xxx:泡沫の夢1


 夢を見た。

 忘れられない夢。

 忘れてはいけない夢。

 俺が10歳を迎える年の夢。

 優しかった両親も、隣の家の友達も、よくお裾分けしてくれたおじさんもおばさんも、まだ言葉を覚えてなかった小さな赤子すらも、死んでしまったあの夢――。


 俺の生まれた村は、都市部へのルートからやや外れた場所に位置する、北を山に南東を森に囲まれる辺鄙な場所にあった。

 とても小さな村だ。基本的に農耕と山の恵みを得て自給自足をしていた。あとはたまにやってくる行商人と物々交換をしたり、都市へ買い出しに出かけることもあった。

 全員が顔なじみだし、仲もよかった。信仰深い人が多かった。外の世界との隔世感に息苦しさを感じたことはなくもなかったけど、この村で生き死んでいくことに疑問はなかった。


 だけど、俺の村での暮らしに終わりは突如やって来た。

 帝国と隣国の戦争が起きたのだ。

 接している隣国は全て友好国であり、その内側にあるこの村が戦火に巻き込まれるなど誰も予想していなかった。

 けれど、このときばかりは運が悪かった。

 深くまで侵入した帝国と隣国が開戦した場所が村に近かったのだ。戦いは突如勃発したらしい。避難勧告もなされることなく、村は戦場の一部となった。

 隣国の拠点として扱われること、伏兵がいることを危惧されたのだろう。村は有無を言わさず、帝国に占領……いや虐殺の対象となった。

 混沌を極めていた、と思う。その日のことはほとんど覚えていない。

 轟音が空気を穿ち、戦火が大地を抉り、悲鳴と怒号が全てを呑み込んで災厄を彩っていた。

 逃げ場はなかった。火の手が上がり、逃げ惑う村人たちと武器を振るう兵の姿があったと思う。眩い閃光も幾度となく闇夜を切り裂く光景は、いまだと魔法が飛び交っていたのだとわかる。


 僅かに残る記憶はこの程度。

 右往左往する俺に、怒号が浴びせられてすぐ視界は反転した。全身を襲う衝撃とともに身体が宙を舞った。死なずに死んだのは先客の上に俺が落ちたから。

 知っている顔だった。血反吐を吐いた彼のその目に生気はもうなかった。

 それが数秒後の自分の姿だと思えて、恐ろしくて仕方なかった。だから、俺は死んだ彼の骸の上で動くのをやめた。

 俺の上に誰かが折り重なるのがわかった。それが誰かを確認する余裕なんてなくて、息を殺して、自分を殺して、ただ震えが止まってくれるのを祈って、祈って、祈って……。

 永遠にも思える時間が過ぎて。


 声が聞こえた。


『誰かいませんか! 生きている人、誰かッ! お願いです、声を、出してくださいッ!』


 女の子の声だった。少なくとも、村の誰かのものではなかった。

 虚ろな意識が覚醒していくのを感じた。あれほどうるさかった戦火の音は消えて、少女の声だけとなっていた。

 いま声を上げれば、助かる、そう思った。


『っ』


 俺の下敷きになった彼が見上げていた。

 虚ろな目。闇を湛える空虚な目。

 それはまるで「お前だけが助かるのか」と責め立てているようだった。

 そう思った瞬間、俺に折り重なる人の言葉にならない怨嗟の声が耳朶を嬲った気がした。


 ずるい。汚い。なんで。お前だけ。卑怯者。許さない。行くな。死ね。逃がさない。


 俺は開けた口を閉じた。さっきまでとは違う恐ろしさが。俺を動けなくした。

 助かる。いいのだろうか。助かって、いいのか? きっと皆死んでしまった。誰も生きちゃいない。なのに、俺だけ、生き残ってもいいのか。

 誰も彼も死んでしまった。家族も、友達も、おじさんもおばさんも、隣の家の気のいい兄さんも。村はもう終わり。なら、これ以上生きる意味なんてないんじゃないか。

 そう、あのときの俺は思った。

 だけど。


『お願い……誰か、お願い……生きて、ぅぁあ、ああぁああああぁぁあ』


 泣き叫ぶ声。

 それはまるでその女の子こそが助けを求めているかのように、俺には聞こえた。

 意味があるのだろうか。いま俺が生きて、助かる意味があるのだろうか。


『ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい……! 私が、私の、あああぁああぁああぁ……!』


 わからなかった。

 でも、名前も知らない顔も知らない、声しか知らないこの少女が、俺が助けを求めることで助かってくれるならと、そう思ったのだ。


『助け、て、誰か、助けて……! 助けてッ!』

『ッ! いま声が……? そこ、そこね。そこにいるのですね!? ダフクリン!』

『マジで生きてるのかよ。はいはい、わかりましたよ』


 俺に乗る人たちが退けられ、身体が軽くなっていく。光が差し込んでいく。

 目もくらむ閃光。これ以上の輝きを俺はこの先、見た覚えがなかった。


『ああ……あああぁ……よかった。本当に』


 誰かも知らない少女。向こうも俺のことは知らない。

 それでも、その心から来る安堵と喜びの表情はとても綺麗で美しくて、涙に煌めいて虹色のように見えた瞳がとても強く焼き付いた。

 俺はこのときのことを二度と忘れない。

 俺を抱き締めてくれるその腕の温かさを、俺は忘れない。


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