004:アシェラ・カプラリン
「ん……」
どうやら眠ってしまっていたらしい。自分の部屋じゃないことに一瞬戸惑ったけど、すぐに思い出した。
エッセが連れていかれたあと、俺は帰してもらえるはずもなくここに入れられたのだ。
「文句言える立場じゃないけどさ。さすがに酷いだろ」
独房というには広すぎる、眼前の格子戸を除く四方八方を石壁に覆われた部屋。
廊下にある魔石灯しか光源がない薄暗い場所で、俺は壁を背に地べたに座っていた。
部屋にはベッドどころか椅子もない。隅っこに小さなトイレがあって、部屋の半分以上を木箱が埋め尽くしている。
もはや牢獄というより物置だ。
あれから結構経って、多分日も跨いでいるだろうに、何の説明もない。
エッセがどうなったか。俺にどんな処分が下るか。何もわかってない状態だ。
まどろみから目覚めたのは、薄暗がりの廊下の奥に気配を感じたから。直後、戸が激しく開く音が聞こえた。次いでカツカツと慌ただしく靴の音が響く。
「り、リムくん無事、あいたっ……うぅ」
格子戸に頭をぶつけて悲鳴を上げる女の人の声。よっぽど勢いよくぶつけたのか、しゃがみこんで悶絶している。
俺は立ち上がって格子戸に近づくと、額を擦る暗緑色の修道服を着た女性がいた。
「大丈夫、アシェラさん?」
「え、えへ、えへへ……リムくん。無事。良かった……怪我、ない? 大丈夫?」
「っ、その、鉄格子からは離れて」
ぎこちない笑みを浮かべながら格子戸に身体を押し付けると、アシェラさんの胸がその隙間を満たすように潰れていく。
「ご、ごめん、遅くなっちゃって。あ、あ、あれ、入らない」
「鍵穴上下逆じゃない?」
「あっ、入った……ふ、ふへ、ふへへ」
アシェラさんが鍵を開けてくれたので、俺は息苦しい物置兼牢獄をあとにする。
廊下の魔石灯の灯りでアシェラさんの姿がはっきり見えた。
ベールから零れるのは鬱蒼とした森を思わせる深緑の癖毛のロングヘア。
やや吊り目な翡翠の瞳は、長い前髪に隠れるのとずっと忙しなく泳がせているせいか俺とは目が合わない。
愛想笑い。挙動不審。目を合わせない、と少々性格に難があるこの人はアシェラ・カプラリン。
彼女は、広大なダンジョンを管理する【クリファ教会】に所属するシスターの一人。
目のやり場に困る大きな胸元には、大樹とその根の絵のような刺繍で描かれたエンブレムがある。
仮に探索者たちがダンジョンを調査する実働部隊とするなら、シスターたちはそのサポートをする裏方みたいなもの。探索者がダンジョン探索を続けられているのは彼女たちのおかげに他ならない。
アシェラさんは俺の担当シスターでもあった。
「本当に無事……良かった」
「大袈裟だって。骨の一本だって折れちゃいない」
本当はハルバードの少女の攻撃を受けたとき、腕に大きな痣が出来ていたけども。骨折はしてないのでノーカウントだ。
そう思っていたら、アシェラさんが俺のその腕に掌を当てた。真白い光が放たれ腕を包んだかと思うと、陽光に包まれる温かみを感じたときにはもう腕の痛みが消えていた。
「魔法……アシェラさんも使えたんだ」
いわゆる治癒魔法。色々種類はあるが、もっともベーシックな自然治癒能力を促進させる魔法だろう。
アシェラさんは手を引っ込めると、下唇を噛みながら俯いてしまう。
「大袈裟じゃ、ない。いつもボロボロになって帰ってきてる、よ。隠しても、わかるから……治癒士さんにお小言言われたこと、あるし……」
「それは、ごめん」
「ち、違う。担当が私だから、サポート、まともにできてないせいだから。私でごめんなさい、ダメなシスターでごめんなさい」
相変わらずの自己肯定感の低さ。何かと探索者自身の責任を被ろうとするのが、アシェラ・カプラリンの人間性だった。
探索者は、特に新米の内はシスターと相談して探索域を広げていく。ダンジョンに関する知識は、シスターの方が圧倒的に多いからだ。
けれど、アシェラさんは以前に探索方針でトラブルを起こしてしまい、探索者にアドバイスできなくなってしまったらしい。
詳しくは知らない。ただ、そのことで人が死んだとは聞いた。
「アシェラさんがいつも通りで安心するよ」
「え、え、え?」
「地上に帰って来たって感じがする。変なのと遭遇するわ階層主と遭遇するわで散々だったし」
だけど俺には関係のない話だ。
アシェラさんのダンジョンの知識は間違いなく俺より豊富で、疑問があれば必ず教えてくれる。
それにアシェラさんには申し訳ないけど、こんな性格のおかげか担当している探索者が少ないので、割と捕まえやすいというのもある。対応の時間待ちがほとんどないのだ。
「あ、か、階層主? 戦ってない、よね? すぐ逃げたよね? いまのリムくんじゃ絶対に敵わない。うん、無理」
「いやすぐ逃げたよさすがに。腕はぶった斬ったけど」
「ぶ、ぶった斬?」
疑問符を幾つも頭の上に浮かべるアシェラさん。冗談か何かだと思ったんだろう。
「それよりエッセはどうなったの? ってか、俺、結局どうなるの? 結構待たされた気がするんだけど」
「ご、ごめん……なさい。その、担当が迎えに行けばすぐに解放されるはず、だったんだけど、えっと……」
アシェラさんが冷や汗たらたら、顔真っ赤で、目をぐるぐると泳がせて言葉を濁している。
「何?」
少し圧をかけてみた。すぐに折れた。
「しょ、書庫で寝てた……ふ、ふふ、ふへ、えへ、えへへ」
「はい?」
「わ、私にそれを伝える引継ぎが上手くいってなかったみたいで、その、えっと……」
唖然するしかない。空いた口をどうにか手で塞いで、泣き笑いになっているアシェラさんに憐れみの視線を送る。
相変わらずの本の虫。
「アシェラさん、ちゃんと寝たほうがいいよ? いつも顔色悪そうだし」
「お、怒らない、の?」
「いや察しはついてたし」
「うっ」
「いつものことだし。むしろ心配だし」
「う、うぅ気をつける。ごめん、なさい」
しかし、こうして解放されたわけだからようやく帰れる。
「そ、それじゃついてきて。モンスターさんのところに案内するから」
「あれ。帰っていいんじゃないの?」
「リムさんとあのモンスターさんの処遇をお決めになるみたい。私も、まだ聞かされてない、から」
「ぐっ」
申し訳なさそうに肩を縮こまらせながらアシェラさんが言う。
「アシェラさんに文句を言いたいわけじゃないんだけどさ。誰にでもいいからもっと早く処遇を伝えてもらいたかった」
「ご、ごめんなさい。他のシスターたちもみんな出払ってて。階層主の出現で、問い合わせや情報収集に駆り出されてるの」
「そんなに階層主の出現ってまずいの?」
「うん、まずいと思う。階層主は討伐されると一定時間後に再出現するけど、生存時間が長いほど強い個体になるから。リムくんが逃げられたのは、良かった……本当に」
ぎこちないけれど、安堵の笑みを向けてくれる。書庫で起こされたとき、心底驚いたのだろうと思うとやはり怒る気にはなれなかった。
歩き始めたアシェラさんの後をついていく。
「前回の討伐からもう五年くらい。第一階層の階層主はだいたい月一の討伐目標があるかあいたっ!」
この牢が並ぶ部屋の外に続く扉でまたアシェラさんが額を打った。その場で悶絶してしゃがみこむ。
「アシェラさん。前髪上げたら?」
「ふ、ふへ、ふへへ……嫌」
意外と頑固なんだよな、アシェラさん。
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