ダンジョン遺失物に提出義務はありません(ただしモン娘は除く)

六藤幸一

第一章

001:seek and search...Tentacles?


 ダンジョンには“全て”が記録されている。


 路傍に落ちている石も、食うことしか考えない獣も、荒野を吹きすさぶ風も、溶岩燃え滾る火口も、深淵すら飲み込む大海も。

 誰かが鍛えた剣も、誰かを守り抜いた盾も、誰かの拠り所となった安息の寝床すらも、ダンジョンは記録し、保存し、蓄えている。


 それなら人も。


 富を、名声を、使命を、力を、叡智を、求め潜って帰ることのなかった人たち。

 ダンジョンに巣食うモンスターに食われた人もいるだろう。罠にかかり、命を落とした者もいるだろう。道を失い帰れなくなった誰かも。


 仲間に裏切られ、ダンジョンそのものに取り込まれた彼女だっている。


 ダンジョンが“全て”を記録するならきっとそうだ。

 自分の手すら見えない宵闇より深い地の底。

 何も照らさない泡沫の星々が瞬いては消え枝分かれして増殖と減衰を繰り返すソラ。

 意識も肉体も虚空の大海に溶けるように、沈んで沈んで沈んで、沈んだその先にあるはずだ。

 ダンジョンに“全て”が記録されているなら、自分も記録されればきっと。

 きっと見つけられる。この泡沫の世界に絶対にいる。


 見えない手をどこかに伸ばして、触れた。

 そう思ったとき、浮上した。


 急速に引き上げられる。

 闇が薄れ、星々が遠ざかり、自分の身体がその輪郭を取り戻していく。

 腕が痛いほどに引っ張り上げられて、光が迫る。他とは違う泡沫の星の光。

 その光に引き寄せられ、俺は乱暴に記録の海から浮上させられた。


「かはっ! ごほっごほごほっ」


 呼吸を忘れていた俺は、肺に染み込んでいく空気に困惑してむせ込んだ。

 ぼやける視界に黒紫色のナニカがチラチラとする。叫び声のようなものが聞こえるけれど、耳鳴りが酷くてうまく聞き取れない。

 でも、それも数秒もすれば収まることは知っている。


「あぁ、良かった……本当に、良かった」

「ぁ……?」


 妖精と見紛う少女が俺のことを覗いていた。

 病的な白い肌に、造られた人形を思わせる精緻な顔立ち。

 微かに濡れた薄桃色の小さな唇。

 御伽噺から出てきたかのような少女は、触れれば崩れてしまいそうなほど脆く見えた。

 そんな少女が、虹彩が玉虫色に煌めく瞳で俺に向けていた。一つ、二つ、三つ……。

 三つ?

 二つは顔についているもの。当然だ。じゃあ残りの一つは? ここには俺と少女以外誰もいない。そもそも、その瞳は顔にはなかった。

 黒紫色で光沢の艶がかった、腕の半分くらいの細さの長いナニカがうねっていた。

 つまり触手。

 その先端にあろうことか玉虫色の眼球が生えていた。


 人間じゃあない。


「……」


 それなのに俺は動けなかった。だってそうだろう。

 目に涙を浮かべ、心底安堵した表情を見せる怪物に、どんな反応をすればいいというのか。


「大丈夫? 起き上がれる?」


 少女が手と一緒に触手まで伸ばしかけて、ようやく現実に戻れた。

 俺は即座に大地を蹴って起き上がりながら後方回転。同時に腰の剣を抜こうとしたけれど、空を握る。しまった。剣も抜き身のまま沈んでいたから、あるのはそこのナニカの傍だ。

 リュックもそいつの後ろ。

 状況は気絶前と大差ない。

 結晶壁に囲われた岩窟の小部屋ルームで、それぞれ通路を背にして俺は少女と対峙した。


「ご、ごめんね、怖がらせちゃったね」


 触手を背に引っ込めながら一歩二歩と下がる少女。ますます頭が混乱する。


「お前は、何だ? 人間じゃない……よな?」

「……うん、そだね。モンスターだよ。ごめんね、触手、気持ち悪いよね」


 少女の姿はまるで黒紫の蔦植物に囚われ、身悶えする妖精のようにも見えた。

 上は八分丈の黒いオフショルダーブラウス。黒紫色のフリルが巻き付き、花弁を広げたように波打つ黒のスカート。そして薄紫色のパンプス。

 それらから伸びる白百合の肢体と服に、身体の内側から絡まりながら外へ向かう触手たち。


「随分、ズタボロに見えるが」


 だけど、そのどれもがボロボロだった。

 病的な白い肌は土汚れにくすみ、頭頂部の黒から紫へとグラデーションがかる髪は千々に乱れている。

 宙を泳ぐ触手の瞳が少女の背中から覗いていた。どうやら肩甲骨辺りで結わえた髪から、幾本かに分かれて触手となったものらしい。

 袖から伸びる触手は特に切り傷が酷く、明らかに剣で斬られたものだった。


「大丈夫。見た目ほどの怪我じゃないよ」

「……そうは見えないけどな」


 肌の白さのせいもあってか強がりにしか見えない。

 身体の一部なのか、髪を結わえている竜胆(だったと思う)の花飾りなんか、瑞々しさがなくなって下を向いてしまっている。

 触手さえなければ、暴漢に襲われたか弱い少女で通るだろう。

 なんか、裂かれた服も動いているように見えるけど多分このせいのはずだ。うん。


「…………」


 じろじろ見る俺に恥ずかしそうな、困ったような感じで玉虫色の瞳が揺らめいた。

 歳は12か13程度に見える。

 だけど、その唇からは人ならざるギザギザの歯が覗く。牙とも言えるかもしれない。

 あまりにアンバランスだ。人間とモンスターを雑に混ぜ合わせたようで、生き物としての整合性が取れていない。


「そ、そんなに警戒されちゃうとちょっと傷ついちゃうな」

「無茶言うな。人間みたいに喋るモンスターを前にしてるんだ俺は」


 そもそもモンスターは言葉を話さない。


「でも、襲うなら君が気絶してる間にするよ?」

「……確かに」


 いつもより早く戻って来たのは、目の前のモンスターが呼び起こしたからというのは事実だ。


「うん。だから落ち着いて欲しいな。深呼吸しよ深呼吸」


 顔の口と触手の口両方で深呼吸する少女。まさかモンスターに落ち着けと諭されるとは。

 すーはーすーはー…………いや無理。

 だってモンスターだ。

 決して外界では生まれない怪物。この地下迷宮、通称ダンジョンでのみ発生する異形の存在。理性はなく、人間を見れば鼻息鳴らして襲い掛かってくる化物たち。世界中でモンスターによる被害は後を絶たない。

 それなのに、人語を話せるどころか会話だって成り立っている。それに外見からモンスターであるのは間違いないのだけれど、人の特徴もかなりある。顔だけ見るなら美少女といっても差し支えない。


「ねぇねぇ、落ち着いた? 落ち着いたらお名前教えて欲しいな」


 それに加えて、まるで無邪気な子供のように尋ねてくるから判断に困る。

 人間にとってモンスターは天敵。だけどそれは逆もまた然り。ダンジョンを調査することを生業とする俺のような探索者は、モンスターを狩り、そこから獲れる部位などを地上に持ち帰ることで生計を立てている。

 ここダンジョンでは人間もモンスターも狩り、狩られる存在だ。だから、目の前のモンスターを俺は狩るか、あるいは逃げないといけないわけなんだけど、逆にこうも無警戒を貫かれると困惑するしかない。


「あ、ごめんね。聞いたほうから先に名乗らないとだよね。私はエッセだよ。見ての通りモンスターです」

「……リムだ。リム・キュリオス。探索者をしてる」

「探索者?」

「ここを調べる職業みたいなもんだ」


 頭を掻きながら仕方なく答える。


「つーかモンスターの癖に名前あるのか」

「うん。自分でつけたの」


 どこか誇らしげだ。

 さてどうしよう。この階層のダンジョンは迷宮構造。

 多種多様な鉱石の樹状石柱が、まるで森林を模倣するように道と壁を形成する地の底の樹海。

 そして岩壁や天井を突き破るように生えている、脈動する青白い光脈の走る根に照らされ、このダンジョンは光の届かない地の底でも明るかった。

 俺の後ろの通路は出口まで続いているはずだけど、まだ結構距離がある。

 能力もわからない以上、こいつを撒けるかは未知数だ。

 かと言ってこうまで無警戒なこいつを倒すのも、さすがに罪悪感が半端ない。


「で、俺を起こした理由は? 俺は探索者だから、お前みたいなモンスターを狩るのを目的にしてるわけだけど」

「君を、リムを死なせたくなかったから、じゃダメ?」

「……」

「うぅ、そんなに睨まなくても……えっとね、私、リムにお願いがあって来たの」

「俺に?」


 お願い? モンスターが、俺に?

 エッセは口元で手を合わせて、それを真似するように触手たちも互いに絡ませて、もじもじとしながらこっちを上目遣いで見てくる。可愛さは触手で見事に相殺されていた。

 意を決したようにエッセは口を開く。


「私を地上に連れていって」

「いや無理」


 即答した。ショックを受けたらしいエッセが大きく仰け反って涙目になる。


「モンスターの密輸入は重罪だから。地上なんかに連れ帰ったら俺、首吊られるよ」

「え、く、首吊り……?」

「そうそう。持ち帰っていいのは魔石とかの鉱物資源、そこら中に生えてる光る根から採取できる煌液こうえき、ここだとほとんど見かけないけど植物資源、それとアーティファクトに……あとは」


 少し間を開けて言う。


「死んだモンスター、とかな」

「!」


 まぁ首吊りは嘘だけど。

 エッセの表情からさっきまでの無邪気さが失せて、悲壮感を漂わせる少女の顔になった。まるで唯一の望みを絶たれたように。


「なんで地上に行きたいわけ?」

「それは……」

「お前ボロボロだけどさ。それ探索者にやられたんだろ? 地上に行けばもっと酷い目に遭うぞ。喋るモンスターは珍しいから良くて捕まって実験動物扱い。最悪の場合殺されるな」

「それでも行かないといけない場所があるの。会わないといけない人がいるの。会いたかった人には会えないけれど」


 最後の一言はどこか諦めたような、人間らしい歪な微笑みで俺を見てくる。

 俺の嫌いな表情だ。


「……あ、どうしよう」


 突然、エッセが顔を真っ青にさせて、俺と自分の後ろの通路を交互に見やった。遅れて、通路を慌ただしく走る音が小部屋に届いて反響する。その足音の主たちはまっすぐこっちに向かっていた。


「やっと見つけたぜ」


 前と後ろの通路から現れたのは七、八人はいるであろう人間たち。剣や槍などの武器、リュックなどを装備していることから、俺と同業の探索者であることは間違いない。

 全員が全員、狩人の眼光をエッセへと突き刺していた。

 当のエッセは俺に向けていた無邪気な表情とは違って、触手を自身の身体に巻き付けて縮こまらせながら怯えた表情を浮かべている。

 どんなに好意的に解釈しても保護者じゃなさそうだ。


「散々逃げ回ってくれたなぁ。もう逃がさねぇぞ」

「追われてんの? 何したんだ?」

「な、何もしてないよ。ちょっと前に見つかっちゃってずっと追われてるの」

「聞いた通りマジで喋れるみてぇだな。おいお前ら、これで今晩はたんまり酒を飲めるぞ!」


 浮つく男たち。いかにもな発想はまさしく探索者だ。

 基本、探索者ってのは一攫千金を求めてなるもの。危険故に誰でも成り上がれる可能性を秘めている。

 それに喋るモンスターなんてレア中のレア。これまでの定説が確実に覆る。

 捕獲して教会に引き渡せば相応の謝礼が支払われるだろう。最悪死体となっても、その身体から獲れる素材は希少に違いない。どっちにしても五体無事では済まない。

 まぁ、いかつい男たちが、見た目少女のエッセに複数人で迫っているというやばい絵面なわけだけども。


「さてと、大人しく捕まってくれよな。喋れるくらい賢いならもう逃げられないってわかるだろ? 俺もお前をそれ以上傷物にはしたくねぇんだ。安くなるからよ」

「それ悪党の台詞だぞ、おっさん」

「あ?」

「リム?」


 この中では立派な鎧を着たリーダーっぽい男とエッセの間に割って入る。


「あー? なんだお前。王子様気取りか? 女に見えてもそいつはモンスターだぜ? よく見やがれ、気持ち悪ぃ触手の化物だ。それともなにか? あまりにもモテないからモンスターでもいいやってか?」

「誰が王子だ、誰が。そうじゃない、こいつは俺の獲物だ。目の前で横取りの話されちゃあ敵わない。ダンジョンでの横取りはご法度だろ」

「何言ってやがる。俺たちが先にそいつを見つけたんだ」

「そんなに仲間引き連れてる癖に逃がしてるじゃねぇか。しかも反撃も一切してこないモンスター相手にな。その時点でお前らの獲物じゃないだろ」

「ぐっ」


 さっきの口ぶりからエッセのこの傷だらけの身体はこいつらから受けたもの。

 対して男たちには多少の汚れはあっても怪我一つない。

 エッセが反撃をしなかったことの証明。少なくとも普通のモンスターのように、人間に敵対する意思がないことの証明だ。


「チッ」


 とは言ってみたものの。

 舌打ちしたリーダーの男が周囲の仲間に目配せすると、小部屋の中で円を組むように展開した。

 まぁそうなるよな。数の差は圧倒的だし、横取り禁止はダンジョン内でのトラブルを最小限にするための探索者間の暗黙のルールに過ぎない。

 それに俺は何の後ろ盾もないソロ探索者。普通なら泣き寝入りするしかない。


「ダメだよ、リム。私のことはいいから逃げて。自分で何とかできるから」


 なんてことない風に笑って見せるエッセ。

 けれど、その笑顔はどうしても強がりにしか見えなかった。

 諦観に蝕まれた昏い笑みでしかない。


「……別にお前を助けたいからってわけじゃない」


 俺はエッセの足元の剣を拾おうとしたが、刃が地面に埋まって剥がせず舌打ちした。

 ダンジョンの侵食効果現象。

 この地より生まれたものを除く全てのモノは、ダンジョンから侵食効果を受け、最終的に壁や地面などに取り込まれる。当然人間も例外じゃないし、取り込まれれば死ぬ。服はおろかそこにいた痕跡すら残らない。

 俺がエッセに起こされる前に気絶していたのは、その侵食効果を受けてのことだ。

 何度も経験があり、その都度戻れているが、もし戻れなければこの剣のようにダンジョンに取り込まれて死ぬ。

 ダンジョン探索で死ぬのはモンスターとの戦いだけじゃない。


「へっ。武器なしでどうすんだガキ。まぁ俺らは優しいからよ。抵抗しなかったら半殺しで済ませてやる――ぜッ!」


 男が剣を振りかぶりながら走ってくる。

 エッセが前に出ようとするのを腕で遮り、俺は息を吐く。止める。

 集中。

 心臓が早鐘を打ち、血とは異なるものが火花を散らしながら全身を駆け巡る。

 翠緑の閃光。血潮が渇き魔力を噴かす。帯びた熱は手袋のつけていない左手へ。

 拳を作り、離し、握る。強く。確かな輪郭を以て閃と成す一太刀を。


「【無明の刀身インタンジブル】」


 翡翠の粒子を放出収束。魔力を一切の飾り気のない、刀身と鍔と柄が翡翠一体に輝く一振りへと構築する。

 それは実体を持ち、振り下ろされた刃とかち合い火花を散らした。


「なっ」

「フッ!」


 剣を捻り、相手の切っ先を斜めに滑らせる。受け太刀されるなんて思ってもなかったリーダーの男の顔面はがら空き。

 そこに思い切り右の拳を叩きこんでやった。メキメキと拳が沈む感触が手袋越しに伝わるのも気にせず、振り切る。男の身体は紙くずのように宙を舞い、地面と顔面から再会する。


「悪いなだまし討ちみたいな真似して」


 翡翠の剣は魔力の粒子に拡散し、俺の掌へと吸い込まれて消えた。

 男たちは唖然とするけど、すぐに睨んでくる。さすがにまだこの人数差だと諦めちゃくれないか。

 ただ、いまのリーダー格の男が一番強いのなら、まだ逃げの目はある。


「エッセ、お前戦えるか? 戦えるならなんとかなりそ」


 エッセが俯いている。なんでこんなときに、と思ったけど違った。俯いているんじゃない。下を見ている。

 地面のその先。下の階層を見下ろしている。

 そして、突如起こった轟音ともに大地がひっくり返った。


「な、なんだぁああああああ!!」


 誰のともわからない叫び声が響きながら、俺も男たちも立っていられず、その場にしりもちをつく。

 大地が本当にひっくり返ったわけじゃない。でも地震とも違う。まるで下から何かがとてつもない力で突き上げられているような、そんな状態だった。


「皆、逃げて!」


 俺にだけじゃなく、この場にいる全員にエッセは叫ぶ。

 直後、ダンジョン奥方面の小部屋と通路の間で、地面が爆ぜた。

 本物の怪物が地の底から這い上ってきた。


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