007:うちの触手は不定形


 俺とエッセは坂道を下った先のメインスクエアから、南東に伸びる主要道路の一つ、マーシーストリートをさらに下っていく。

 日の光に街も完全に目を覚まし、店を開く人やダンジョンへ向かうであろう人たちが街を活気づかせる。

 人並み外れた巨漢や、子供と見間違えるほどの背丈の探索者は数あれど、全身から触手を生やしている少女は多分、俺の横にしかいないだろうな。

 街の様子が物珍しいのはよくわかるけれど、一番珍しいのは自分であるとエッセには自覚して欲しい。

 絡まれても面倒なので抜け道を使って足早に家へと向かう。洗濯物が引っ掛けられたロープの下、小さな短い階段の登り下りを繰り返して目的地へ。

 いかにもな古びた木造家屋。旧市街の中でも割と古いらしいこの地域でも、改築などしていないせいで飛び切り古びて見えるこの家が、俺の住処。


「ここがリムの家?」

「俺というか、師匠のだな。といっても師匠はずっと帰ってないから俺しかいないけど。ま、いない奴の話はいいだろ」


 入って即目につくのは、テーブルとキッチン。それから奥への通路と階段。俺はそのまま階段を上って、二階へ。横並びの部屋が二つ。手前が俺の部屋だからそこはスルー。

 奥の部屋を開けると埃が俺の顔面を出迎えてくれた。足元の雑多な物を転ばないよう蹴飛ばしながら、息を止めて一気に向かいの窓を開け放つ。

 新鮮な空気と眩しい陽光。段々となっている隣の家の屋根が見える。

 来客用の部屋だったらしいけれど、完全に物置と化している。木箱やらバスケットやら、錆びた剣に崩れそうな盾、山積みになった文字の掠れた書類や本など。

 ベッドにまでそれらは侵食して、寝床としては当然相応しくない。


「まぁ下の師匠の部屋はもっとひどいから、多分ここが一番マシ」

「…………」


 エッセもこの惨状に呆れているのか、ぽかんと口を開けて部屋を見渡していた。

 しょうがないだろう。俺のいまの部屋だってかなりひどかった。丸一日かかった。隣もやるとか面倒くさくて仕方ない。


「じゃ、とりあえずいらないものは一階の部屋に適当に押し込むから、そのあとの掃除は任せた。雑巾なら下にある。キッチンの水も自由に使っていいから」

「う、うん。掃除なんて初めて……」

「だろうな」


 ダンジョンでせこせこ掃除しているモンスターがいたら笑わない自信がない。

 とりあえず、空き木箱に入りそうな本とか書類をぶち込んで、残りは木箱の上に乗せて一階の師匠の部屋兼物置に放り入れていく。

 ベッドと机だけになったところで、エッセを残して一階に。


 さすがに寝る前に何か腹に入れておきたい。

 まず鉄釜から取り出した、くすんだオレンジ色がかった赤い魔炎石を三つ、コンロの中心にある穴にそれぞれはめ込む。壁にかけていたフライパンで軽く魔炎石を叩くと、くすんだオレンジ色は鮮やかに発色した。

 それからテーブル上のバスケットに乗った直方体の山型食パン。それをナイフでカットし、熱を放つ魔炎石で軽く色がつくまで炙って、用意した二枚の皿に一つずつ乗せる。

 コンロにフライパンを乗せるとすぐに煙を吐き出し温まる。吊るしてあった干しベーコンを二枚引きちぎりそこへ投入。棚に残ってあった卵を二個、それぞれベーコンに乗せて火が通るまで焼く。

 脂の弾ける音、煙に乗るベーコンの香ばしい匂い。白い背景に太陽が浮かび上がってきたら、それらを皿の上のトーストに乗せて、完成。

 火ばさみで魔炎石を魔氷石入りの水桶に放り込んで終わりだ。フライパンの掃除はあとにしよう。

 調味料はベーコンの塩味だけだが、十分だろう。


「エッセ。とりあえず、掃除は区切りいいとこにして、これだけでも食、え……」

「あ、リム。掃除、もう終わるよ」


 なんだこれ。なんだこれ。な、ん、だ、こ、れ。

 部屋の中心に立ったエッセ。足元から広がる黒紫色のシミ。水たまり? いや触手の塊か。

 そこから幾本ものという表現は生温い。何十本もの触手が蜘蛛の巣の如く部屋の壁や床、天井へと伸び、忙しなく動いていた。その触手の先には雑巾のようなものがある。


「いやいや、雑巾こんなになかっただろ」

「うん。だから触手の先端をこう、擬態させて、えい」


 エッセの袖の下から伸びた触手の先端がどろりと溶けたかと思うと、雑巾に早変わり。

 触手に癒着しているし、色も黒っぽいからよく見えれば、エッセの身体の一部なんだとわかる。けれど遠目だと見分けるのは困難だ。

 さっきまであった部屋の誇りっぽさは完全になくなり、黒ずんでいた壁などは新品とは言わないまでも木本来の色を取り戻している。


 触手たちの動きが止まり、擬態された雑巾がエッセの前へ行ったかと思うとぎゅうっと押し付けられた。そして、ぼとりっと拳大の何かが落ちる。

 綺麗になった部屋。消え去った埃と汚れ。そして、拳大の灰色の塊。つまりゴミ。


「これ、どこに捨てればいいの?」

「……下の木箱のごみ入れに入れておいてくれ」


 なんだかな。丸一日汗水垂らして片付けた自分がバカに思えてくる。というか触手便利だなー。羨ましいなー。


「捨ててきたよー。リム、どうして遠い目をしてるの?」

「なんでも、ない。それよりあり合わせの大したもんじゃないけど食うか?」

「いいの?」

「味は期待するな」

「ううん! すごく嬉しい! いただきます!」


 ベッドに座って膝をテーブル代わりに皿を置く。そのまま手で掴むのかと思いきや、袖から伸びた触手の先端をナイフとフォークに擬態させて、トーストを丁寧に切り分け始めた。


「お前、仮にもそれ、触手なんだよな?」

「うん。触手だよ?」

「さっき雑巾だったじゃないか。ちょっと待ってろ、ナイフとフォーク持ってくるから」


 ていうか、モンスターの癖にナイフとフォークを使うのか。人語を使う上に食器まで、本当に変なモンスターだ。


「……いや、モンスターに飯出してる俺も大概か」


 ついでにグラスに水も注いで、エッセの所へ持っていく。


「ありがとう、リム。あむっ……んーんっんー!」


 丁寧に切り分けて、黄身が滴るベーコンとパンをフォークで一刺しし、口へ運ぶと頬が緩むエッセ。そのままもう一口、もう二口とノンストップで食べ進めていく。

 勢いありすぎて、あのギザギザの歯が舌とか内頬を噛みやしないか心配になる。

 しかしまぁ本当に美味しそうに食うな。それでいて、どことなく食べ方が上品だ。

 誰かに習った、いやダンジョンで誰かの食事姿を見て倣ったのか? そう思っていると涙が落ちた。

 比喩じゃなくて、俺がでもなくて、エッセがその緩んだ頬に一筋の涙を伝わせたのだ。


「なんで泣く」

「ご、ごめん、なさい。こんなに美味しいもの食べたの、その……」

「初めてって? ……そんな大層なもんじゃないけど、まぁダンジョン暮らしならな」


 ダンジョンでの食事をどうしていたのか気になるけど、ぐっと口をつぐむ。

 心底美味しそうに食べるエッセの邪魔をしたくないと思ったからだ。


「こっちも食べろ」

「いいの?」

「お前の食べっぷり見たら腹いっぱいだ」

「う」


 気恥ずかしそうに顔を背ける。けど、髪の触手は俺が差し出した皿にスルスルと伸びていて、とても正直だ。

 皿を受け取ったエッセは、フォークで丁寧に半分に切り分けると、何故か自分の皿に一つだけ移して残りを俺に差し出してきた。


「し、知ってる? こういうのってい、一緒に食べたほうが美味しいんだって」

「誰に聞いたんだよ」


 どうにか取り繕おうとするエッセが妙に可笑しくて、俺は失笑しながらも突き返さずに受け取った。

 椅子を引っ張ってきて俺はそこに座る。

 当然フォークなんて使わず、手掴みで縦長になったトーストを半分に折り畳んでそのまま頬張った。


「え、ちょっと、リム、はしたないよ?」

「んく……普通こうやって食うんだよ」

「そう、なの?」

「試したらいい。まだ残ってるんだし」


 エッセは少し戸惑った様子を見せたけど、意を決したようにナイフとフォークを置いてトーストを手掴みした。

 そのまま小さな口に持って行って、そのギザ歯でかぶりつく。


「……! ……!」


 エッセは目を見開くと、その玉虫色の瞳を嬉々に煌めかせた。

 触手が酩酊するようにうねうねと空を泳ぐ。

 別に味なんて変わっていないはずなのに、エッセはさっきよりも美味しそうにトーストを食べているように見えた。

 わかりやすいというか、ちょろいというか。

 だけど、そんなエッセの食事姿を見るのは意外と悪くない。なんとなくそう思えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る