
どうしたもんかな。
地上に向かうのが一番確実なんだけど。糸解しのアイテムも持ってないし。高いから。
だけど探索を始めて二時間弱。身体も温まってきてるし、ここで途切れさせたくない。
それに地上まで結構距離あるから、どのみち接敵は免れない。
「この先、水流があったよな」
「うぅ、えっと、あったね」
「じゃあ、そこ行くぞ。探せば手頃な深さの場所があるだろ。歩けるよな?」
「うん、それは大丈夫」
よし。歩けるならモンスターは俺が片っ端から倒していけば問題ない。そう遠くもないだろうし。
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