外聞 識

第14話

 街灯が目立つ夜の商店街は、既に酒と煙草の匂いを漂わせていた。そんな見慣れた風景の中、僕達は菖蒲綴を連れ立って歩いていた。キョロキョロと辺りを見渡す彼女の瞳は、居酒屋やらコンビニやらの看板を反射させる。


「こういう所、初めて来る?」


 僕が尋ねると、彼女は振り返って、笑った。


「そうね、夜は初めてよ」

「昼間と違って人が少ないでしょ」

「確かに。でも人の気配が減っているわけではないのが不思議ね」


 妙に、察しが良い。初めて来たという言葉は本当なのだろう。それでも、扉の裏側、店の中や路地裏に、どれだけの人間がいるか、わかっているようだった。

 ふと、先導していた叔父の足が止まった。大学から三十分ほど歩いた先は、古びた喫茶店だった。看板は汚れて、窓のシャッターは降りている。けれど、ドアからは淡いオレンジの灯りが漏れていた。


「菖蒲、親御さんへの連絡は済んでいるか」


 叔父はドアノブに手をかけながら、菖蒲さんにそう言った。彼女が頷くと、彼はそのまま喫茶店の中に入っていった。僕はそれに続いて、ドアを開いた。少し肌寒い夜風が、室内の温もりに押されて僅かに消える。菖蒲さんに、入って、と声をかけると、彼女は少し申し訳なさそうにして、僕の腕の下を通っていった。部屋の温度を下げないようにと、僕はすぐに体を部屋の中に入れた。蝶番がキイと鳴いて、隙間風が笛のような音で主張する。僕がドアを引いてやると、それらはすぐに黙った。


「この時間に来るのは珍しいですね、韮井さん」


 僕達を迎えたのは、黒のエプロンが似合う、一人の女性だった。彼女はニンマリと口角を上げて、叔父を見上げていた。


「少々、問題があってな。もう三人程、追加で来る」

「同じことを言ってきた人が、先程三人、いらっしゃいましたよ」


 彼女にそう笑われると、叔父は首を一回コキリと鳴らして、頬を掻いた。女性の案内で、店の奥に進む。この喫茶店で最も広いテーブルには、着物の男に女子高生と男子高校生という、奇妙な三人組が座っていた。そのうちの一人、着物姿の男が振り返る。彼は僕と叔父を見ると、歯を見せた。


「やあ、韮井君。君から頭を下げに来るのは何年振りだ?」


 男の言葉を聞いた叔父は、彼の頭を左手で掴むと、そのまま目線を合わせて笑った。


「お前のこの軽い頭を床に擦り込んだことはあっても、お前に頭を下げたことは一度も無いが?」


 やたらと仲の良い二人は、暫くそのまま、過去の言い合いをするばかりだった。僕がその様子に溜息を吐いていると、右腕に、ツンツンと刺激を感じる。そちらを見ると、困り眉の菖蒲さんが、僕を見上げていた。


「あれ、何? 私は何を見せられてるの?」

「あの着物の人は宗像むなかたさん。叔父さんの大学同期で、まあ、腐れ縁みたいなものかな」

「……後ろの高校生達は?」

「学ラン着てるのが宗像さんの養子の久那ひさな。セーラー服の方は久那の友達のなつめ。皆、僕達と同じ、怪異の関係者だよ」


 僕達が二人に目を合わせると、棗がにこやかに手を振った。話の終わらない大人達を置いて、僕達は長いソファに腰を下ろした。ストローに口をつけて離さない久那にの腕を、棗が引っ張って、目線を合わせる。久那は黙ったまま、菖蒲さんに頭を下げた。


「それで私、この子達に話をすれば良いの? それとも、あっちで先生と戯れてる着物の変態に?」


 菖蒲さんが困ったままそう訝しむのも無理はない。彼女をここまで連れてきたのには理由があった。彼女の親友――花鍬さんの家について、事前に知っておかなければならないことがある。僕達の中で、花鍬さん意外に、あの家に訪ねたことがあるのは、今のところ菖蒲さんだけだった。彼女の様子の観察や、話の内容を精査しておきたかったのだ。何より、彼女は、花鍬さんと共に百足という蟲の怪異を見ている。証言からわかることも多い筈だというのが、僕達の見解だった。だが、叔父は怪異については、どちらかといえば、広く浅くというタイプで、その知識に専門性は少ない。よって、蟲の怪異について、よく知る人物に頼ろうということだった。


「この辺りで蟲の怪異に最も触れてきたのはコイツだ。コイツに話せば花鍬樹に纏わる怪異の外型くらいはわかるだろう」


 やっと席に着いた叔父は、そう言って、宗像さんを指差した。引っ張られた毛髪を手で抑えながら、当の宗像さんは首を傾げていた。


「花鍬樹だって? 君ねえ、そういうんなら先に連絡しなさいよ。お互いに無駄足は嫌いだろう」

「話があると言った瞬間に、電話を切ったのはそっちだろう」


 再び喧嘩を始めようとする二人を、僕と棗で制止する。気が抜けなかった。既に僕の隣では、菖蒲さんが呆れ返った顔で僕達を見ていた。


「とりあえず聞きますけど、その、無駄足っていうのは、なんですか?」


 何とか叔父を黙らせて、僕は問いを口にした。すると、宗像さんは「うん」と喉を鳴らして、冷めた珈琲を啜った。


「花鍬樹というと、雌のオシラサマを祀る家系だろう? それなら、昨年、僕達が殺してしまったからさ。この辺りに、もう、オシラサマの女はいないよ。白い蛾の母神は潰えた。花鍬樹という存在は、次の代にはただの人間に成り下がる」


 僕と叔父は顔を見合わせた。方針が狂う。花鍬さんが踏みつけた蚕は、何だったというのか。


「……蚕蛾の怪異を」

「だから、もう解決済みだ、その話は」

「違う。今朝、蚕蛾の怪異を踏み潰し、怪異を見る様になった、花鍬樹という女がいる」


 叔父の言葉に、宗像さんの動きが止まった。


「その花鍬樹について、知る人物を連れてきた。彼女は他にも、花鍬樹に群がる百足の怪異を見ている。何かが起きているんだ。この町で」


 そうして、菖蒲さんの元に、目線が集まった。少しだけ怯える彼女に、僕は笑いかける他、出来ることはなかった。

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