第22話

 コクコクと素早く首を縦に振る二人は、恐らくは私達に対して、恐怖心というものが根付いてしまったのだろう。恐れを抱いている人間は、あまり正確に物事を思い出すこと、説明することが出来ない。だから私は、少しだけ困ったようにして、綴と顔を見合わせて見せた。唐突に顔を向けられた綴は、少し、面食らったように私を見ていた。


「そんなに固くならないでください。別に、お二人は空き巣などではないのでしょう? 不審者は先生と警察の方々がどうにかしてくれそうですし、先輩達は何も知らずに勘違いをしてしまっただけ。ねえ、そうなのでしょう?」


 念を押して、言質を取る。一種の取引のようなものであることは、先輩達も理解は出来ているようだった。彼女らは胸を撫で下ろして、再び廊下の床にへたりと座り込む。


「板の床は冷たいですし、一回、下に降りませんか。先生達、長くなりそうですしね」


 不法侵入をされた立場で、このような冷静さを保てているのが、自分でも不思議だった。それでも、動きとしては合理的だろう。生成の手を引く。その後ろではよたよたと、織部が支えも無く立ち上がる。そんな彼に手を差し伸べたのは、部屋から出た識君だった。彼がやって来た方向を見ると、先生がこちらに視線を送っていた。恐らくは、識君に何か指示を出したのだろう。先輩二人が唐突に逃げようと暴れても困るので、ありがたい事ではあった。

 階段を降り、居間へと向かう。家具の少ない板間は、客人を迎えるには寂しいものだった。ただ、人間を五人配置するには丁度良い塩梅であった。


「ペットボトルなんで、残ったら持って帰ってください」


 台所の冷蔵庫から出したお茶を、四人それぞれに手渡していく。残った最後の一本を手に、私は床へ膝をつけた。カーペットの上で円形に並ぶ私達は、さて、誰が最初に声を上げるのかと、お互いを伺い合っていた。


「それで、織部先輩、生成先輩、お二人は何でこの家に入ってしまったんですか?」


 切り出したのは、識君だった。彼の問いに、私と綴は注視した。織部は生成の回答に縋るばかりで、どうやら主になって動いていたのは、生成の方であったらしい。


「二、三年前からかしら。ネットで話題になってたの、この家。幽霊が出る廃墟って。実際に幽霊なんて出てこなくても、雰囲気のある廃墟の写真が欲しくて、撮りに来たのよ。丁度ね、今描いてる絵が、そういうので……」


 生成曰く、彼女の趣味は創作活動だそうで、その資料集めの一環として、この家に入り込んだのだという。織部については、荷物持ちとして連れ込んだだけで、本人はあまり乗り気では無かったらしい。

 幽霊が、幽霊が、と生成が何度も言う内、「ベタだなあ」と識君が呟いた。それに気づいた生成は、彼を睨みつけつつ、口を大きく開いた。


「ベタかもしれないけど、実際、謂れはあるでしょ。家主が一番よくわかっていると思うけれど」


 そう言って、私を見る。私が返答をするよりも前に、織部が声を上げた。


「デリカシーが無いよ、美豊ちゃん」

「あ、いや……ごめんなさい」


 どうやら生成は、興奮すると周りが見えなくなるタイプらしい。私が「大丈夫ですよ」と笑うと、彼女は肩を落として頭を下げた。


「ごめん、言いたくなかったら言わなくて良いんだけど、その、謂れって何?」


 それらを全て切り裂いて、識君が首を傾げる。彼の手にはメモ帳があった。彼が誰の為に聞いているのかは明白だった。彼や先生も知っていて困ることではないだろう。私は穏やかさを目元に魅せて、喉を鳴らした。


「八年前に、母が焼身自殺しているの。山の奥で灯油を被って、私の目の前で火をつけて。私と妹も一緒に灯油を被ったのだけれど、私だけは何とか逃げて。でも、妹は火から逃げ切れずに……今は大学の附属病院に入院しているの」

「それは、気の毒に。最近までこの家から離れてたのは、そのせい?」

「それ以外にも色々……祖母が亡くなってからね、ここに住まなくなっていたのは」


 祖母という単語を出して数秒、唐突に、織部が言葉を繰り返し始める。祖母、祖母、祖母……亡くなった、祖母……と、何か脳を動かしているように、僅かに眉間に皺を寄せる。指先で、ペットボトルの蓋を削っていた。その音が響く程に、皆が静まり返る。それに気づいた彼は、ハッと顔を上げて、口籠った。


「何か」

「あ! いや! 大したことじゃないんだけど!」

「私の祖母が気になりますか」

「うん……あぁ、お祖母さんが気になるというか、ちょっと別のことだったんだけど」


 もごもごと口を動かすばかりの彼は、生成に肘で突かれ、やっとのことで言葉を発した。


「この家の仏間、遺影が無いなのが気になって。他にも、写真が全く無いものだから、ちょっと変だなって思ってたんだ」


 細かく言葉を切りながら、彼は語る。綴もまた心当たりがあったようで、頷きながら聞いていた。


「私達が写っている写真は、全て燃やしているんですよ」


 私の口から出たのは、ただ、それだけだった。母が死んだ時、祖母が死んだ時、私達はそうして来た。写真というものを、私は自分で撮ったことが無い。卒業アルバムというものを中学と高校で受け取ったが、それも燃やしてしまった。そうしなさいと、祖母が言っていたから。


「それは、何故」

「先祖代々、燃やせと言われてきたから……」


 理由のわからない事実を、私は唱えた。特段、そこに意味は無い。ただ、そうしてきたのだ。

 沈黙は、恐らく我が家の異常性を示しているのだろう。けれど、私にそれを破る技量も、知識も、存在していなかった。


「……何やってるんだ、お前ら」


 そう言って、今の障子を軋ませる先生に、私達は安堵の息を吐いた。その後ろでは、虚なままの男を、警察の二人が引き摺っていた。

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