002:見捨てれば良かったろ



 光沢ある灰白色の岩。それらが大小無数に結合し、その結合の隙間から黒い何かが見え隠れする、人の影を模倣した人ならざる異形。10M以上ある天井を、手を伸ばせば届きさえするほどの巨体。


『オオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ……』


 地の底から響くような声に、身体が芯の底から震えあがる。

 どうあがいても勝てない。倒せない敵はいる。それがいま目の前にいる。

 恐怖の象徴とも言うべき、人知を超えた怪物。


「ご、ゴーレムがなんでこんなとこに」


 岩の巨人ゴーレム。こんな場所に現れていい奴じゃないし、しかも聞いていた話よりずっとでかい。

 それに顔らしきものもない。眼窩さえない。のっぺらとした岩に入った亀裂が顔のようになっているだけ。けれど俺たちを見ている気がした。

 一歩、ゴーレムが動くと部屋が揺れる。いや、実際にはそこまで揺れてない。だけど恐怖心がそう錯覚させる。冷静な判断力を奪ってくる。


「う、うああああああああああっ!」

「おい待て行くなッ!」


 男たちの中の一人が無謀にも剣を持って突貫した。恐怖に頭がおかしくなったのか、それとも他の仲間を逃がすために囮に向かったのか。


「くそったれ! お前ら何呆けてやがる! あいつを止めろ!」


 リーダーの叫び声に他の男たちもゴーレムへと向かった。最初の男がゴーレムの脚へ剣を振るった。


「あ?」


 不思議と、剣と岩がぶつかり合うような硬質な音は響かず、ゴーレムの岩は内側に少しだけ沈む。代わりに、黒泥が漏れ出て男の剣を濡らした。

 瞬間、男の剣は錆びて、柄から上が崩れ落ちた。

 困惑して呆けた男を、ゴーレムはまるで羽虫を払うかのように腕を乱雑に払う。

 たったそれだけ。それだけで男を壁へと一直線に叩きつけられ、男は血反吐を吐き散らし、その意識を刈り取られた。


「違う、それはゴーレムじゃない! みんな逃げてッ!」


 エッセの叫びは遅く。

 ゴーレムに似たナニカを止めるために、男たちは武器を振るうけれど、同様の黒泥に晒されて武器は消失する。

 代わりに、ゴーレムはまるで喜びに打ち震えるように全身の岩を振動させた。


「まさか……ラスターだ! あいつは階層主だ! お前ら逃げろッ!」


 ラスターと呼ばれたモンスターが拳を振るおうとする。それは人間などぺしゃんこにしてしまいかねない暴力の具現。

 だけど、エッセが飛び出していた。狙われた男に触手を伸ばして巻きつけると、引き寄せて逃がす。

 それだけじゃない。


「ほらっこっち! 私はここだよっ!」

「あのバカッ! 何を!」


 助けた男から奪ったナイフを見せ、髪の触手のみならず、袖からスカートの中から広げた触手と大声でラスターの気を引こうとする。

 階層主の標的はエッセに移り、その巨体と腕をエッセへと向けた。

 仲間じゃないのか? 同じモンスターのはずなのに。


「皆、早く逃げて! このモンスター大きいから通路まで逃げたら追って来れないよ!」

『オオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ……!!』

「ひ、ひぃいいいいいい、に、逃げろぉおおお!」


 男たちは気絶した仲間を回収して地上方面の通路へと駆け出していく。

 エッセは、くそ、最後まで囮になる気か。なんで自分を狙っていた奴を助けようとするんだよ。

 ラスターの動きが遅いって言ってもその図体はバカでかい。攻撃範囲が圧倒的だ。エッセの動きは普通のモンスターよりも圧倒的に素早いけれど、ラスターは普通じゃない。

 階層主。またの名をダンジョンイーヴル。

 ダンジョンに潜む悪魔とされ、階層ごとにたった一匹しか現れない階層最強のモンスター。その強さは通常モンスターの比じゃない。


「リムも逃げ、あっ!」


 ラスターの攻撃を躱し続けていたエッセだけど、ガクンと体勢を崩す。

 エッセの髪の触手を握る小さな岩の腕。ラスターの巨腕から小さな腕が生えていた。

 それは触手を無造作に引っ張って振り回し、エッセを壁へと叩きつける。何度も何度も執拗に、反撃も逃亡も許さないとでも言わんばかりに。


「あ、ぐっ……ぁ、かはっ……」

「エッセ!」


 血反吐を吐いて立ち上がれないエッセ。あれだけの暴虐を浴びて死んでないのはモンスターである故か。

 しかしあれは無理だ。

 振り上げられた拳。数秒と経たず、エッセはラスターの腕に潰されて死ぬ。俺の脚じゃ間に合わない。それに助けたところであそこまで近づけば、今度は逃げられなくなる。いまなら自分だけは確実に逃げられる。

 割り切れ。あれはモンスターだ。俺は人間だ。あれが死のうが関係ない。勝手に助けて、勝手に死んでいっただけだ。俺が気に病む必要なんて――。

 こっちを見た。


「……」


 その玉虫色の瞳を細めて、エッセが俺に微笑んだ。

 これから来る死への恐怖なんて感じさせない、満足しきった笑みだった。

 同時に。

 自分のことは諦めていたようだった。


『君は生きて、ね』


 最期に聞いた彼女の言葉が頭の中で木霊する。そうしたらもう、動いていた。


「【無明の刀身インタンジブル】!!」


 握られるは身の丈以上の、現実には存在しえない最長の大剣。

 限界以上の具現、曖昧な独創に身体が軋む。心臓が悲鳴を上げる。

 けど構わない。不確かな形でも。全霊を以て、俺はこの大剣を振るう。

 振り下ろされたラスターの拳の軌道から垂直になるように、大剣の重さを導いた。


『オォオオオオオオオオッォオオオオ!』


 腕に来る衝撃はほとんどなく。まるでゼリーにスプーンを突き刺すように、俺の翡翠の大剣は振り切られ、ラスターの巨拳は宙を舞い壁へ突き刺さる。


「ぐぅっ!」


 それでも魔力結合の不安定な大剣は脆く、魔力へと戻す前に崩れ、俺の心臓を握りつぶさんばかりにダメージをフィードバックさせる。

 断たれた拳は内側にあった黒泥に塗れたかと思うと、ただの岩になって崩れる。

 ラスターの腕からはボタボタと血のような黒泥が零れ落ちていた。


『…………』


 何故自分の腕が断たれたのかわからないでいるのか、ぼうっと自分の腕の断面を奴は眺めている。

 効いた。【無明の刀身】は実体はあるけど、魔力の塊だ。ラスター錆を喰らう者には影響されない。これなら。


『オオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!』


 しかし、ラスターは怒り狂ったように雄叫びを上げながら、断たれた腕を地面に突っ込む。


「……おいおい、そりゃずるいだろ」


 地面から引き抜かれた腕の先端には新たな黒い鉱石の拳が生えていた。

 そして、顔がないはずのラスターが怒りの形相を俺に向けた気がした。


「くそっ!」


 これじゃあ、幾ら斬っても無駄。あのバカ広い攻撃範囲の腕を躱しながら急所を探すとか不可能だ。先にこっちがやられてしまう。


「リ……リム、どうして……」

「黙ってろッ!」



 エッセを抱きかかえて地上側の通路へ全速力で駆ける。こうなれば逃げ一択。軋む心臓を、歯を食いしばって黙らせる。

 けど、あいつも逃がす気はないらしい。腕をぶった斬った俺を逃がすものかと、腕を伸ばしてきた。

 くそ、通路までもう少しなのに、届かない。間に合わない。


「んんっ、ああ、ああああッ!!」


 瀕死のエッセが手を通路へ向けると、その袖の中から何本もの触手を伸ばした。それは通路の壁に食い込み、グンッと俺たちの身体を引き寄せる。

 後頭部を掠める何かに戦慄しながら、俺は通路まで一気に引っ張り飛ばされた。エッセを離してしまわないよう抱き寄せて、通路を転がる。何とか、逃げ切れ――。


『ォオオオオオオオオオオッ!!!』


 てない! あいつ、壁壊してまで追いかけて来ようとしてやがる!


「なんでお前同じモンスターに命狙われてんだよ! 止めるよう説得してくれ!」

「ごほっ、こほっ、ごめん、ね。モンスターが何喋ってるか、わかんないんだ……見つかったらいつも襲われてたし、話が通じるモンスターは、いないの」


 途切れそうな意識を繋ぎ留めるように頭を何度か振りながら、困ったように微笑むエッセ。

 それはつまり、ダンジョンで産まれてこの方、たったの独りで人からもモンスターからも逃げ隠れて生きていた、ってことか?


「…………」


 正直、適当なところでエッセのことは捨てようと思っていた。このまま地上まで連れていくなんてありえない。

 討伐したのでも、捕獲したのでもなく、負傷していたから助けたとか、十中八九ペナルティの対象だ。

 だけど、自分を狙っていた人間を逃がすために瀕死になったこいつを見捨てて、俺は一人だけ帰れるか?

 そう思ったとき、それ以上の思考は放棄した。


「バカか俺。ならあのとき見捨てれば良かったろ」

「……リム?」

「なんでもない」


 俺はエッセを抱きかかえたまま、ただひたすら走った。地の底より来る雄叫びを背中に浴びながら。

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