008:触れ得ぬ者
ダンジョンに行くにしても必要最低限の装備がないと始まらない。
エッセと会ったときに剣はおろか、リュックも回収せずにダンジョンを脱出してしまった。数時間放置したら間違いなくリュックはダンジョンに取り込まれてしまっているだろうから、買い直さないといけない。
だからダンジョンのある教会本部【ガーデン】へ向かう道すがら、鍛冶工房【
【隻影】は南東に伸びるバランストリートの少し西側の、旧市街の中でもさらに古い石造りの建物が並び立つ区画にある。大通りほどは賑わっておらず、他の店はまばらに点在する程度で、単なる住居と化した店も見受けられた。
ここは鍛冶兼雑貨屋で、俺がクリファに来てから世話になっている店だ。
「わぁ、すごい鉄の臭い」
エッセが言葉を漏らした。髪から先っぽに瞳のある触手を伸ばして店内をきょろきょろと見渡す。
店内は狭く窮屈な印象。外からの日の光だけが光源の薄暗い店内には、壁に掛けられた剣や斧などの武器の他、スケイルアーマーなどの鎧や盾などが乱雑に置かれていた。
「じいさんいるか」
俺の呼びかけに奥からもっさりとした髭を蓄えた老人が顔を出す。
「またお前か坊主」
「またとはなんだ。仮にも客だぞ」
「一昨日来たばっかりだろうが、また武器壊しやがったか?」
のっそりと出てくるじいさん。ずんぐりむっくりな体型と毛むくじゃらな髪と髭は、本の中の物語に出てくるドワーフを思わせる。
「いや、ダンジョンに取り込まれた」
馬鹿正直に言ったら睨まれた。
「どんな使い方したらそうなんだ。おい! そこの嬢ちゃん、無暗に店のもん触ってんじゃ、ねぇ。あぶねぇ、だ、ろ……」
「あっ、ご、ごめんなさい!」
エッセの目とじいさんの目が合って、じいさんが固まった。目が合ったのは顔の方じゃなくて、触手の方だけど。まあ当然の反応だろう。
エッセと相談して、姿は隠さない方向で決めた。
教会の公式発表もあるし、必要以上に隠して下心があるんじゃないと疑われては元も子もないためである。
「…………ふぅ。おい、変に触って壊したら承知しねぇからな」
「は、はい」
「それだけ?」
「ふん。胸元の見りゃなんとなくわかる。それに明らかな面倒事だ。事情を聞くのすら面倒くせぇ。頼むから儂らを巻き込むんじゃあねぇぞ」
睨みつけてくるじいさんに両手を軽く上げて了承する。元より何かするつもりもない。
「剣はこっちで適当に選ぶから。じいさん、リュックとかある?」
「なんだおめぇ、そんなもんまで無くしたのか?」
店の隅っこにあった木箱に乱雑に差されている剣から適当に見繕う。
形状としてはグラディウスに近いショートソード。軽く取り回しに優れていて扱いやすい。
「ったくおめぇよぉ。ちったぁ武器にこだわり持ったらどうだ?」
「武器は消耗品だろ。多少持ったらいいよ別に」
「んなこと言ってっからすぐダメになんだよ。手に馴染むもんを正しく使えば早々に壊れやしねぇよ」
使い方が悪いっていうのは自覚しているけど、遅かれ早かれ壊れるのに変わりないし、俺としてはいまの方が手っ取り早くて楽なんだけどな。
そう思ってるとエッセに腕を引っ張られた。
「リム、おじいさんの言ってることの方が正しいよ」
「む」
思わぬ伏兵だった。
「武器はもう一つの命だよ。自分の命を守るために一番近くにあって頼りになるものなの。それをぞんざいに扱うってことは、自分の命もいい加減に扱うのと一緒。だから大切にしないとダメだよ。それにいざってとき壊れたら困るのはリムだよ?」
「ぐっ」
正論だった。ぐうの音も出ないほどに。
「はっ、モンスターの嬢ちゃんの方が武器のことわかってんじゃねぇか。なんだ武器使うのか?」
「……ううん、使わないよ。使うと、怪我をさせちゃうから」
「武器の危うさも承知してるってわけだ。坊主、お前の立つ瀬がねぇなぁ」
俺は肩をすくめる。どうやらここには俺の敵しかいないらしい。身を守るための武器として、目の前のショートソードはひどく頼りなかった。
とは言えだ。
「現実問題、金がない」
こればっかりはどうしようもない。買いたくても買えないのだ。
「リム、びんぼー?」
「どこで覚えたんだそんな言葉。じいさん、そういうわけだからリュックとこの剣、登攀用ロープを頼むよ」
装備をきっちり備えるにしても先立つものがないと。その先立つもののためにダンジョンに行かなければならないという、ちぐはぐなことになっているわけだけど。
じいさんが要望の物を奥から持ってくる。それらをカウンターの机に一つずつ置いていった。
「リュックとロープ、あー、鞘ベルトはあるか?」
「そっちは大丈夫」
「よし。それから折角お前が来たんだ。これ持ってみろ」
そう言って出されたのは反りのある長刀。鞘に鈍く輝く鉱石の細工が施された変わった武器だった。
「左手でやれよ」
「わかってるよ。手袋越しに反応しないか試しただけ」
「リム、何やるの?」
「実験」
俺は手袋の付けた右手から、何もつけていない左手へその剣を持ち換えた。その剣の柄を握った瞬間、すぐに変化は訪れた。
ピキピキと金属が砕ける音が掌に伝わり、長刀が小刻みに震える。そして、鞘の鉱石部分がパンッと軽い音を立てて弾けたかと思うと、俺の握る柄の先、刀身部分が鞘ごと落ちて地面に転がった。
鞘の中から細かく砕けた刀身だったものが零れ落ちる。
「チッ、今回もダメか。十秒ももたんとは全く」
「リム、何これ?」
「アーティファクトだよ。ダンジョンで見つかる武器とか装飾品とか、色んな形をしている特殊な力を持った遺物のこと」
「え、壊れちゃったよ」
心配そうにエッセは俺と武器、そしてじいさんを顔と触手の目で同時に見やる。
「本物じゃねえよ。儂の作った疑似アーティファクトだからな。ダンジョン素材を使って、アーティファクトを真似て造った模造品だ」
「【ガーデン】とか街にも魔石灯があっただろ。あれも疑似アーティファクトの一つだ。ここじゃ珍しいものじゃない」
「へぇ」
「別に本物のほうが良いってわけじゃあねぇ。性能はピーキーだし、物によっちゃリスクもある。そもそも使えないこともあるしな」
それを言うならそもそもお目にかかれない。本物を使った場合どうなるか一度試してみたいのだけど。
「しっかし、耐久性は前より上げたはずなんだが、全然もたなかったな。相変わらず奇特な体質してんな、【
「その呼び名はやめてくれ」
「体質?」
「俺はアーティファクトを使えないんだよ。アーティファクトは使用者の魔力を使って起動するんだけど、俺の場合、何故か触れた瞬間魔力が通ってそのまま壊れるんだ。物によっちゃ最悪爆発するし」
「あ、それってあの斧の子のときの?」
「そうそう。まさかあれもアーティファクトとはな。かなり焦った。改とか変な名前つけてたし、疑似だとは思うけど」
【
「だから、手袋とかしてるし、服を結構着込んでいるんだね。でも左手だけはしてないよね」
「こっちは魔法使うからな。手袋が破けちまう。ただまぁ、夏の時期を思うと憂鬱だ」
下手に触れて壊れでもしたら厄介なことになるのは目に見えている。実際、昔なったことがあった。だから致し方ない。
「便利なアーティファクトなしで、ソロ探索を続けるとか儂にゃあ考えられねぇよ」
「い、いまは私がいるよ! 私がリムの武器になって、リムの命守るからね!」
「こっぱずかしいこというな。自分の身は自分で守る」
「随分と仲がいいんだな」
「どこに目を付けてんだよじいさん。耄碌したか?」
えー、と触手を大きく広げて不満を言うエッセは置いておいて、必要なものは揃ったからあとは金払って帰るだけだ。
そう思っていると、じいさんがカウンターの下から青い液体の入った小瓶を出してくる。
「ポーション? 頼んでないけど」
「耐久確認してくれた礼だ。いつかはお前が触っても壊れねぇもん作ってやるよ」
「そりゃいいね。楽しみにしてる。ポーションもありがたいけどそれなら、これをちょっといい剣に」
「バカか? 儂が打った剣を安売りするわけねぇだろうが。あとリュックも儂の孫娘が作ったやつだからな。一日二日で無くしたとか抜かしたらぶっ飛ばすぞ、いいな?」
最後は低めに脅された。実際腕っぷしは確かだから、有言実行されそうだ。リュックだけは死守するようにしないと。
「おい、嬢ちゃん」
「は、はい」
必要な物は買えたので店を出ようとしたとき、じいさんにエッセが呼び止められた。
「もし武器が入用になったら儂が打ってやるよ。いつでも来な。そこの坊主よりはおめぇの方が打ち甲斐がありそうだ」
「! ……ありがとうございます」
エッセが姿勢を正すと深くお辞儀した。
「ったく、モンスターらしくねえ奴だな」
しっしっと手を払ってじいさんは奥へ引っ込んでいった。そのとき服と手袋の隙間から金属の鈍色が覗いた。
エッセも気が付いたようで、不安げな表情で俺のことを見上げてくる。
店外に出て、教会本部の方へ歩きながら俺は話した。
「じいさんの右腕、義手なんだよ。元探索者で、昔モンスターに腕を喰われたらしい」
「そんな……」
「別にお前が気に病むことじゃないだろ。それに、ああいってくれたってことはもう折り合いがついてるか、お前を一個人として認めてくれたってことだ。俺だってあんなことは言われたことないしな」
エッセは顔を俯けていたけど、すぐに頭を左右に振った。顔を上げたときには、どこか悲し気ではあったけど、それでも笑顔だった。
「よし、頑張ろ――」
ぐぅっとエッセの腹が鳴る。意気揚々と上げた拳は虚しく下ろされ、エッセの両頬は魔炎石の如く赤く染まっていた。
「朝飯食ってないし、適当に屋台でも寄るか」
「うう、ごめんなさい」
お腹を触手で覆い隠してトボトボ歩くエッセ。その背中は弱々しく頼りない。
こいつが、あの階層主を前に大立ち回りをしたモンスターなのだと言っても、誰にも信じないだろう。
直接目にした俺でも信じられなかった。それくらい、エッセはヒトらしかった。
―◇―
【クリファ教会】本部【ガーデン】。
白亜の神殿が新緑の枝葉に侵食されたような外観のそれは、世界樹の根本の裂け目、樹皮の代替となるかのように世界樹の一部となっている。
ダンジョン唯一の侵入経路であり、ダンジョンからモンスターが出ないようにするための砦でもあるここには常にシスターの他、教会直属の騎士セフィラナイト、その他幾つかの探索者ギルドが常駐している。
「前はよく見てなかったけど本当に大きいね」
四階まで吹き抜けとなったエントランスホールを、エッセは大仰に見上げる。そのまま沿って倒れてしまいそうだけど、髪の毛の触手が沿った身体を支えていた。便利だな。
「クリファで一番でかい建物だからな。下手な城よりはまず大きいな」
「どうやって建てたんだろ」
「そこまでは知らん」
巨大な世界樹の亀裂、それを蓋しているだけはあるってことだ。
中は外のように枝葉が蔓延ってはいない。けど白石の壁や床はくすんでいて、長い年月と数多の人の往来を感じさせる。
このエントランスホールの各階左右には受付があって、シスターたちが忙しなく応対していた。
「アシェラには会わないの?」
「会うのは探索を終えてからだな。この前はリュック回収し損ねて、ダンジョンの戦利品全部失くしたし」
「うっ」
一応、自分のせいだという認識はあるらしい。まぁ俺も気絶していなければ回収できていたはずだし、階層主というイレギュラーもあったからとやかくは言わない。
「五階よりも上ってあるんだよね?」
「あるよ。セフィラ様やシスターたちの居住区とか、上位ギルドの専用室とか。まっ、関係者以外立ち入り禁止だから俺らには関係ない」
俺はエントランスホールをそのまま直進する。エッセも遅れてついてきた。
ダンジョンの玄関前ということもあって、当然人通りは多く、そのほとんどが重厚な装備で固められた探索者ばかり。
その視線は俺たち、正確には隣にいるエッセへと針のむしろの如く突き刺さる。
「う、リム……」
「胸元のそれ、隠さないで堂々としてたら問題ない。教会公認なんだからな。喋るモンスターが珍しいってだけだし、しばらくしたら慣れるだろ」
「うん」
とは言えだ。長いことモンスターと探索者、その両方から逃げ続けてきたエッセからしたら、探索者の前で逃げずに居続けるというのはなかなか慣れないだろう。
だからと言って、俺ができることはないんだけど。
「目を合わせるのが怖かったら俺だけ見てろ」
「え」
「さすがにもう俺を怖いだとか、襲われるだとかは思わないよな? そもそも、最初に俺に接触してきたのはお前なんだし」
「うん。リムなら、大丈夫。ありがとね」
強張った表情が緩んで、俺のことをじっと見てくる。触手の瞳でも。
妙な居心地の悪さ。というか落ち着かなさ。あれ、ミスったか、俺。
エッセが他の探索者たちと目を合わせないようにしたのが功を奏したのか、それとも関係なかったか。とにかく、絡まれることはなくホールを抜けてゴツゴツとした岩に囲われた洞穴に出た。
直前に他の階と合流する道があって、ここからは一本道。正真正銘ダンジョンの入り口だ。
「っ……」
「こっから空気変わるよな。でもお前にとっちゃ故郷か?」
「こんな故郷やだよ」
地下特有の肌に粘りつくような重い空気感。足先から這い上ってくる不快感が襲ってくる。その出所は目の前の大穴。馬車を何台も横に並べてもなお余裕のある巨大な階段だ。
ここから先は自己責任。自分の身は自分で守らなくちゃならない。
この世の果てにして、災厄の坩堝と未知の栄光が煮詰められた釜の口だ。
「一つ確認したいんだけど、階層主にまた遭遇したら」
「さすがに逃げの一択だな。あれはどう頑張っても俺には無理」
安心したようにエッセはほっと息を吐く。
「一応言っとくが、引き返すならいまだぞ」
エッセに振り返る。ダンジョンの大口を見て、唾を呑み、その身体は強張っているのがわかった。
「……大丈夫。うん。私のいまの居場所はリムの隣だから」
「そうか」
それは自分に言い聞かせているようで、大丈夫そうには見えなかった。
けど、そこで気を遣えるほど俺は人間ができちゃいない。
階段に一歩踏み出すと、すぐに隣に並んでエッセも一歩踏み出した。
人の形をした人ならざる者との探索行。その第一歩だった。
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