009:バックパッカー


 クリファが擁する世界最大のダンジョン。通称世界樹のダンジョン。

 世界樹の根本から地下へと降りていくそこは、一見樹の根の中ではあるが、外かと見紛うほど広大な空間が広がり、下へ降りるほどその規模は大きくなる。

 ダンジョンは階層ごとに区分けされていて、その階層もまた上層や下層、あるいは何階なのかなどと細かく分けられている。

 円錐状をイメージするとわかりやすいけど、あくまでイメージだ。本来はもっと複雑に変化している、らしい。中でも第三階層から第五階層に直接行くルート等がその最たる例だろう。

 階層ごとに特色があり、出現するモンスターや採取できる物が大きく異なるだけでなく、環境そのものが一変するそうだ。


 そして、第一階層【鉱床樹海キムラヌート】と呼ばれる場所。

 鉱床樹海と名のつく通り、多様な鉱石が連なり、結晶状になったそれらがまるで樹氷のように連なり、道を作り、壁を作り、迷宮を象っている。

 装備の素材となる鉱石が採れ、モンスターもそこまで強くないことから、新米探索者はここで装備を整え、モンスターを倒して経験を積むのが鉄板だ。


「リム、前に探索者になったのは目的があるからって言ってたよね。どんな目的なの?」

「俺は取り立てて特技もなければ手先が器用ってわけでもないからな。ダンジョン産の物は高く売れるし」

「でもリムはビンボーだよ」

「悪かったな」


 本当にどこで覚えたんだそんな言葉。

 第一階層上層。階段下りてすぐ左に曲がり、俺とエッセは道なりに進む。

 入口付近は平和なものだ。探索者の出入りが多いため、モンスターは出現した傍から狩られるからである。


「じゃなくて。リムはお金貯めるつもりないよね? 剣だってすぐにダメにしてるんでしょ? あれじゃお金貯まんないよ?」

「……ダンジョンは未知の宝庫だからな。この世界に残る最後の謎なんて言われてる。それを真っ先に識ることができるのが探索者。それこそが醍醐味なんだよ」

「うーん。私の感想だけど、リムってそういうの興味ないタイプだよね? ロマンがわからないタイプだよね?」

「モンスターにロマンを語られるとは思わなかったよ」

「私にはあるよ! 悪漢に襲われるピンチな私。そこへ颯爽と現れる白馬の王子様。悪漢を倒した王子様に抱かれて私は……ふふふ」


 袖からスカートから触手を生やして全身くねらせる様はまさにモンスターだった。

 むしろお前が襲う側だろうと言いたい。

 地面の鉱石の材質に注意しながら、先へ進む。入口付近と言えど急なエンカウントはゼロじゃないので警戒は緩めない。


「それにリムはずっと無茶してるよね? ダンジョンで倒れたのだって一度だけじゃないでしょ?」

「……なんで知ってる」

「見てたもん」


 あっけらかんと言われた。


「いつも一人で戦ってて、モンスターいっぱいなのに突っ込んでいくから危ないなぁって思って、こっそり覗いてたの」

「じゃあ、あの日お前が現れたのも」

「うん。さすがに気絶してるし、放置はまずいって思ったから」

「そんなことしてたから、他の探索者に見つかったんじゃないのか?」

「う」


 図星らしい。お人好しにもほどがあるだろう。自業自得ではあるとはいえ、間接的には俺にも責任があったというわけだ。


「で、でも、リムがピンチになったところを私が助ければ、もしかしたら地上に連れていってくれるかなぁって打算もあったっていうか」

「無理して悪ぶらなくていいから」


 俺は頭を掻いてため息を吐く。

 初めて出会ったときの状況。多分、俺を起こしに来なかったらこいつは他の探索者に囲まれることはなかっただろう。

 俺がこいつは助けた判断。間違っていなかったと心底安堵する。


「俺のダンジョン探索の目的は【フラクタルボーダー】ってところにある」

「フラクタルボーダー?」

「ダンジョンの中で色々なものが生まれるのは知ってるだろ? モンスターとか、アーティファクトもそうだし、いま歩いている地面や壁だってそうだ。食用の実が成ることだってあるな」

「うん」

「それは全部過去にダンジョンに取り込まれて記録されたもので、何かの拍子に再現された結果らしい。外にモンスターだとか、アーティファクトなんてないから、実際はそのまま再現されるわけじゃないんだろうけど」


 複数の生物の記録が重ねられて一つになって再現されたものがモンスター、なんて説もある。外界の生物と類似点を持つモンスターも少なくはない。


「【フラクタルボーダー】ってのは、このダンジョン全ての記録が集まる場所へ行くための境界線みたいなもんだ」

「そんなところがあるの?」

「見つかったって話はない……だけど、少なくとも俺は信じてる。まぁ、真面目に話したらすげぇ笑われたけどな」

「サリアに?」


 ご明察。腹抱えて笑われて、「こいつマジか」って目で見られた。

 それくらい情報がないし、信じている人もいない。

 今日日こんな御伽噺を信じている人は俺くらいだろうと自嘲すらしたくなる。

 だけど、エッセは相好を崩して、軽妙な足取りに倣うように触手たちがくねくねと空を踊った。


「リムにもロマンがあったんだね」


 一歩二歩と前を歩いて振り返る。眩しい笑顔が直視できない。

 だって、そんな、いいものじゃない。


「それしか縋るものがなかっただけだ」

「え?」

「なんでもない」

「それで、どうしてリムは【フラクタルボーダー】を目指しているの?」

「そこまで話す義理はないだろ」

「えー」

「えーじゃない。だいたいお前と俺は」

「っ、危ないリム!」


 突然、エッセに触手を腰に回され、引っ張られる。そのままエッセと一緒に前方へ倒れ込むこととなった。

 何をいきなり、とは思わなかった。

 後頭部を掠める何か。倒れ込みながら見えたのは、膨らんだ根の中から生える濃い緑色の体色をした腕。

 その腕が空を掴むように手をにぎにぎとしていた。

 そして間もなく、根の膨らみにさらなる亀裂が入り、メリメリと音を立てながらその姿が現れる。

 ゴブリン。エッセから逃げるときにも遭遇したモンスターだ。ここ第一階層では個体としては最弱の部類に入るモンスターではある。

 しかしまともに不意打ちを食らえば話は別だ。エッセが反応してくれていなければ怪我を負ってしまっているところだった。

 さらに通路の先から、喧騒打ち鳴らす軍靴が鳴り響く。

 水晶の鋭角が煌めく大の大人以上の巨躯を持った猪。クォーツボアが俺たちに向かって突進してきた。

 俺とエッセは分れる形でクォーツボアの突進を躱す。クォーツボアはすぐに弧を描いて反転。追撃の姿勢を取っていた。


「エッセ、ゴブリンは任せた!」


 突進の準備が整うよりも早く、クォーツボアに肉薄する。戦闘において間合いは重要だが、特にクォーツボアに関しては下手に距離を取ると危険な相手だ。


「リム上!」

「!」


 頭上に小さな影。身体が石でできた蝙蝠のモンスター、ストーンバット。天井の根から二匹同時に生まれたのだ。

 人間の頭部ぐらいのサイズのストーンバットが牙を剥きだしにして急降下。俺は急ブレーキをかけるながら身体を回転させつつ抜刀。急降下とともに眼前に来たストーンバットを水平斬りで砕き落とす。

 もう一匹のストーンバットも急降下を仕掛けてきたが、それよりも大きな影がストーンバットを巻き込んでクォーツボアの頭上を飛んでいく。

 ゴブリンだった。エッセが触手で掴み、思い切りぶん投げたのだろう。


「やば」


 ストーンバットの襲撃のせいでクォーツボアの突進準備が完了。鋭角で空を裂きながら全速力で疾駆してくる。

 猪突猛進に見えるが、その実小回りは利き、多少の回避動作では反応される。

 だから、あえて突っ込む。


『フゴッ!?』


 小回りが利くのは相手の反応に対応できるから。ならこっちから距離を詰めることで相手の目算を見誤らせる。それに、俺の武器はこれだけじゃない。


「フッ!」

『プギィ!?』


 走る勢いのまま思い切り剣を投擲。切っ先がクォーツボアの右目を掠める。そうしてできた死角に俺は滑り込んだ。

 そしてすぐさま反転。クォーツボアの視界を半分でも奪えれば、あとは距離を詰めて戦えばそう苦労しない。次は脚狙いで、そう思ったのだけど。


「ほっ、と捕まえた! ってわわわっ暴れないでっ!」

「……」


 エッセがクォーツボアの背に乗ったのだ。当然、クォーツボアは暴れまわる。視覚を半分失った状態で背中に乗られるのだから当然だろう。しかも、触手でしぶとく巻き付いて離れてくれない。


「ったく」


 とはいえ、絶好の隙を晒してくれた。クォーツボアが最後の抵抗とでも言わんばかりに後ろ足で立ち上がり、大きく仰け反ったところで一気に距離を詰める。

 短く息を吐く。心臓が早鐘を打つとともに翡翠の魔力が全身を巡り左手へ。

 集約した魔力は一点のイメージへと象られていく。握り心地、柄から切っ先までの長さ、剣先の重さ、切れ味。心臓がチリつくのを堪え、イメージを完遂させる。


「【無明の刀身インタンジブル】」


 翠緑の閃光が瞬き、粒子が収束し、俺の手に翡翠の剣が握られた。

 腕をクロスさせる形でそれを引き絞り――解放。

 クォーツボアの両脚を水平に一閃する。


『ブォッ!』

「わっ」


 クォーツボアが地面に倒れ伏したところを、翡翠の剣で掬い上げるようにクォーツボアの首を断った。

 クォーツボアはもちろん周囲のモンスターも動く気配はない。


「ひとまず終わり。大丈夫か、エッセ?」

「ひゃ、ひゃい……うう」


 頭をふらふらさせながらも起き上がる。触手の目も回ってるみたいだった。


「何やってんだお前」

「う、馬みたいに操れるかなって……ごめんなさい」

「背中に乗ってんだから、剣なり斧なりでトドメさせたろ」


 飛んでいったゴブリンとストーンバットを見に行く。ちょうど、二体の死骸がダンジョンの灰色の地面と同化するように沈んで呑まれていった。

 どんな馬鹿力で投げたんだ……。

 唯一残ったのはゴブリンの肘から先の骨、ストーンバットの小さな牙のみ。それを拾ってエッセの方へ戻る。


「私、剣も斧も持ってないよ?」

「フォークとかナイフに擬態できてたろ?」

「? フォークとナイフは食器だよ? あぐーいたいー」


 触手を思い切り引っ張ってやる。俺のことは察しがいい癖に、こういうときにバカなふりをされるのは腹が立つ。


「だって、物騒だもん。そういうのに変えるのは苦手。怪我させちゃうから」

「怪我どころか殺さなきゃならんのだけど」

「モンスターにっていうより、リムに。変に振り回して当てちゃったらって思うと、怖い」


 ストーンバットを砕くくらい勢いよくゴブリンを投げ飛ばせる触手の力も大概だと思うけどな。


「具体的にエッセって何ができるんだ?」

「うーん。色々なものに擬態できるけど、人とかモンスターとかは難しいかな。あくまでこの身体がベースで、触手をまとめて弄ったり変化させたりできる感じ」


 エッセは袖の中から伸ばした触手を、天井を走る根に絡みつかせる。天井の高さは8Mくらいか。


「結構伸ばせるんだな」

「でもこれだけ伸ばすと先っぽの感覚がほとんどなくなっちゃうかな。あと横に伸ばすとへたっちゃう」

「なるほど。モンスターとはどうやって戦ってたんだ?」

「戦わないよ。さっきみたいに投げてから逃げてたの。そもそも、近くにモンスターがいるかわかっちゃうから」

「マジ?」

「うん。さっきリムを助けられたのもそのおかげだよ」


 そういえば、ゴブリンの出現も腕が出る前に反応していた。

 なるほど、モンスターだらけのこのダンジョンでエッセが独りで逃げ続けられるわけだ。

 だけど、これは見方によっちゃすごい能力なんじゃないだろうか。


「り、リム……ぶ、武器は嫌だけど、盾とかにならなるよ。触手を束にして硬くすればいいし、私速さに自信あるから囮にもなれるし」


 窺うように見上げてくる。まるで面接でもしている気分だ。


「盾と囮はなし。そういうのを求めちゃいない。戦いも自分の身を守れるならそれで十分だ。なんなら俺より強いだろ」


 ゴブリンをあんなに勢いよく投げれるほど俺の力は強くない。


「ちなみに触手ってどこからでも生やせるのか?」

「うん。だいたいは。服もそうだし」


 くるりと回ってスカートが翻る。花畑を優雅に舞う少女を一瞬空見して、しかし一瞬でその幻想はダンジョンに消えた。

 エッセのスカートのフリルがほどけ、そこから大きな口がぱっくりと開いたからだ。

 まるで竜の顎のように、びっしりと牙の生えた大口が。


「ッ!」

「びっくりした?」


 どこかしてやったりの顔が腹立つ。てへっとした顔と一緒に、その口もぺろっと舌を出す。

 そういえばズタボロだった服も直ってたけど、そっちも触手だったというわけか。


「じゃあ、その触手、束にまとめて箱状……リュックみたいにできるか?」


 俺が身振り手振りで説明すると、エッセはうんうん頷き、服を背中から新たな触手を生やしたかと思うとそれがリュックを形成し始めた。俺が背負ってるのとほとんど変わらない。

 擬態が甘くてにょろにょろと触手が飛び出ているところはあるけれど、おおむね機能性に問題はなさそうだ。


「こんな感じ?」

「上等上等。やるじゃん」

「えへへ」


 どこか照れ臭そうに笑う。こういうところは人間臭いから、頭がこんがらがる。


「これをどうするの?」

「こうする」


 さっき倒したゴブリンの腕の骨をエッセのリュックの中に放り込んだ。


「ぴゃぁああああああああああああああああああああああああああああああッ!?」


 珍妙な叫び声とともにエッセのリュックの触手が解けて、ゴブリンの骨がぼとりと落ちる。


「何するんだバックパッカー」

「こっちの台詞だよ!?」


 ぷりぷり怒りながらエッセが触手を俺の腕に噛みつかせてくる。一瞬身構えたけど、牙のない触手の甘噛みだった。

 触手への嫌悪感さえ除けば、少し吸い付くようなしっとり感で割と触り心地悪くないんだよな。絶対に口にしないけど。


「言っとくけどこれが立派な換金素材だからな。さっさと回収しないとダンジョンに吸収されるし」


 俺は視線でエッセを誘導する。

 ついさっき倒したばかりのクォーツボア。その頭と胴体両方ともが、まるで灰色の地面と同化するように沈んで呑まれていく。

 唯一残ったのはクォーツボアの水晶角で、頭との接合部から根が生えていた。


「この根のある場所が素材として使える。力の中心点だから取り込まれるのにも猶予があるけど、ずっと残るわけじゃないからな。さすがに見たことあるだろ?」

「あるけど……モンスターの死体を漁ったりなんてしないもん」

「モンスターには無用の長物かもしれないけど、探索者の大半はこれ目当てというか、飯の種だからな。必要分稼げないと今日の飯抜きになるぞ」

「うっ。ううう、が、頑張る」


 とてつもなく渋い顔をしていたが、ゴブリンの骨などの素材をバックパックに入れていく。


「よし。で、エッセ。モンスターの位置、わかるんだよな?」

「わかる、けど。どうして?」


 小首を傾げるエッセに、俺は頷く。そりゃやることは一つだ。

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