011:叡樹の形図
【クリファ教会】本部【ガーデン】。暗緑色の修道服で身を包んだシスターたちが忙しなく駆けずり回る場所で、ダンジョンから帰還した俺とエッセはまっすぐ受付へ向かう。
この時間だと、俺の担当シスターのアシェラさんはだいたい受付業務に入っているはず。それも奥まった場所の。
予想通り、一番奥の受付にぽつんと座るアシェラさんがいた。遠目からでもわかる黒い負のオーラを纏っている。まぁいつものことだ。
「こんにちは、アシェラさん」
「あ、り、リムさん、エッセさん。お、お帰りなさい……また、無茶したんだね」
「ぁ、た、ただいま」
エッセは慄きながらもなんとか挨拶を返した。慣れていないとそうなるのは仕方ない。
「エッセのおかげで最悪の事態は避けられたから。その分、今日は実入りがいいよ」
背中のリュックはモンスターの素材でパンパンだ。エッセも触手のリュックがギチギチで、もし解けたらかなり面倒な事態になるだろう。
「それは何をしてるの?」
「教会で使う備品の発注書の作成。先の階層主の騒動で減ったし、【開闢祭】も近いから」
「それシスターの仕事なの、アシェラさん?」
「うん。基本、教会は人手不足、だし。えへ、えへへ、受付、私のところにはあんまり来ないから……これくらい頑張らないと」
前髪から微かに覗く目を挙動不審に泳がせながら、しかし手慣れたように手元の紙に羽根ペンで何かを書き入れてはすぐに次の紙へ移っていく。
第一印象は鈍くさいように見えたけど、実はテキパキと動ける仕事人気質なのがアシェラさんだった。
「それ終わるまで待っとこうか?」
「ううん。探索者様の対応が最優先。ふ、ふひ、すぐに準備、するね」
「助かる。一応、ほぼ全部換金に回すつもりなんだけど、ガーゴイルを狩れたからそっちは【祝福】に回してもらいたいかな」
「え、ガーゴイルを倒せたの……やっぱり無茶してる……ダメなのに。うう、でも私がダメなせいだから強く言えない」
ぼそぼそ呟きながら片付けをするアシェラさんは置いておいて、ふと隣を見ればエッセがジト目でこっちを見ていた。なんだか不服そうな顔だ。
「リム、アシェラさんには声色優しいね。私のときはちょっとツンツンしてるのに」
「一度鏡でも見て、理由を考えたらどうだ?」
「むーむーむーーーー」
触手をぶんぶんさせるエッセを無視して、ぎこちない笑みを浮かべるアシェラさんの片付けを待つ。それから俺とエッセは個室に案内された。
ガーゴイルを撃破したあと、俺とエッセは真っすぐダンジョンから地上へ帰還した。エッセの能力のおかげで敵を避けて帰還できたのはかなり楽だった。
探索時間は三、四時間程度。それでも密度はその倍に匹敵するくらい濃密な時間だった。
傷は医療ギルドの厄介になるほどでもなかったので手早く済ませ、それからアシェラさんのところへ向かった。
案内された個室は窓のない部屋。部屋の中央には、人ひとり寝転がれそうな巨大な銀の大皿――聖杯が鎮座しており、その傍に椅子が二つある。
「いまから何するの?」
「【祝福】……簡単に言うとモンスターの素材を使ったパス接続の儀式」
「パス接続?」
リュックにたっぷり入った素材。それらを一つ一つ仕分けしていく。
「ゴブリンは確かもう打ち止めだったよね?」
「はい。もう成長は見込めないかと」
今回使う分は全て聖杯に無造作に入れていく。エッセのリュックに入れていた分も同様だ。残ったものはリュックに再び戻す。こっちは換金用だ。
「じゃ、じゃあリムくん、服を脱いで……ふひ」
アシェラさんと隣同士で椅子に座り、俺は言われた通りジャケットとシャツと脱いでいって、肌着の袖をまくった。
右腕の上腕部。二の腕の外側。そこに黒い痣のような模様が浮かび上がっている。
「リム、これって?」
「【
それは波打つ線が樹形図のように枝分かれした模様をしていた。大きさは縦長で掌にすっぽりと収まる程度のもの。
これが【
探索者とダンジョンの繋がりを示すもので、探索者が持つ力の形図である。
ここに俺がダンジョンから得た力がステータスとして記録されていて、主に【レベル】【筋力】【敏捷】【体力】【魔力】の五つに大別される。
【レベル】は総合的な探索者の強さの指標であり、ダンジョンへの侵食耐性。
高ければ高いほど、侵食効果を受けづらくなるある意味ダンジョン探索する上で最も重要なステータス。
その他、【筋力】は単純な力や肉体的防御能力、【敏捷】は素早さや反応速度、【体力】は苦痛や状態異常への耐性、【魔力】は魔法を扱うとき消費される力の上限値と魔法耐性となっている。
他には異能力を示す【スキル】であったり、魔力を消費して超常的な力を起こす【魔法】などが記録されていたりなど、この【
簡単にだけど、俺はエッセにそう説明した。ちらりとアシェラさんを見ると、うんうんと頷いている。どうやら間違いはなかったらしい。
「ふむふむ。なんていうか、変な模様だね。蛇みたい」
「うるせ。蛇みたいなのはお前だろ、触手絡みつけてくんな」
「あぶ」
腕に巻き付けてくる触手を引っぺがして、エッセの顔面に返却する。
「ふ、ふふ」
こっそり漏らしたアシェラさんの笑い声。俺とエッセが同時に見ると、顔を真っ赤にさせて恥ずかしそうに俯いた。
「じゃ、じゃあ始めるね」
いつも落ち着きのないアシェラさんは、このときだけ雰囲気が一変する。
「【母なる大地に根付きし創造の樹よ。我が身我が実により、萌芽の楔を打たん】」
透き通る声が部屋を満たす。
言祝がれた言葉に呼応するように、聖杯が脈動する翡翠へと輝き始めた。
「わわ」
「リムくん、肩に触れるね」
アシェラさんが俺の肩の【
まるで聖杯の輝きをその手で絡めとるかのように、アシェラさんの右手は輝いたかと思うと、その腕を肩を胸を通って俺の元まで翡翠の輝きが渡って来た。
肩に去来する熱。それはじんわりと身体の奥底まで染み込み、揺先の内側から、頭のてっぺんまで全ての感覚が鋭敏になり、変容していく感覚を味わわされる。
この感覚は正直慣れない。
「これがパスの接続?」
「うん。アシェラさんがモンスター素材に残ったパスを抽出して、俺に移植してくれてるんだ」
パスは何も人間だけにあるわけじゃない。ダンジョンで生まれたモンスターはもちろん、そこで採れる鉱石や発掘されるアーティファクトもダンジョンとのパスは存在する。
アシェラさんたちシスターは、それらからパスを抽出し、探索者に移植できる力を持つ。
ここクリファにしか存在しない唯一無二の職業だ。
「んん」
「アシェラ、大丈夫?」
「あ、いえ、辛いわけじゃ、ないの。ただ、抽出したパスは熱を帯びてるから、仕方なくて」
上気したアシェラさんの表情。目のあたりは窺い知れないけれど、頬は紅潮してて唇が艶っぽい。見慣れたものではあるけれど、やっぱり直視するのは憚られた。
ただ、【祝福】でその身体が輝く姿は目を吸い寄せられるほど神秘的だ。
まるで聖女。いや、精霊のような神々しさを感じる。
エッセもそんなアシェラさんの姿に固唾を呑んで見守っている。
「すごい」
ぽつりと呟いたエッセにアシェラさんは微笑む。
「すごいのはこの力を与えてくださったセフィラ様、だよ。私たちシスターは、セフィラ様から与えられた“実”のおかげで、この儀式を行えてるから」
「なんだか誇らしそうだね」
「うぇ、え、あ、うん……誇らしいよ」
数分近く続いたパスの抽出も終わり、最後のパスが胸のあたりを通り過ぎるとアシェラさんの表情も落ち着いた。
そして全てのパスの接続が完了。
身体の内側から何かが開いていくような、これ以外では経験しようがない不思議な感覚だ。
「ん。でも待って? これでダンジョンと強くなれるなら、ダンジョンでそんなに無茶する必要ないんじゃないの?」
「別にそれが主目的じゃないし。両方したほうが効率いいだろ?」
「んんん! なんか! 納得! いかない!」
「それにモンスターの素材は使い切りだしな。見ての通り全部塵の山だし」
それでも、シスターのいないクリファの外ではこの恩恵を受けられない。
シスターがいるからこそ、クリファは短期間で(比較的)安全に強い探索者を何人も輩出できている。だから今日まで全ての侵略を退けられている。
こんな力を与えられているセフィラ様が【テンシ】なんじゃないかと言われるのも納得だ。
「これでリムは強くなったの? 角とか生えてないけど」
「生えてたまるか。俺がどれくらい強くなったかは【
「……あ、ちょ、ちょっと待って。ステータスシートに書き出すから」
何やらぼうっとしてたけど、気を取り直したのか紙に羽根ペンを走らせていく。
「どうしてゴブリンのとかは使わなかったの?」
「モンスターの種類ごとに上限値があって、それ以上はどれだけ【祝福】に使っても無駄なんだよ」
だからゴブリンだけを倒して無限にレベルアップ、という甘い話はない。
しかも階層ごとにも上限値があって、第一階層にこもっていてもそれ以上先は望めない。強くなりたいなら、危険だとわかっていても前に進むしかない。
「いまリムは何レベルなの?」
「……5」
「おお! ……すごいの?」
きょとんとするエッセ。俺の顔を見るな。触手と一緒に小首傾げるな。本当に感情表現豊かな触手だな、おい。
「第一階層における十分な侵食耐性の半分くらいだ。全然すごくない。結局大事なのはステータスだし」
「あ、あの、リムくん!」
アシェラさんには珍しく、いきなり声を張られて戸惑う。
深刻そうな表情、いや何か疑っている表情だ。
「だ、第二階層とか……行った?」
「いや、行ってないけど」
「そう、なんだ。うう、読み違い? そんなことない、はずなのに」
「結局どうなってたの?」
「……7」
なな?
アシェラさんがステータスシートを渡してくれる。そこには俺の名前のすぐ下に『レベル7』と書かれていた。
「マジ?」
三日前だ。アシェラさんに【祝福】をしてもらったのは。
つまりこの三日で一気に2レベル上昇したということになる。
「アシェラ、これってすごいの?」
「す、すごい、なんてものじゃない……ダンジョン探索経験のない人が5レベルになるのだって普通の人なら半年、早い人で三ヶ月……でもそっちはいい。リムくんが無茶してるの、知ってるから……でも、成長の遅くなる5レベル以降で、み、三日のうちに2レベルも上げるとか……ありえない、見たことない、聞いたことない……リムくん、何したの?」
「いや、そんなズルしたみたいに言われても。あ、ほら、階層主ともちょっとだけやり合ったし、それもあるんじゃない?」
「別に倒したわけじゃないよね」
「腕はぶった切った」
冗談を言うなとばかりに頬を膨らめた。いや本当なんだけどな。
まるで俺自身が未知の物であるかのように見られてしまっている。横にもっと未知な奴がいるだろうに。
「それに私たちシスターでも読み取れないスキル持ってるし。触れたアーティファクトが暴発する特異体質だし……うう、またシスター長に言われる……因果関係はっきりさせろって、論文提出しろって。ふ、ふふ、ふひ、無茶だよ無理無理無理無理」
「そういえば、なんだか魔法の説明するときリム濁してたよね。らしいとかって」
よく覚えてるな。
「そのスキルはいつ覚えたの?」
「そ、そうだよ。リムくん。前もはぐらかしたし今度こそ教えてよ発生時期を鑑みれば何か推論が立つかもしれないし過去に発現している類似スキルを照合すれば発現するために行く必要のある階層とか素材がわかるかもふふ、ふひ、ふふふ、ふへへ」
「目がイッちゃってるよ、アシェラさん」
よっぽどシスター長から詰められているらしい。世話にもなってるし、別にいいんだけど。
「五年前くらいかな。一度クリファに来てダンジョンに行ったことがあって、そのとき死にかけたときに侵食効果を受けて発現したスキルらしい。そのときのことはよく覚えていないからなしで」
本当は覚えている。だけど話したくなかった。嫌でも覚えていることを口にまで出したくはない。
「【祝福】で覚えたわけじゃないから読めない、ってことはないはずなのに……どうして」
「脆さに目を瞑れば便利だし、使えてるから良いけど」
「…………」
ぶつぶつと自分の世界に入り込むアシェラさん。知識人なんだよな、アシェラさん。書庫が寝床なだけあって。
貪欲というか、未知に興味津々というか。ダンジョンについてロマンを語るなら俺よりもきっと彼女の方が適任だろう。
エッセの方は、自分から聞いておいて眉をひそめてるし。何が納得いかないんだ?
「エッセ?」
「ううん、なんでもない。【祝福】はこれで終わり?」
「うん。エッセのおかげで、大戦果だった。さっきは……悪かったな、声荒げて。それとガーゴイルのときは助かった。お前がいなかったら危なかった。ありがとな」
「わ、私、リムのお役に立てたかな?」
嬉しそうに触手と一緒に身をよじる。ちょろいなエッセ。
「お前のおかげで冷静になれたしな。今日はもっと旨い飯を食わせてやるよ。俺も肉食いたいし」
「ほ、ホント!?」
言いながら脱いでいたシャツを着ようとしたんだけどアシェラさんがストップをかけてくる。
「も、もう一度、ステータスを読み取っても、いい?」
「……いいけど、読み間違えるはずないんじゃないの?」
アシェラさんの掌が俺の【
俺の持っていたステータスシートをひったくり、何やら書き込んでいく。いや、訂正していく?
嫌な予感がした。背筋を冷や汗が滴った。再び差し出されたそれを見るのが恐怖でしかなかった。
「…………レベル5?」
戻ってる?
ステータスシートとアシェラさんを交互に見やる。俺の絶望と対照的に、アシェラさんはまるで喉に刺さった魚の小骨が取れたかのように晴れやかな表情だった。
当然、レベルだけじゃなくて他のステータスも軒並み下方修正されていた。前のときよりは多少上がっちゃいるけど、やはり微々たるものだった。
「……リム? 元気出して?」
「本当にごめんなさい……え、えへへ。危うく誤った情報を出しちゃうところだった。やっぱり私、シスター失格。ダメダメシスターだ、ふふ、ふへへ」
だからそんな泣き笑いの顔されたら怒るにも怒れないって。
「いや、別に俺はそこまでステータス上げに必死になってるわけじゃないし。第一階層で問題なく活動出来たら充分だから。うん。全っ然大丈夫だから」
「り、リム? なんだかアシェラと同じ目になってるよ」
俺とアシェラさんは並んで虚空を眺めた。まともなモンスター一匹放って。
―◇―
リムとエッセが部屋をあとにしたあと、アシェラは思い出し、読んでいた。
彼の肩にある【
「【アイン・ソフ・オウル:オーバーライド】」
その内容は、世界樹への接続及び――創出。
【
だからアシェラにはこれを読むことはできても、理解はできなかった。理解できない故に、リムに説明することができなかった。
しかし、他のヒトには発現しえないエクストラスキルであるのは間違いない。稀にそういうスキルが発現する人間がいることは知っている。
リムが只人ではないのは確か。スキルを発現したのは五年前。五年前には何があったのだろう。
アシェラはリムの探索者情報手帳にいつも通りステータスの数値だけ記入する。
魔法の枠には、以前と変わらず彼が自称する【
「どうして?」
アシェラは一人呟く。
「どうして私にはこれが読めるの?」
その声は誰にも届かない。
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