006:外殻都市クリファ
地下迷宮ダンジョン。そう呼ばれる場所が、この世界には数多く存在する。
例えば、森林に囲まれた大穴の下。
例えば、王宮の隠された地下室の先。
例えば、山嶺連なる谷の底。
例えば、例えば、例えば。
しかし、いまだ発見されていないダンジョンを含めても、どこが最大最深を誇るダンジョンであるかは、全会一致で決まっていることだろう。
【外殻都市クリファ】。
世界最大のダンジョンと、世界最大の巨樹――世界樹を擁する街。
その街の中心に位置する、幾重にも連なる山脈すら小山と思えるほどの巨樹は、かつては雷雲すら突き抜け、遠い彼方までもその影を映し、星々に届くのではと思うほど雄々しく屹立していたそうだ。
しかし、いま世界樹を見る人は絶対にこう思う。
――でっけぇ切り株だな、と。
世界樹は根本より少し上の位置で水平に両断されていた。
さらに縦に入った巨大な亀裂。そこには世界樹の根本に建てられた神殿がある。
遠目から見れば薄緑色の物体だが、実際は白石造りの建物だ。蔦が建物を覆うほど絡まっており、比較対象が世界樹のため小さく見えるけど、れっきとした都市最大の建造物である。他国最大の城と比較しても全く引けを取らない大きさだ。
ここがダンジョンの入り口。【外殻都市クリファ】を作った【クリファ教会】の本部である【ガーデン】だ。
俺とエッセはそこから出てきて、まだ朝日も昇り切らない頃、白い吐息を吐きながらも半日ぶりの外の空気を堪能した。
エッセにとっては初めての外の空気か。
「すごいすごい、大っきい切り株っ!」
「予想通りの反応過ぎて逆に嬉しくなるよ」
髪の触手をぶんぶん、腕も振って袖口からも触手がにゅるんっと出てはぶんぶん振られていた。目が回っていたように見えたのは気のせいか?
「こんなところだったんだ……ねぇリム、どうしてあの樹はああなってるの? 半分っこだよ」
「あー、えっとなんだったっけかな。確か、ここには昔テンシがいたんだけど、タイタン? って呼ばれる奴らがやってきて、この樹を切ったらしい」
「切った? え、斧で切るみたいに?」
「斧かは知らんけど。まぁなんやかんやあって切ったらしい」
「……世界樹が切られたから、テンシはいなくなったの?」
「俺も詳しくは知らん。でもそう教えてもらったな。で、そのときから世界樹にダンジョンが出来て、モンスターが現れるようになったんだと」
世界各地にダンジョンが出現したのもその頃なんじゃないかっていうのがいまの流説。それも千年以上前の話らしいから、真偽のほどは確かめようがないけど。
ただ世界各地でダンジョンからモンスターが現れ、外界に甚大な被害をもたらしているのは事実だ。ここクリファも例外じゃないけど、それは教会と探索者たちによって水際で食い止められている。
しかし、ダンジョンは危険ではあるけれど、同時に外界には存在しない特異な物を入手できる貴重な場所だ。
例えば、鉄を遥かに上回る硬度を持つオリハルコンやアダマンタイト、あらゆる外傷を癒し死すらも克服させると言われる霊薬エリクシルなどがある。まぁ、まずお目にかかることはできないけど。
より身近なものでは熱や冷気を放つ魔石がここクリファでは広く流通して、日常的に扱われている。発火、発熱する魔炎石はその代表だ。
それらは大袈裟じゃなく国力にも関わるほどで、戦争原因の一つがダンジョンであることも珍しくない。
なんなら、現在もクリファは戦争状態だ。未発見を除く全てのダンジョンはどこも探索され尽くし、踏破されていないダンジョンはここ世界樹のダンジョンのみであるが故に。
曰く、未知を探求するのは人の性であるらしい。
「ん。あぁ、陽が眩しい」
ふと思わず零したような、深い感情が籠った言葉がエッセの口から漏れる。モンスターにとって、陽の光はきっと初めてのものだろう。
遠い東。世界樹の膝元の河を越え、平野となった広大な農園のさらにその先。地平線の彼方から眩い陽光が、世界樹と俺たちを包み、眠った街を起こしていく。
眼前の足元、折り重なる坂道の先に、白と茶、オレンジの屋根が一斉にモザイク模様へと浮かび上がっていく。
緩やかな斜面に連なる旧市街と、平野に広がる新市街とを呼び起こし、街並へ目覚めを伝えていく。
陽の光に鼓動するように、世界樹傍に建てられた建物から街へ、幾本も伸びる線が動き出した。
貨物運搬用のロープウェイで、緩やかではあれ傾斜のある広大な街の流通を円滑にするために欠かせないものだそうだ。中継地となる塔が、街の至るところにシンボルマークのように建っている。
世界樹を中心に放射状に作られた街は、世界の最果てにありながら、世界で一、二を争うほど巨大な街となっていた。
「すごい……こんなに大きかったんだ。ダンジョンよりも大きい」
「そりゃさすがに誇張だと思うけどな」
「ううん。本当にすごいよ。ここにいっぱい色んな人が暮らしているんだね。ありがとう、リム」
「……?」
「私を連れてきてくれて。陽の光を、世界を見せてくれて」
一歩進んだエッセが笑顔とともに振り返った。
虹が瞬いて見えた。
朝陽に照らされて、エッセの身体と黒紫の触手が虹を抱くように透けて見える。
神秘的で、不可思議で、触手の気味悪さを払拭するほど綺麗で。
目の前の少女が人ならざるモノにも関わらず、俺は見惚れてしまっていた。
「リム?」
「っ、な、なんでもない、行こう。入口の前で突っ立ってると邪魔になるし」
何を考えているんだ俺は。
いや、いやいや。ただ、虹色に煌めいて見えたのが綺麗に見えただけだ。雨の日の後、空にかかる虹を見るのと大差ない。そうだ、そうに決まっている。
動悸する胸を鎮めることに努めながら、俺とエッセは並んで歩く。神殿前広場を抜ければ、そこにあるのは広い長階段だ。
「ね、リム。ここはどんな街なの?」
「どんな街って。俺は外から来たからそんなに知らないぞ」
「そうなの? 長いこと暮らしてないの?」
「一ヶ月とちょっとくらいだよ」
小首を傾げるエッセに、階段を下りながら街のことをどこから話したもんかと考える。
とりあえずはクリファの簡単な成り立ちからでいいか。
「この国の始まりは、そもそもダンジョンの取り合いで共倒れになりたくなかった国たちが、共同で派遣した遠征隊なんだと」
「遠征隊。ここのダンジョンを調べに来たの?」
「そう。で、その遠征隊の前に現れたのがさっき会ったセフィラ様。なんと、その遠征隊を全員寝返らせて、自分たちだけでこの【外殻都市クリファ】を作り上げたらしい」
「どうやって?」
「さぁ」
ただ、世界樹のダンジョン産の資源は、他よりも良質のようで、それらを武器に外交を有利に進めた結果、ここまで発展できたと教わった。
「当然資源も多いから、色んな国に狙われるんだけど。ほら、さっきアシェラさんとの話で出てた【帝国】。他国のダンジョンを奪うために戦争吹っ掛けまくって領土広げてる国なんだけど、そこすらも退けてる」
「帝国……」
「それで大人しくしてくれてたら、俺の――」
「……」
「なんでもない。忘れろ」
失言だった。エッセには関係ない話だった。
ただ当然、帝国のみならずそれ以外の国の侵攻もあり、それも全部返り討ちにしている。
「何が言いたいかっていうと、そんな街を造ったセフィラ様がやばいって話だ」
この街とその周囲一帯という小さな領土しかないのに未だ侵略されていないのだから、余計にそのやばさが浮き彫りとなる。
「話が本当なら百年以上前から生きてるってことだしな。なんならテンシの生き残りなんじゃないかって話もあるし。世界樹の中から現れた、な」
「なるほど」
「そんなセフィラ様に面会したいっていうお前の理由が気になるな」
「…………」
目を逸らされた。触手も。途中、ちらっとこっち見て、俺がジト目で見ていると知ると背中に隠れていった。
「まぁいい。街並みに感動してるとこ悪いけど、さすがに眠い。早く帰るぞ」
馬車でも呼びたいけど、駆け出し探索者にそんな金の余裕はない。
長階段を終え、今度は波打つ蛇のような坂道を縦に穿つように通っている階段を下りていく。坂道は馬車用の道路で、早朝にも関わらず馬と車輪が石を叩く音が乾いた空気に響く。
まだ日も昇りたて。それでも最大のダンジョン都市。ダンジョン探索に終わりはなく、眠りもない。
人の少ない夜間の探索を終え帰宅する鎧装備に身を固めた者もいれば、寝ぼけ眼の仲間を引っ張るローブ姿の魔法使いもいる。寝坊でもしたのか、必死に長い階段を登る女性もいた。装備らしい装備もないからきっと教会関係者だろう。
エッセに気づく人もいたけれど、胸元の宝石を見ると訝しみながらも何も言ってこなかった。
「リムは探索者、なんだよね?」
「探索者資格がないとそもそもダンジョンに入れないしな」
「ダンジョンで何をしていたの?」
「……探索者がすることはひとつだろ」
探索者。ダンジョンを探索する職業の総称。
ダンジョン内にある特殊な鉱石や植物、モンスターを倒すことで得られる素材、さらには超常的な力を持つ【アーティファクト】と呼ばれる遺物の回収。
加えて不明な下階層の地形・生態調査や現象の解明など、ダンジョンに関する様々なことを行う者たちが探索者と呼ばれている。
大勢の者は一攫千金を求めたり、クリファの同盟国から来た探索者などは勅命を受けてダンジョンの探求や力を求めたりなどと思惑は様々だろう。
アーティファクトに至ってはそれ一つで大きく戦況を変えうることもある代物だ。売れば屋敷一つ買えるものだってある。そうそう手に入らないから希少なんだけど。
「リムはダンジョンのど真ん中で寝ることが探索、なの?」
「……あれは別に寝てたわけじゃない」
ジト目で見られる。
「ダンジョンのど真ん中でリムを見つけたときはほんっっっとうにびっくりしたんだから」
「危うくエッセのノミの心臓を潰すところだったな」
「むぅ、リムって皮肉屋? ダンジョンに取り込まれることもあるんだし、本当に気をつけよぅ?」
「お前は俺の姉か何かか。……死ぬつもりはない。でも探索者になった以上、死ぬ覚悟はしてるし、別に怖くもない」
ダンジョンで死んだなら、きっと。
「リム」
エッセが悲しそうな顔をするのを払って俺は言う。
「もし本気で危なくなったら、お前は逃げていい。目的があるんだろう? それまで適当にやってればいいよ。俺を守る必要はないから」
「わ、私はリムを見捨てないよ。私の居場所だもん」
キッと口を結んでエッセが俺を見据えてくる。心外だと言わんばかりに。
エッセの立場からしたら、そう張り切る必要もないと思うんだけどな。地上に出られたら俺のことは用済みのはずだろうに。
根がお節介焼きなのかもしれない。探索中面倒事にならないといいけど。
「なぁお前って」
「どいてどいてー!」
ざっざっと地面を蹴る音が響いた刹那、巨体の影が俺たちの頭上を飛び越えた。
それは俺たちの階段の下、道路にはみ出ないギリギリのところで着地する。
「げ」
俺の口から思わず漏れる言葉。その言葉に反応したように、影の主がこちらを見てくる。
しまった。逃げるタイミングを完全に逃した。
朝日に眩い、特徴的な真紅の外套。
「あれぇ、リムじゃーん?」
軽妙な喋り口調で、その女は被った真紅のフードを脱ぐと、透き通るようなセミショートの金髪が露になった。人懐っこい笑み。しかし、緋色の瞳に宿るのは、獲物を見つけた悪食の獣。
「なんで立ち止まる。そのまま降りてけよ」
「つれないねぇ、この子が馴染みの匂いを嗅ぎつけてくれたから止まってあげたのに」
この子。つまりさっきの影。
目の前の女、探索者サリア・グリムベルトが跨る、成人男性よりも遥かに大きい鈍く輝く銀色の毛並みをした狼だ。
当然、ただの獣じゃない。
「り、リム、も、もも、モンスターがいるよ。街中なのに!」
「お前もモンスターだろうが」
俺を壁に使うな。さっきの見捨てない発言はどこいった。
「ウルはきっちりテイムしているから心配ないよ」
モンスターでありながら大人しく、荷馬のように背には鞍、小さなリュックを左右にぶら下げていた。
そして首にはエッセと同じ【ルーティア】の宝石を装着した首輪が巻かれている。
「ていうか、ねぇ、リム」
ウルと呼ばれたシルバーウルフの首元を撫でてから降ると、サリアの声音が変わる。
目をギンギンに見開き、口元が堪え切れない笑みに歪むのがわかった。
「ソレ、何?」
「……見ればわかるだろ」
「いいや、いいやわかんないよ、リム。ソレは何? なんで喋ってるの? なんでここまで人の形をしてるの? なんで? リムもテイマーになったの?」
「曰く【デミショゴス】だと。それ以上は知らんし、仮に知っててもお前に話すことはない」
「あたしがモンスターフィリアだって知っててそれ言ってる?」
肩をすくめてシニカルに笑う。
サリアの真紅のコートの下から、ベルトポケットを腰に胸にと巻きつけた蒼いトップスが覗く。下は灰色のショートパンツに黒いタイツとかなりの軽装。腰のベルトにはサリアの得物である銀の片手斧が煌々とした輝きを放っている。
「モンスター、フィリア?」
「モンスターに性的興奮を覚える変態のことだ」
「そっち方面の変態どもと一緒にすんな。あたしは健全に、モンスターたちが好きなんだ」
「モンスター好きの時点で健全じゃねーだろ」
「何言ってんのよ、モンスター可愛いじゃない」
「敵モンスターは普通にぶち殺してるくせにな。寝ぼけてんのか?」
「ざんねーん。たったいま第二階層走り回ってきたところだから覚醒中ですー」
「走り回りすぎて頭に空気が行き渡ってないんだな可哀想に」
「チッ」
「チッ」
お互い舌打ちして話を打ち切る。
「でもホント、その子何? 喋るモンスターなんて古今東西聞いたことがないんだけど。【デミショゴス】ってことは、半人半魔ってこと? 当然教会は知ってるよね?」
「この宝石を見たらわかるだろ。お前のモンスターがぶら下げてるのと同じだ」
身体をずらしてエッセの首元を見せてやる。
「偽造、できるものじゃないからねソレ。セフィラ様が直々に作ってるものだし。見慣れてるから本物かどうかもわかる」
口元に手をやり考え事に耽るサリア。さっきまでのおふざけ感とは打って変わって、静かになった。だけど、だから、不気味だ。
「うん。興味深い。とても、とてもね。とりあえず、言葉はわかるんだよね? 二人が一緒にいるってことはリムがマスターってことかな」
「えっと、マスター?」
「テイムされたモンスターの主人ってことだ。別に俺のことをそう呼ばなくていいからな」
「う、うん?」
「自己紹介しよ。あたしはサリア・グリムベルト。この子、ウルのマスター」
「えっと、エッセだよ」
「よろしく」
自然な流れで握手を求めるサリア。それに応じるエッセ。瞬間、俺はエッセを抱き寄せてサリアから引き離した。
空に残ったサリアの手。流れた重い沈黙。
時が止まる俺たちに、サリアだけが笑みを浮かべる。酷薄に。ああやっぱり、とでも言わんばかりに。
「握手妨害なんて失礼だね、リムゥ? それともあたしとエッセが仲良くしちゃうのに嫉妬しちゃった?」
「誰が」
「ふふ、そういうことにしといてあげる。今日のところはね」
サリアはあっさりと引き下がって銀狼ウルの背に乗る。
「じゃね、エッセ、また会いましょ?」
人差し指を唇に当てて投げキッス。俺はとりあえず何もない空間を払っておく。
にんまり笑ったサリアがウルとともに階段を下りていった。来るときはいきなりで、去るときはさっさとって感じだ。
「私、あの人苦手かも」
「大丈夫、あいつが得意な奴なんて大概可笑しい奴だから」
「……リムとサリア、仲良さそうだったけど」
「やめろ。冗談でもやめろ」
本気で嫌だった。
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