005:結び目は触手にて
アシェラさんに案内されたのは教会内にある応接間だった。アシェラさんは扉前にいた甲冑の騎士と話があるようで、俺に先に部屋へ入るよう促す。
中は牢獄とは違って、魔石灯が煌々と輝いていて、昼間のように明るかった。ただ窓は一つもなくて、外に騎士がいたから逃げ場はどこにもない。
「あ」
ソファに姿勢を正して座っている少女がいた。触手の少女。エッセだ。
瞳のある触手が俺を見据える。どこか嬉しそうにその目は細められ、次いでエッセが振り返るとその目には涙が溢れかえっていた。
「リムぅーー!!」
「ちょっ、待」
すぐさま俺に飛び掛かってくるエッセ。触手を全開。まるで捕食でもせんばかりに触手の口は開かれていた。
突然のことで避けられず、そのまま押し倒される。背が痛くないのはエッセの触手が俺の背に回されていたから。そして、エッセは俺の首を何度もその細い指で触れてくる。
「首、首大丈夫? 吊られてない?」
「なんで首……あぁ」
そういえば吊られるって言ったっけ。
「リムと別れたあと思い出して。リムは悪くないのに」
「あれは冗談だ、冗談。ぺたぺた首を触るな触手を巻きつけるな絞め殺す気か」
「うぅ、だってぇ」
エッセが触手と両手で入念に俺の首を触ってくる。まるで顎クイされてる猫みたいな状態なんだけど、妙に肌触りのいい触手が逆に気持ち悪い。
見た目グロテスクなのに肌にフィットする感じが、いつまでも触っていられそうで魔性の感覚だ。油断すると意識をもって行かれそうになる。
これ以上は本当に猫になってしまう。俺は立ち上がってエッセから距離を取った。
「されてないから! 何も! それよりお前は何もされなかったのか?」
「うん。ここで待ってろって言われてずっと待ってたよ。色々聞かれたりはしたけど」
「そうなのか。ん? そういや怪我治ってないか?」
肌の傷はおろか触手も脱皮直後のようになっていて、萎びていた竜胆の花飾りも瑞々しさを取り戻していた。服は、着替えたのか? 全く同じに見えるけど。
「モンスターだもん。あれくらいなら勝手に治るよ。いつもより早かった気もするけど」
「ふぅん。そりゃよかったな」
「うん。ありがとね。リムのおかげだよ」
「俺は、別に……」
真っ正直にお礼を言われるとむず痒い。エッセがモンスターだからということにしておく。
そうこうしていると後ろで扉が開けられた。
アシェラさんが入ってすぐに扉の脇に避けて、頭を深々と下げた。その表情は緊張に凝り固まっていて、まるで下手なことをすれば殺されかねないほどの存在がいるかのようだった。
そして、カサリ、と衣擦れではない枝葉が擦れあうような音とともに、その人は部屋へと入って来た。
「待たせた。異邦の旅人。それから、深淵に挑む者」
幼子のようなどこか舌足らずな声でありながら、どこか無機質で抑揚のない言葉遣いで俺たちに声をかけてくる。
その人は肌の露出を一切していなかった。全身を厳かなローブで包み、顔は口元すら見えない黒いヴェールで覆われて、表情が全く窺い知れない。
女性であることが声で辛うじてわかるくらいだ。
深緑を基調としたローブには大樹の刺繍が豪奢に施され、アシェラさんの立ち振る舞いからしても、いわゆる高貴な身分であることがわかる。
「此度は階層主とも遭遇し大変だったと聞いている。よくぞ無事帰還したな。すごいぞ」
「えっと」
「お初にお目にかかります。セフィラ様」
エッセが俺の脇を通り、その前に立った。
セフィラ様と呼ばれた人の後ろで殺気立つ気配がするけど、ローブの中から出したオペラグローブに覆われた手を上げて制止する。
セフィラ――セフィラ様って確か、このダンジョンを中心に【外殻都市クリファ】という都市を築き、【クリファ教会】を設立した聖女だったはず。
しかもその設立はいまから百年以上前。つまり、百歳越えのはずなんだけど、声色も背丈も目の前にエッセと大差ない。
セフィラ様は人間じゃない、実はテンシだ、なんて話をよく耳にするけど本当だったのか?
そして、モンスターであるエッセは驚くほど綺麗な所作で、その場に片膝をついて頭を垂れた。まるで王に謁見する臣下のごとく。
エッセの触手はぴくりとも動かない。一本一本が御前なのだと理解している。それほどまでに、エッセの立ち振る舞いは完璧なように見えた。
「このような形で謁見させていただく形になったこと謹んでお詫び致します。セフィラ様、此度は」
「済まないな。ここへ来る以前より回答は決まっている。そなたの望みは叶えられん」
エッセの言葉を遮り、セフィラ様は有無を言わせず断じた。
「自分がその立場にないことはわかっています。ですから私の」
「議会もある手前、我の一存では決められないということだ。【開闢祭】も二週間後に控えている故な、そなただけに時間は割けぬ。許せ、我個人としては力になってやりたいのはやまやまではあるのだ」
「ではせめて私の」
「事を急くな。ここで全てを話しても誰も得しない。そなたも我も、それから」
エッセがハッとして言葉に詰まる。
正直、話についていけなかった。これだけの短い言葉で二人は話が通じているし、エッセはエッセでセフィラ様相手に相応しい態度を取れている。
二人がどういう関係なのか、エッセが何なのか。まるでさっぱり見当がつかない。
完全に俺は蚊帳の外だ。
「我がここに来たのはそなたとリム・キュリオスの処遇に裁定を下すため。それだけ」
「おっと……セフィラ様直々に裁定してもらえるのか。怖いんだけど」
苦笑いで答えると、無言で近寄って来たアシェラさんに裾を掴まれた。
首を小刻みに左右に振る。余計なこと言うな、ってことらしい。
「いいな。そなた。声に畏れを感じぬ」
「……ダンジョンで化物に追われたばかりなので」
地上に出てからは、階層主よりも化物な【
「それにセフィラ様って案外普通だなって。聞いた話だともっとおばあちゃんかと」
「やめてリムくんそれ以上は本当にやめてお願いだからもう何も言わないで」
アシェラさんに半泣きで懇願された。そんなビビるほどのものかと思ったけど、よくよく考えれば今から俺罰せられるのか。
ん。もしかして、探索者資格とか没収されたらまずい、のか。
「セフィラ様。リムは悪くないのです。私が地上に連れていってほしいと頼んだから」
「我は怒っていないぞ。そう萎縮するな。態度を改めよ、とも言わぬ。ここは公の場ではないのでな」
しかし、とも続ける。
「いかなる理由があろうとも、許可なくモンスターを地上へ連れ帰ることは許されぬ。それが例え、そなたのような“モンスター”でもな」
「……う」
「では裁定を下す。リム・キュリオス。地上にモンスターを連れてきた責として、そなたにはこの娘の身柄を引き取り、管理してもらうこととする。期間は【開闢祭】終了まで。それを以て、刑の執行とする」
「「…………はい?」」
俺もエッセも同じように小首を傾げた。だけど、俺の方が言葉の意味の理解が早かった。
「いや、いやいや、いやいやいや。待ってください。俺がエッセを預かるって、エッセはモンスターですよ?」
「不服か? かなりの温情を与えたつもりだったが。これでも議会をひとまず納得させるのに苦労した。とてもしんどかった」
「そうじゃなくて、エッセは喋れます。喋るモンスターが街を歩いていたら大混乱になるし、エッセが大人しくしてくれる保障もない」
エッセには知性がある。会話も成り立つ。でもそれを人間の尺度で当てはめていいか、俺にはわからない。何か別の目的があり、虎視眈々と企んでいる可能性は否めない。
「……」
ダンジョンでの行いを見て、疑うのは馬鹿馬鹿しいと自分でもわかってはいるけど。
「教会としてはこのあと公式に声明を出す。特殊個体のモンスターとしてな。種族は……【デミショゴス】とでも称しておこう。それがいい」
「デミ、ショゴス?」
「スライム種の上位個体。万物に変容する魔性の肉塊ショゴス。その
「いま決めました?」
返事はないが、多分図星だろう。
「……案ずるな、ここは探索者の街。そなたが思うほど未知に不慣れではない。危惧している【ヘカトンケイル】についても話は通しておく。堂々としているといい」
そして、セフィラ様は多分エッセを見据える。
「それに、下手を打って本懐を遂げられず困るのは自分だと重々承知だろう」
「そもそもエッセの目的ってなんなんだよ」
「……ごめん」
エッセが顔を合わせてくれない。
何も聞かずに黙って預かれ、面倒事はそっちで解決しろ、ということか。
「いや待ってください。別に俺じゃなくても、教会でエッセを引き取ればいいじゃないんですか」
「その選択肢もあるにはある」
「……別に罰則があるってことですか」
モンスターを地上に連れてきた罪を見逃す代わりにっていうことだから、それが自然だ。
だけど、セフィラ様は頭を左右に振った。
「そなたには何も罰則はない。ただし、そこな娘には死んでもらう」
「そ、それはずるいだろ」
あまりに衝撃的すぎて敬語を使う余裕がなかった。
俺が引き取らなきゃ殺す? 半分脅しじゃないか。
「正確には教会側で処理したことにし、ここの牢獄で監禁する。そなたが捕らえられていた牢のことだな」
絶句した。
何故、エッセがこの応接間に通され、俺が牢獄へ入れられたのか、その意味がわかったからだ。
あの窓も何もない、暗く硬い石壁の牢獄で二週間も閉じ込められる。死んだことにされて。エッセは何も悪いことをしていないというのに。
捻くれているにもほどがある。人の善性と罪悪感を煽り立てるえげつない手法。
初めて目の前の存在が、異形であるように、化物であるように俺には見えた。
「良い性格、してますね」
「皮肉は甘んじて受け入れる。懐が広いからな」
苛立つ俺の腕にエッセが触手を巻きつけてくいくいと引っ張ってくる。
そこにあったのは笑顔だった。
モンスターの醜悪さも、人外の悪辣さも微塵もない、少女らしい微笑み。
「リム、私は大丈夫だよ。そこがどこかよくわからないけど……」
そして、なんてことない風に言うのだ。
「ダンジョンよりはずっと安全だもの」
いつなのだろう。エッセがダンジョンで生まれたのは。
一日? 一週間? 一ヶ月? それとも一年以上前?
それでも少なくとも、ダンジョンがモンスターであるはずのエッセにとって優しくない場所であることは明白だった。
どこともわからない牢獄を安全だから大丈夫だと言えてしまうほどには。
ああ、腹が立つ。腹が立つけど、もう腹は決まってしまった。全て思惑通りだとしても乗ってやる。
何よりも腹が立つエッセの諦めきった表情を崩せるなら、エッセの一人や二人、幾らでも預かってやるよ。
「俺が預かる以上、エッセをどうしようが勝手ですよね」
「……え、リム?」
平気そうなふりをしていたエッセの顔が放心状態になる。触手がぴくんと反応して、遅れて目を剥いた。
「そうだな。略式処理となるが、そなたにはテイマーの資格を与えるぞ」
「テイマー……モンスターを調教したり、魔法で操れる力を持つ探索者のことでしたっけ」
探索者という広い括りの中で、戦士や魔法使いといったクラスの中の一つが
セフィラ様は頷き、チェーンに吊るされた翡翠の宝石を、アシェラさんを介してエッセに差し出す。
「モンスターさ……、え、エッセさん、こ、これ、【ルーティア】。テイマーの管理下にあるという証、です」」
「え、えっと、え……」
「受け取れ、エッセ」
「う、うん……あ、ありがとう。あと私のことはエッセでいいよ」
「あ、う、はい、ふ、ふひ、ふへへ……肌身離さず身に着けていて……ください」
【ルーティア】と呼ばれる翡翠の宝石はトリリアントカットが施され、目を奪うほど爛然としていた。
それをどう加工したのかわからないけど、宝石の中に触手、いや木の根のようなものから解き放たれた竜の絵が彫り込まれている。
受け取ったエッセはそれをしばらく眺めて、チェーンから宝石を外すと、そのまま直接鎖骨の真ん中あたりに服の上から押し当てた。
するとエッセのブラウスの首元部分がまるで繊維が解けるように細かな触手となり、宝石を絡めとる。触手は隆起し、それらで象られた黒紫色の花弁が【ルーティア】を中心に、エッセの首元で咲き誇った。
落とす心配はなさそう。さすがは触手モンスターといったところか。
「しかし、それでも街を単独で出歩くことを認めたわけではない。そなたが常に傍にいるように。無論、同行するからと共に街の外を出ることは許可していないぞ。ダメだぞ。フリじゃないからな?」
「わ、わかってますよ……フリ?」
「我の用件はこれで済んだ。アシェラ」
「は、はひ」
不意に呼び立てられてアシェラさんが背筋を伸ばす。前髪が跳ねて顔が露になる勢いだ。
「そなたが担当のシスターだ。責務を果たすことを期待する」
「は、はい……」
「それと魔法を使ったな? 使うなと厳命していたはずだが」
「そ、それは。使いたい、と思ったから……です」
「ふむ……? そうか。まぁよい。次は気を付けるのだぞ」
ちらりとセフィラ様がこっちを見た気がした。
けれどそのまま踵を返して部屋を出ていった。入口の騎士に扉を閉められて、部屋には俺とエッセ、そしてアシェラさんが残される。
「あ、あの、リムくん」
「どうしたのアシェラさん」
もじもじしながらも、アシェラさんは頭を深々と下げてきた。
「ご、ごめんなさい。こ、こんなことになって、しまって。で、でもセフィラ様をあまり悪く思わないで……! あの、あの、最近は【帝国】の侵攻があったり、今日は階層主の出現もあったり、議会との擦り合わせもあったりして、時間がなくて」
あれだけ恐れていても、それは敬服していることへの裏返しなのだろう。
失礼を働けば殺されるから、とかそういうのではない。敬っている、慕っているからこそ、自信のないアシェラさんにはこういう態度として出てしまうのだと思う。
「まぁ悪く思わないのは無理だよ。俺に選択肢はなかったし」
「うっ」
半分しか見えないアシェラさんの表情がくしゃくしゃに歪む。自分のこと以上に辛そうにしているのが、少し違和感だった。
「でも、結果だけ見れば、俺とエッセは何の罰も受けちゃいない。首を吊られちゃいないし、探索者資格も剥奪されてないし、エッセだって条件付きで街を自由に動ける。これ以上ないってくらいの温情だ。だから悪くは言わない。むしろ見逃してくれてありがとうございます、だな」
そこでアシェラさんはようやく表情を緩めた。緊張の糸がほぐれたのか、脚を小鹿のようにガクガクさせながら、ソファに座り込む。もうそのままそこで寝てしまいそうだった。
「リム……どうして?」
理解できないと言いたげにエッセが見上げてくる。自分の身体を指し示すように腕を広げた。
袖から生える触手、結わえた髪先の触手、スカートから伸び出る脚に絡まる触手、服ごと身体に絡みつく触手。人ならざる人外の身体を俺に見せてくる。
「私と一緒にいると、リムまで変な目で見られるかもしれないんだよ?」
「…………」
それは別に考えなかったわけじゃない。ここはダンジョンのある街。モンスターに仲間を殺された者は少なくなく、恨みを抱える者、恐れる者は数多くいる。
それを連れる人の肩身が狭くなるのは避けられない。面倒事が起きるのは避けられないだろう。
「別に気にしない。お前にも目的があるように、俺にもダンジョンで目的がある。けど、生憎俺はソロで探索もろくに進んじゃいない」
だから、と人の心を持ったモンスターに求める。
「俺に力を貸せ。そうしてくれるなら、二週間くらい俺がお前の居場所になってやる」
「っ!」
俺は手を差し出した。
憐憫からじゃない。これは苛立ちからの始まりだ。
助けたわけじゃない。俺がエッセを利用するためだ。
だから感謝される謂れはない。そんなことは言わなくてもいい。
「うん、リム。君のことは私が絶対に守るよ」
触手とともにエッセの手が、俺の手に重ね腕を絡めとる。
嫌悪感はある。触手は気持ち悪い。だけど、この選択に後悔がない以上、その手は払わない。
「別に守らなくてもいい。ダンジョンから出たがってたお前を、俺はまたダンジョンに連れ戻そうとしているんだからな」
「ううん。違うよ。だってダンジョンが私の居場所じゃ、もうないんだもん」
そう言ってさらに触手を腕に絡めてきた。うん。さすがに、服の中にまで這い寄る感覚は許容できない。口腔のある触手から伸びてきた舌に頬を舐められればなおさらだ。
ぬちゃりと涎とも粘液とも言える液体が頬にべったりと付着する。
「……」
「……てへっ」
うっかりだったのか、エッセはすぐにその触手を引き戻して舌を出した。
思い切り触手を引っ張ってやった。
「いたたたたたたたた、痛いよっリムっ!」
あれだけ伸びる触手にもきちんと痛覚があるらしい。
この情報、高く売れないだろうか。涙目になるエッセを見下ろしながら、そんなことを考えていた。
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