第二六話 白い繭


 カロンとバスメドが完勝した頃。

 そのことを一切知らない俺は、とにかく急いで最深部へと向かっていた。


 何故、こんなにも俺が急いでいるのかと言うと、何やらサポートAIさんが強力な魔素エネルギー量反応を感知したからだ。

 その強大な魔素エネルギー量反応は今なお増加中らしく、このままでは俺に匹敵するか、あるいは凌駕するまでに成長するらしい。


 流石にそんな強敵を見過ごすわけにはいかない。万が一、救出部隊の方に向かわれたら危ないだろうし。それに時間を掛けるだけ敵が強力になっていくのだ。急ぐ理由は判って頂けたかな?


 というわけで、俺は狭い巣内を高速飛行中ってわけ。


《間もなく、目的地付近です》


 なんかカーナビみたいだな、サポートAIさん。ちょっと気が抜けるじゃん。

 そんな愚痴を零しながら、サポートAIさんの案内に従って向かい、目的地に到着する。

 そこは地下にあるにも拘らず、広大な空間を有していた。だが、広さはそこまで感じない。


 それもそうか。なにせ、無数のジャイアントアーミーアントが犇めいているのだから。


「なんかヤバそうな気配を感じて急いでみたけど、どうやら正解だったみたいだな。あの白い繭からヤバ気な魔素エネルギー量を感じるし」


 そして、群がるジャイアントアーミーアントのその奥。そこには、巨大な白い繭が鎮座していた。


 今まで感じたことがない膨大な魔素エネルギー量。あれが、サポートAIさんが警戒していたものだろう。


《解析しました。あの物体は、ジャイアントクイーンアントの〝進化の繭〟です》


 進化の繭? ふむ。ということは今進化中ってことか。薄々そんな気はしていたけど。


「「「シャァァアアアア!」」」


 俺が観察していると、無数のジャイアントアーミーアント達から威嚇じみた雄叫びが上がった。

 どいつもこいつも、侵入者である俺を睨み付け、ビンビンに敵意を放っている。


 まずは前哨戦ってか。数える気にならない程むちゃくちゃ多いけど、俺には何の脅威にも感じられないんだよねぇ。まぁジャイアントアーミーアントだしな。


「やる気みたいだし、さくっとやっちゃいますか!」


 俺は無数のジャイアントアーミーアント達に手を向けると、早速『圧制者』を行使する。


「圧し潰せ、『圧制者』ッ!」


「空間認識」で座標を定め、「引斥力操作」によって捉えたジャイアントアーミーアント達を、悲鳴を上げる暇さえ与えずに鏖殺していく。


「「「――ッ⁉」」」


 一瞬で数百匹もの数がヤラれ、ジャイアントアーミーアント達に動揺が走ったのか、動きを止め固まってしまっている。


「戦場で思考停止は悪手だよ」


 動きを止めてくれるならやりやすい。俺は絶好の機会を逃すことなく、次々とジャイアントアーミーアント達を無慈悲に屠っていく。

 最深部の空間には、ジャイアントアーミーアント達が次々と無残にも拉げ、一切の抵抗さえ出来ずに圧殺されていく音だけが響き続けていく。


 あれ? ふと思ったけど、俺って傍から見れば、物凄い悪役じゃない? 一切の抵抗を許さず、敵を蹂躙しているし……。つーか、これって無防備な女王を守る近衛を蹂躙する悪役じゃん。


《気にすることではないかと。弱肉強食が魔物の不変なる理ですから》


 いやいやいや。サポートAIさん? 俺、心はまだ人間のつもりだよ?


《――⁉》


 えーっと……なんで言葉を失うのかな? これは後でしっかりと言い含めなければ。

 心のメモに書き留め、俺は意識を戦闘へと切り替える。戦場で他に考え事をするなんて死亡フラグだと思うし。二度目の死は暫く遠慮したいので。


 それにしても……数が多いなぁ。ひょっとすると二万くらいいるんじゃないか?

 もし、この数がグールの村を襲って来ていたらと思うと……ゾッとするな。殲滅出来るだろうけど、不測の事態になるかもしれん。一切の被害なく完勝出来るとは思えない。そこまで俺は自信家や楽天家ではないのだ。


 ホント、いいタイミングで本拠地に乗り込めたなぁと、俺はちょっと安堵する。


「ん? なんだ?」


 チリッとした殺意が肌を刺した。その殺意を辿っていくと、それはどうやら白い繭から放たれているようだった。

 もしや、手下がヤラれて怒っているのかも。まぁ気持ちは判らないでもないけどね。俺に敵対した事を後悔すればいいさ。あ、今悪役っぽかった。


 僅かな殺意を感じたものの一切気にも留めず、俺は『圧制者』を行使し続ける。

 ジャイアントアーミーアントが圧殺されていくに従って、白い繭から放たれる殺意の圧力が増して俺に突き刺さる。

 手下がヤラれて怒るのは判るさ。でも、俺もちょっと怒っているんだよねぇ。


 そもそもお前らが先にケンカを売って来たんだ。グールの村を始め、コボルトの村を襲ったのはお前らが先だ。

 グールの村は俺が偶然居合わせたおかげで、犠牲者は少ない。そう、少ないのだ。救出部隊が頑張ってくれているとは思うが、お前らに連れ去られた者がいる。


 コボルトの村については、悲惨としか言いようがない。弱小種族であるコボルトでは、突然の急襲に対応出来ずに蹂躙され、多くの者が地に横たわり無残な躯を晒していたんだ。


 そんなことをしておいて、お前らだけは反撃されないとでも思っていたの?


「……ふざけるんじゃねぇよ」


 呟くように俺は苛立ちを吐き捨てる。

 この苛立ちはジャイアントアーミーアントに対して、だけではない。自分自身にもだ。

 コボルトの村は、俺の判断が招いた悲劇でもある。少しばかりの責任は感じているのだ。


「だから……これは八つ当たりだ」


 器が小さい? それで結構。この苛立ちを俺はお前らにぶつけるだけだ。

 容赦なく次々とジャイアントアーミーアント達を虐殺していく。溜まった鬱憤を晴らすように。これ以上、悲劇を起こさない為にも、ここでコイツらは必ず殲滅する。


 俺に蹂躙されるジャイアントアーミーアント達の身体の至る所が拉げ、爆ぜ、圧し潰れていく。

 半数を超え、三分の二程の数を圧殺した頃、不意に耳障りな声が聞こえて来た。


「ヨクモ……ヨクモ、我ガ子ラヲ……」


 凄まじい怒りと怨嗟が込められた不気味な声音だ。どうやらそれは最奥に鎮座する白い繭から発せられているようである。


 確か進化中だったよな? 殺気も感じていたし、やっぱり意識はあるんだ。


「それが何? お前らがしたことをそっくりそのまま仕返しているだけだろ」

「ヨクモ……ヨクモ……」


 ふむ。挑発しているのに、恨み言を呟くだけで動きを見せない、かぁ。


《……マスターは何をお考えで?》


 ん? 何をって、そりゃあコイツらの殲滅だよ?


《ならば、わざわざ挑発する必要はありません。進化を終える前に倒すことを推奨します》


 サポートAIさんが言うことはもっともだ。無防備な進化途中に片を付ける事が、一番手間が掛からないと俺も思う。

 けど、果たしてそれでいいのか? とも思うのだ。この異世界に転生して早九か月。この九か月の間に、俺は異世界の洗礼を受けた。


 周囲には自分より圧倒的な強者ばかりの洞窟。生きる為にはコソコソと隠れ続けなければならなかった。まるで残飯を漁るように、誰かに倒された魔物から血液を頂く毎日だったのだ。

 それでも俺は前を向き、只管牙を研いできた。そしてとうとう力を手に入れ、ヒエラルキーのトップに立った。好敵手だったアークレイクサーペントに完勝する程までに。


 この世は弱肉強食。力無き者には悲惨な最期が待っている。それはグール然り、コボルト然り、ジャイアントアーミーアント然りだ。彼らを見れば否が応でも理解出来る。


 理不尽な運命を課した邪神を殴る為にも、もっと俺は力を付けなければならないんだ。それに何よりも、この二度目の人生を謳歌する為にも、もっともっと力は必要だと考えている。


 今、目の前に俺に匹敵するか、凌駕するかもしれない存在が現れたのだ。この機会を逃す手は無い。


《承知しました。マスターのより良き異世界生活の為にも、強化プログラムを模索します》


 あ、いや。そこまで切羽詰まっている訳じゃなくて、ね? 難しく言ったけど、ちょうどいい機会だし、練習相手にしようかなぁって軽く思っただけで。


 張り切るサポートAIさんに嫌な予感を感じて、俺は慌てて止めに入った時。


「ヨクモ……ヨクモヨクモッ!」


 強烈な殺気を叩きつけられ、俺はサッと身構えた。

 注目すれば、いつの間にか白い繭には、縦に割れるかのような亀裂が入っていた。


「ユルサン! 許サンゾォォォオオ!」


 地鳴りのような大音声が轟くと共に、白い繭が爆ぜた。


 そこには、凄まじい怒気と共に、圧倒的な妖気オーラを迸らせるナニカがいた。


 スラッと伸びる長い手足。腰部から生える丸っとした蟻の腹部に、背中からは薄っすら透き通る二対の翅。まるで女性のようなスレンダーでありながらも煽情的なフォルムの肢体。

 怒気を滾らせるその容貌は、正しく人間女性そのもの。二本の触覚が揺れているものの、美しいとさえ形容出来る容姿だ。


《解析しました。種族名蟲魔人インセクトレス。魔人と評される上位種族です》


 完全変態を遂げたジャイアントクイーンアントは、どうやら圧倒的な力を得て、上位種族である蟲魔人インセクトレスへと進化を果たしたようだ。ジャイアントアーミーアント達とはかけ離れたその姿に、少しばかり俺は驚き、戸惑ってしまう。


 えー……。まさか進化したら美女になるなんて聞いてないぞ……。女性に手を上げるのはなぁ……。女性には強く出れらない質なんです、俺って。


 思い出されるのは、圧倒的な強者であった姉の存在だ。我儘で自己中。弟である俺を顎で扱き使う女王様だった。一応、弁解する訳じゃないけど、嫌いじゃないよ? 家族思いの良き姉には違いなかったし。


 在りし日の事を思い出し、肩身の狭い思いをしたっけ……と、思わず遠くを見つめてしまう俺。だが、いつまでも感傷に浸っていられる状況では無かったようだ。


「貴様ダケハ、絶対ニ許サンッ!」


 憤怒を浮かべ、蟲魔人インセクトレスが吼えた。

 美女が怒ると怖いんだよね……と、少しトラウマを思い出していると、サポートAIさんから警告が飛ぶ。


《マスター、避けて下さい!》


 切羽詰まったサポートAIさんの声。いつも無機質で淡々として話すのに、余程慌てていたのだろう。サポートAIさんとしては、あまりにも具体性の無い性急な指示である。

 俺はサポートAIさんの指示通りに、咄嗟にその場を飛び退いた。


「――ッ⁉」


 だが、少しばかり退避が遅かったのか、俺の頬に浮かぶ一筋の血の跡。頬を拭って、掌に付いた血を見て少し驚く俺。その様子に少しばかり留飲を下げたのか、蟲魔人インセクトレスはニヤリと嗤っている。


 いつの間に斬られたんだ……? というか、そもそも何に斬られた?


《種族名蟲魔人インセクトレスの背に生える翅が高速振動することにより、ソニックブームが発生。その衝撃波を刃の様に研ぎ澄まし、マスターに不可視の攻撃を放ったと考えられます》


 サポートAIさんに解説され、思わず蟲魔人インセクトレスの翅に注目する。透き通ったフィルムのように薄い翅だ。まさか攻撃手段として用いるだなんて……。


《次、来ます!》


 サポートAIさんの指示が飛ぶ。が、今回はサポートAIさんの指示の前に俺は動き出せていた。


 俺のすぐ隣を通過していく不可視の斬撃。壁面に激突し、鋭い一筋の斬痕を残す。


「ホゥ。避ケタカ」

「不意打ちとは随分と小賢しいマネをするじゃないか。まぁ余裕で避けられるけどぉー?」


 すまし顔でそう煽ってやると、蟲魔人インセクトレスはイラっとしたようで、眉根を顰めている。


 喧嘩は相手を煽ってナンボってのが俺の持論だ。苛立ちや怒りは正常な判断を鈍らすしな。

 とまぁ、余裕たっぷりに振舞っているが、内心ヒヤヒヤしていた。先程蟲魔人インセクトレスの攻撃を回避出来たのは、たまたま翅に注目していたからだ。動いた! と思った瞬間、すぐに回避行動を取ったことが功を奏しただけである。


 威力の高さに、そのスピード。そして目に見えない不可視の攻撃……めちゃくちゃ厄介だ。次も避けられるか判らないぞ……。


《無属性魔法〝身体強化〟及び「思考加速」を発動させますか?》


 淡々とそんなことを伝えられ、俺は一瞬ポカーンと呆然としてしまう。


《マスター、来ますよ》


 ハッとし、慌てて回避する俺。スパッと薄皮一枚切られてしまった。


「アハハ! 舐メタ口ヲ利クワリニハ、避ケラレテイナイデハナイカ!」


 ムッカー。今はちょっと油断しただけだいっ!


《マスターが煽られていてはどうするのです……》


 サポートAIさんが呆れたように溜息を吐く。

 自分が煽るのはいいけど、煽られるのは大っ嫌いなんだよねぇ。まぁとりあえず落ち着こう、ふぅ。


 で、さっきなんか言ってなかった、サポートAIさん?


《ですから、無属性魔法〝身体強化〟及び「思考加速」を発動させますか?》


 そうそう。それだよ。というか、今まで発動していなかったの? その事が驚きだわ。どんだけ舐めプしていたんだよ、俺って。


 流石にこれは悪い傾向だ。圧倒的な力を得たとはいえ、少し大雑把過ぎやしないか。というか、そもそも死属性魔法〝知死〟さえかけ忘れているのは、ヤバすぎだろ、俺……。

 こんなことじゃあ、いつか足元を掬われそうだ。今後気を付けよう、うん。

 ということで早速各スキル及び魔法を発動させていく。


 死属性魔法〝知死〟を発動させると、僅かに反応があった。それはもちろん、今対峙している蟲魔人インセクトレスからだ。


〝知死〟に反応があるということは、あの蟲魔人インセクトレスは俺を殺せる可能性があるということ。


 これは少し気合を入れ直さないといけないみたいだな。


「ム」


 蟲魔人インセクトレスが小さく呟く。スッと目が細められ、注意深く俺を観察している様だ。

 へぇー。俺が戦闘態勢を整えたことを感じ取ったのか。これは益々気を抜けないぞ。


「……貴様、何ヲ笑ッテオル?」

「へ? 俺が笑っている?」


 おいおい。これから命を賭けた戦いが始まるっていうのに、笑えるほどの胆力は俺には――


《あの種族名蟲魔人インセクトレスが指摘した様に、マスターは笑みを浮かべておりますよ》


 ――ないと思っていたんだけど……。サポートAIさんに指摘されたら、流石に否定出来ない。

 もしかしてグール達に接している内に、いつの間にか戦闘民族思想が移ってしまったのかも。


 やれやれと肩を竦めて、俺は溜息を吐き出す。


「貴様……! 妾ヲ愚弄シテオルノカッ!」


 突然、蟲魔人インセクトレスが激昂し出し、俺は驚く。

 いや、何でそんなに怒っているのさ。今、怒るようなことは何も――。


《マスター……。その様な馬鹿にするかのような仕草をすれば、あの種族名蟲魔人インセクトレスが苛立つのも当然かと》


 へ? いやいや、ちょっと待ってよ。今のは蟲魔人インセクトレスに向けたものじゃなくて!


《マスター、来ます》

「貴様ダケハ、絶対ニ殺スッ!」


 どうやら俺が弁解する時間は無いようだ。


 激昂し吼える蟲魔人インセクトレス。戦いの火蓋が切って落とされるのだった。


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