第21話
暫くして、こちらに向かうエンジンの音が聞こえた頃、私達は皆、息を整え終えていた。床に押し付けられていた男も、抵抗の様子は無いようで、識君も呼吸が出来る程度には拘束を緩めていた。織部と生成に至っては、気が抜けたのか、廊下に座り込んで、私達を見るばかりだった。
玄関のチャイムが聞こえ、先生が階段へと足を向けた。「家主も来い」という言葉を耳にして、私は先生の後ろに着いて行った。廊下を淡々と歩く数秒の中で、ふと、先生が口を開いた。
「相手は警察の所属だが、特に犯罪がどうやらというのが専門ではない。何を正直に話しても、お前が逮捕されるだとか、そういうことにはならない。安心しろ」
「何故、そんな心配があると」
「お前、人を殺して山に埋めたんだろ」
成程、綴の不安そうな顔は、申し訳なさそうなあの態度は、これだったらしい。短い溜息が、口からはみ出たのが分かった。
「そういえば、そうでした。忘れていました」
ポツリと出たのは、本心だった。先生は振り返って、眉間に皺を寄せる。私の反応が予想外だったのかもしれない。先生は少し考えた後、何も言わずに再び歩を進めた。問い詰めない辺り、分別はついている人だと思った。
「先生」
で、あれば。私が少し問う程度は、許されるのではないか。
玄関を数歩向こうに置いて、私達は立ち止まった。先生が振り返る。私は鼻腔を震わせながら、声を吐いた。
「何か、悪いことを考えていますよね」
表情は、床に落としてしまっていたかもしれない。けれど、先生の少し驚いたような顔を見ることが出来て、高揚はしていた。
「何故」
先生は、目を細めて言った。口角は僅かに両端共つり上がっていて、彼もまた悦を知ったようだった。
「引き攣った笑いをしていらっしゃったので。それに、凄く、私の扱いが、雑になったような気がして」
きっと楽しいことを、考えていらっしゃるのでしょう。そう言う前に、先生がハッと鼻で笑った。
「そうだな、子供時代のそれに近しい脳には、なっているだろうよ」
先生はそう言って、自分のこめかみを指し示した。彼の結った赤髪の、その一束が、はらりとほぐれて、揺れた。私への回答を廊下に残して、二度目のチャイムへと急ぐ。ガラス戸の向こうから「先生」と呼びつける男の声がした。私もそれを追って、玄関に進んだ。
薄暗い玄関から見えるのは、二人の男の影だった。その両方がスーツで身を固めていた。扉を隔てて並べれば、身長一八〇程度の先生より、どちらも一回り大きな体をしていることが理解出来た。玄関口を開ける先生を待っていると、彼はふと、私を見た。
「お前が家主なのだから」
そう言って、先生は私を呼びつけた。許可無く他人に鍵を管理させるなと、防犯のなんたるかを呟く姿に、先生が本当に教員なのだと気付かされる。
内鍵を一捻りし、ガラス戸を横に滑らせる。ガラガラと大きく音を立てて、新鮮な山の空気が、停滞していた屋内に入り込んでいく。そんな風に目を細め、視界は緩やかな曲線とぼやけた白黒に置き換わる。
「あ、先生。こちらのお嬢さんはどなたですか。何があったんですか」
扉を開いた瞬間、聞き覚えのない男の声が聞こえた。ぼやけた視界に、輪郭を得る。先生と目を合わせていたのは、安物のスーツを着込んだ、少し草臥れた風貌の男だった。その後ろで、一つ会釈をするのは、縁の厚い眼鏡をかけた男。後者の方が若々しく、恐らくは、前に出ている男の後輩か何かなのだろうと思えた。
「とりあえず二人とも二階に上がれ。良いな、花鍬」
「はい。大丈夫です。上がってください」
私の名を呼ぶ先生に、男二人は顔を見合わせた。
「警視庁の立花です。よろしく、花鍬さん」
最初に意識を向けてきたのは、草臥れた方だった。サッと変えた態度が、一瞬、嘘臭く見えて、私はただ頬を強張らせるしかなかった。その顔を拒否と受け取ったのか、彼は私の相手を引き退って、二階に上がる先生の背後を取った。
「葦屋です。突然すみません。入りますね」
立花を追って入り込んだもう一人は、そう言って、一つ、頭を下げた。靴を脱いですぐ、葦屋は一度、背筋を伸ばす。その時になってやっと、彼が自身の巨体を縮こませて、わざわざ小さく見えるようにしていたのだとわかった。背後でもわかる程に、胸を張れば大抵の人間は威圧出来る体躯だった。けれど、何処か彼は小心者のように見えた。私から必死になって目線を逸らそうとしている。女性が苦手なのか、それとも彼らもまた「怪異」に纏わる人間なのだとしたら、私に何かを見ているのか。理由はわからなかったが、二階に上がってしまえば、考える意味は捨てられた。
二つの巨躯の隙間から、顔を出して、綴達を見た。怪訝な表情をしていた彼女は、私と目が合うと、少しだけ頬を緩めた。その側では、先輩二人が怯えて縮んでいて、まるで自分達が被害者かのような顔をしていた。
部屋に入った先生達は、識君が抑えつけていた男を囲む。スーツの男達に囲まれた男は、識君が手を離しても、魂が抜けたようにして、抵抗も発言もしなかった。何処かの刑事ドラマで見たような光景に、私はただ、現実感を手放して、無感情に事の進みを眺めるしかなかった。
「ね、ねえ、あの」
震えた声で私の肩を叩いたのは、生成だった。彼女は織部に服の裾を掴まれながら、私を上目遣いで見ていた。
「花鍬さん? 貴女達は、韮井先生の、何? 何で先生、ここに来たの?」
彼女はそう言って、首を傾けた。眉間に皺が寄ったのがわかった。一瞬、顔を覗く生成の肩がびくついていた。
「私はこの家の持ち主で、先生はこの家の調査に来たんですよ」
「持ち主? ここ、空家じゃなかったの?」
「五年前に一度、家族で引っ越しましたが、大学から近いので、四月初めから住み始めたんです」
私の回答に、生成は無言を返す。自分達が何をしでかしたのか、理解したのだろう。
「私達も質問してよろしいでしょうか、先輩」
そう言って生成の瞳を見る。そんな私の表情は、酷く自然に、或いは人形のように、微笑みかけていた。
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