003:極氷
そうしてなし崩し的に、エッセの望みを叶えてしまった。
ダンジョンの玄関とも言うべき場所。【クリファ教会】のある【ガーデン】まで連れてきてしまったのだ。
【ガーデン】の正面ホールでは大騒ぎだった。
俺たちと一緒に襲われ、先に脱出した探索者の男たちが「階層主が出た!」と叫び、それが周囲に広まって吹き抜けの上階にも人が集まるほどの騒動となっている。
だけどそのおかげか、俺とエッセに関心を向ける者がいない。一応直前に被せた外套で触手を隠せていることも大きいだろう。
「あ、あの、あのリム……?」
「ん?」
「その、あの」
負傷のせいか少しぼんやりとした様子で、しかしどこか恥じらいを滲ませながらエッセが俺を見上げてくる。
「う、嬉しいんだけど、恥ずかしいな……お姫様抱っこ」
「っ!」
まるで清廉な乙女のように、頬を赤らめて見上げるエッセ。吸い込まれそうなほど綺麗な玉虫色の瞳に自分の顔が映った気がして、いまの状況を強制的に把握させられた。
いや、違う。乙女のように見えたのはこいつが怪我を負ってるからだ。無垢な赤子が可愛いとかそういう理論と同じだ。
「どこでお姫様抱っこなんて言葉覚えたんだよ」
「……誰かが言ってた、かな?」
何故疑問形。
俺はエッセを下ろして立たせ、肩を貸す。寄りかかる体重に変にドギマギしたが、触手が巻き付く感触が相殺してくれた。今回ばかりはありがたい。
「ありがと」
「怪我の感じは?
「ひーらー? お医者さんのこと? ううん。私はモンスターだから。リムに迷惑かけちゃうよ。それに、大丈夫。時間が経てばこれくらい勝手に治るよ。身体は丈夫なんだ」
触手を絡めた腕に頬擦りするようにしながらエッセは屈託ない笑顔を浮かべる。
「迷惑云々は今更だけどな。まぁいい。本当に大丈夫なんだな?」
「うん。心配してくれてありがとね」
「別に。もし死なれたら俺の頑張りも無駄になるしな」
「ふふっ、うん」
「モンスターを地上に連れてくることが、君の言う頑張りか?」
喧騒の中、その声は俺の耳朶を鋭く貫いた。
一転、さっきまでの騒ぎが嘘のように静まり返る。いや、空気が凍り付いたのだ。
無数の視線が俺、ではなくエッセへと突き刺さる。
そして一際、異質な空気を纏う一団が【ガーデン】の外からやってきた。
「傍目からはヒトのように見える……が、その魔力の質はヒトのものじゃない」
一団の中心にいたのは真珠色のローブを身に纏う長身の女。厳粛と美麗が混在したような顔立ちに、新雪を思わせる長い銀髪。そして、鋭い蒼白の瞳。
「【
「【ヘカトンケイル】の第二部隊の面々かよ。階層主の討伐に来たのか?」
「第一階層のに【ヘカトンケイル】が出張るわけねぇよ」
「おい、なんかあの女変じゃねぇか。触手みたいなのが見えて……」
「もしかして、最近噂になってた喋るモンスター?」
再び喧騒の熱が帯び始めたが、それも一瞬。カツンッと床を叩く硬い音が静謐へと凍らせる。
いつの間にか【
クーデリア・スフィフト。
数多有る探索者ギルドの中でも最上位に位置する【ヘカトンケイル】の隊長の一人にして、【
俺がさっき遭遇した探索者たちとは比較にならないほど格上の存在。
間が悪いにもほどがある。これなら、エッセをダンジョンに置いておいたほうがマシだった。
「ッ」
「動かないのは正しい。逃がそうものなら、君ごとそのモンスターを氷漬けにしていた」
「ぅ、り、リム」
指一本でも動かそうものなら、自分の身体を床から見上げることになりそうなほどの殺気を放っておいて、よく言う。
騒ぎも大きくなってきた。どうする。事情を説明すれば話を聞いてくれるか? 喉が凍ってまともに動いてくれるかもわからない。
「隊長ー? どうするのこの二人?」
「事情はその少年から聞けばいい」
金髪のサイドテールに子供くらいの身長。それらに似つかわしくない重厚な甲冑とハルバードを背に負った少女の軽妙な問いに、【極氷】は無慈悲に答える。
「モンスターは殲滅する。それが探索者の責務だ」
「りょーかい。じゃあ、とりあえず首――刎ねるね」
声がエッセ側。真横で聞こえた。視線だけそっちに向けると、もうハルバードを横に構えている少女がいる。
剣で受け太刀――いや間に合わない。間に合ったところで一緒に断ち切られる。
けど反応はできた。動け、身体。ハルバードは柄が長い。狙われる場所はわかっている。エッセと少女の間に身体をねじ込めば。
「ぐっ!?」
「ちょっ!」
刃と柄の間に身体をねじ込ませて振り切らせない、つもりだった。
こんな小さな身体のどこにそんな膂力が備わっているのか。俺という障害など意にも介さず、ハルバードは振り切られてしまった。
咄嗟にハルバードの柄を手袋のない左手で掴んで弾き飛ばされるのは避けたけど、ただしがみついていただけに等しい。
「あぶな! ちょっ離せ変態! わたしのハルちゃん改に触んな!」
「リン! 離せ!」
「え?」
不意に飛んできた警告は【極氷】からだった。
当事者の俺たちは理解できなかったけど、直後に警告の意味はわかった。
ハルバードの刃が激しく発光し、黄色い閃光を瞬かせたのだ。このあとどうなるかもわかった俺は、ハルバードを離して尻餅をついているエッセを押し倒して地面に伏せる。
「わっ、ちょ止まんないっ!?」
「上に投げろ!」
「ッ!」
ホール直上に放られたハルバードの刃が雷光を纏ったかと思うと周囲一帯薙ぐように稲妻を放出した。
数瞬もなく、暴虐の乱雷は甚大な被害をもたらすと思ったが、稲妻がどこかに着くよりも速く、突如虚空に現れた無数の氷柱が全ての稲妻を吸収し、ハルバードを囲む。
稲妻は完全に抑え込まれ、そして数秒の後、金属の砕ける激しい音が響いたかと思うと、鉄屑になったハルバードだったものが氷柱の隙間から地面に降り注いだ。
「わ、わたしのハルちゃん改が……クー姉! 壊さないでよ!」
「私じゃない。隊にいるときはその名で呼ぶな」
「あぁあぁぁ……わたしの、ハルちゃん改……」
間一髪、被害は免れたらしい。
ただ、何にも解決していない。むしろ騒動のせいでより悪化したと言える。
「り、リム大丈夫?」
「お前こそ。首は、大丈夫みたいだな」
「……私のせいで、こんな」
「なんでそうなる」
勝手に俺が動いただけ。
何もしなきゃエッセの首がただ刎ねられていただけだ。
「なあ、あの斧って、アーティファクトだよな」
「多分な。しかし触って、暴発? じゃあもしかしてあのモンスター連れてる男の子って」
「死にたがり?」
俺のことを話す声が聞こえてくる。視線が突き刺さって居心地がすこぶる悪い。
何より一番鋭い視線は、射殺さんばかりに見据えてくる【極氷】だ。
見下ろす目は
俺はエッセを背に立ち塞がる。目の前の探索者相手に意味がないとわかっていても。
「や、めてリム……。これ以上したらリムの立場が」
「さっきも言ったろ。お前が殺されたら地上まで連れて来た意味がない」
弱音を吐くエッセに釘を刺す。殺されようとしているこいつを諦めることは万が一にもありえない。
勝つ見込み……いや助かる見込みがなかったとしても。見込みがなくてもやるのは慣れっこだ。
それに元より、俺に立場なんてものはない。
「【
「上級探索者様に知ってもらえてるなんて光栄過ぎて震えるね」
もちろん強がりだ。本当は怖さと寒さで震えている。あの氷柱いつまで出してんだよ。
「確かにアレでは扱えまい。強制的に触れたものの導火線に火をつけてしまうようではな」
アーティファクト。ダンジョンから出土する特異な力を内包した物の総称。
モンスター蔓延るダンジョンにおいてそれらは探索者にとって大きな武器となるが、俺はそれを扱えない。触れれば、さっきみたいに暴発し、壊れてしまうからだ。
「ご心配どうも。見ての通り厚着にならざるを得ないんだけど」
原因は不明。俺だけの特異体質らしい。
誰が呼んだか【
称号なんて良いものじゃない。ダンジョン探索を円滑にできるアーティファクトを使えないハンディキャップを背負った可哀想なやつ、という意味だ。
他の意味で呼んでくる奴もいるけど。
そうして注意が【
鉄の塊みたいな拳が、俺の眼前で止まった。
「は?」
遅れて来た風圧が俺に尻餅をつかせ、エッセに支えてもらうことになる。全身から冷や汗が止まらない。いま振り抜かれていたら、俺の首から上はどうなっていたか。想像すらしたくなかった。
そして、少女が殺気立った形相で俺を睨みつけていた。拳が寸でのところで止まったのは、【極氷】が鎧の後ろ襟を掴んでいたおかげだ。
「クソガキ! よくもわたしの武器を壊しやがったな! てめぇも同じように挽肉にし」
「リン」
少女らしからぬドスの効いた声が、その一言で掻き消える。
殺意のみの表情は、一瞬で幼い子供の顔立ちに戻った。
「感情の制御ができないところがお前の欠点だ」
「ごめんなさい」
しゅんとしてリンと呼ばれた少女は【極氷】の後ろに一歩下がって控える。
助けられた。けど、見逃がしてくれるというわけではないだろう。
ホールの奥で鎧がガシャガシャとなる音が近づいてきている。
「問う。嘘は許さない。お前は何故、そのモンスターを助けた。一歩間違えればお前も死んでいたぞ」
「……こいつは自分を殺そうとした探索者を助けた。だから……いや」
言い直す。そうじゃない。それも理由の一つではあるけど、一番の理由はこっちだ。
「こいつが生きるのを諦めてたからだ。そういうのは腹が立つ性分なんだよ」
「何故?」
「……エッセを助けたのは何故か、だろ。そっちは答える必要なくないか?」
「私を相手にして口の減らない。だが、まあいい」
【極氷】が踵を返すと、ちょうどそこに重厚な鎧に身を包んだ、物々しさを醸す女たちがやってきた。
ブレストアーマーの胸のあたりには、盾のマークに大樹が描かれ、その上に二本の剣がクロスしたようなエンブレムが描かれている。
彼女たちは、ダンジョンを管理する【クリファ教会】所属のセフィラナイトたちだった。
「命懸けで守ったお前に免じて、早急な処理は必要ないと認めよう。お前たちの処分は教会に委ねる」
だが、とも言う。
「忘れるな。もし、そのモンスターが無辜の人々を傷つけるようなことがあれば、私がお前たちを氷塊に閉じ込める。永遠に」
たった一つの警告を残し、【極氷】は【ヘカトンケイル】の皆を連れてダンジョンへと去っていった。
そして、殺気から解放されて腰が抜けている俺とエッセに向かって、セフィラナイトたちから槍の穂先が向けられる。
「同行してもらう。リム・キュリオス。そして、人語を解するモンスター」
もうさすがに抵抗できない。
エッセを【極氷】に殺されるという最悪を回避できたことで満足しておくべきなんだろう。
しかし、それでも当のエッセがどう思うかだった。
ただ、エッセは諦めの表情を見せることはなく、ここまでありがとうとでも言いたげに微笑み返してくれる。
ならいいかと。俺は両手を上げた。
あと俺にできることは、エッセが最悪の処分を免れることを祈る。それくらいだった。
モンスターの無事を祈るってのもおかしな話だけど。
―◇―
ダンジョンに入り、行軍を始めた【ヘカトンケイル】。
その隊列で横に並ぶ副隊長リンダ・トゥリセに、隊長のクーデリア・スウィフトは顔を向けて、軽く頭を下げた。
「済まなかったな、リン。私のせいで武器を失わせた」
「隊長のせいじゃないよー。わたしもカッとなってごめんなさい」
「いやいや、面白れぇ見世物だったぜぇ、狂犬。おっと、愛玩犬だったか」
後ろから横に並んできた高身長で猫背の男が、子供体型のリンダを見下ろして茶化すように言葉を吐いた。
「うっせぇよ木偶の棒。絡んでくんな」
「ハッ、あんな雑魚一匹まともに吹っ飛ばせなかったくせに粋がんなよ。あいつレベル一桁だぜ」
「はぁ!? そんなわけあるか、わたしのハルちゃん改を受けて――」
「それよりキャリコ。いたか?」
話を強引に区切ってクーデリアは飛び入りしてきた猫背の男キャリコ・ホワイトに尋ねる。
「いんや。下手な反応した奴ぁいなかった。ホントにいんのかよ?」
「ここ最近、喋るモンスターの情報が不自然なまでに錯綜していたからな」
「はぁ。だから殺す振りして炙り出そうとしたけど、死んじゃったのはわたしのハルちゃん改だったわけね、とほほ……」
「ざまぁ」
「うっせぇ! ボケ猫! 本気で探したんだろうなッ!? あとで『見逃してましたぁ』とか抜かしたら千切りにすっからな!」
「武器ねえ癖にどうすんだよ。つーか帰れよ、手ぶらならよ。足手纏いだ」
「予備ぐらいあるわボケ! 猫一匹なんぞ素手で充分だけどなっ!」
ガツンッ、と蒼白の杖が地面を叩き、金属音を鳴り響かせた。
永久凍土すら生温い絶氷の眼光が、言い争う二人を射抜く。
「行軍中だ、いい加減にしろ」
「はい」
「うっす」
「……えっと、隊長、本当にあのモンスター始末しなくて良かったの?」
リンダが恐る恐るといった様子で尋ねてくる。
事前に殺さないことは決めていたが、見逃がしたことで生じる被害を懸念しているのだろう。
知性あるモンスターだ。悪意を隠し、何かを企てている可能性はある。
「教会がどう裁定を下すか次第だが、解放されるなら少し泳がせる。それに喋るモンスターであれば、狙う輩が必ず現れるはずだ」
「帝国とか他国のスパイの捜索なんざ教会の領分じゃねぇか。俺らが出張る必要ねぇだろ」
「恩を売る。情報を得る。有利な立場にいる。意味は幾らでもある」
「隊長様は真面目だねぇ」
「能天気な馬鹿猫は気楽でいいな」
また煽りと暴言が飛び交うのに辟易しながら、クーデリアは考える。
モンスターの少女。そして、触れざるべき少年。
二人の出会いがどう転ぶか、注視する必要がある。
長らくダンジョンを生きている勘が、そうすべきと告げていた。
それはそうと、いい加減五月蠅い二人を黙らせる必要もあると、勘ではなく理性が告げていた。
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