第一九話 カロン


「悪かったって。決して忘れていた訳じゃなくて、非常事態だったからさ」

「本当に忘れていた訳じゃないんです?」

「うんうん、しっかり覚えているさ」


 ジトッとした目で見て来るのは、すっかり臍を曲げてしまった次期村長候補の女性だ。


 彼女が不機嫌になってしまった理由。それは彼女にも名付けの約束をしていたわけだが、唯一の生き残りであるコボルトを救う為に、そのコボルトへ先んじて名付けをしてしまったからだ。

 大義名分があるとは言え、約束を反故にされたと思い込んで、すっかり落ち込んでしまったのである。


 そして今、俺は女性を必死に宥めているという訳さ。


「その辺にしておけ、次期殿」

「バスメドはいいじゃない。貴方はクラウ様に名付けしてもらえたもの」


 宥めにかかったバスメドだったが、思わぬ反撃を受け、グッと呻いてしまう。

 頑張ってくれ、バスメド! という俺の視線を受けて、気を取り直したバスメドが説得にかかる。


「ごほんっ。次期殿も理解しているのだろう? この者を救う為に必要な事だったと」

「それは……うん、判っているわ」

「だろう? ならば、この者を救うと決めたクラウ様の寛大な御心に感心すれど、不機嫌になる事もないだろう。約束を反故にされたわけではあるまいし」

「……うん。判っている。バスメドの言う通りだと思う。ごめんなさい、クラウ様。我儘を言ってしまって」

「いやいや、謝る事は無いさ。ちゃんと約束は果たすからね」


 不謹慎な態度を取ったと謝罪する次期村長候補の女性に、俺は念を押しするように、約束は守ると告げた。

 バスメドのナイスフォローもあって女性の機嫌が直り、ホッとしたのも束の間。


「んんー、えっと……ここは……?」


 唯一の生き残りだったコボルト――カロンが目覚めた。


「初めまして。俺はクラウディートという。どこか痛い所は無いか?」

「痛い所ですか? えっと……特には?」


 目覚めたばかりで、状況を理解出来ていないのだろう。カロンは困惑しているようだった。


 取り敢えず、カロンに事のあらましを説明することに。


「俺はグールの村にお世話になっていてね。そこに今朝、ジャイアントアーミーアントの軍勢が押し寄せて来たんだ。どうにか撃退出来たんだけどさ、その軍勢は分隊を作っていたようでね。その分隊を探しに来たんだ。そして……このコボルトの村を発見した」


 俺が説明するにつれて、次第に思い出してきたのだろう。カロンは表情を蒼褪めさせ、慌てて問い掛けて来た。


「そうです! 村に見たことも無い魔物が襲って来て……村は⁉ 村はどうなったのですか⁉」


 ガバッと俺の肩を掴んで問い質すカロン。

 バスメドが止めに入ろうとしたが、俺は視線をやってバスメドを止めた。そして、真っ直ぐカロンの瞳を見詰め、事実のみを告げる。


「俺達が到着した時には、既に壊滅した後だった。生き残りは……君だけだ」

「そんな……」


 力強く肩を掴んでいた手から力が抜け、カロンは零れ落ちるように地面へと倒れ込んでしまった。そして、慟哭するかのように泣き声を上げる。

 自分の村が壊滅したんだ。その心情は計り知れない。その悲しみや痛みは、想像は出来ても、共感することは出来ないのだ。俺には親しい身近な者が亡くなった経験さえ無いのだから。


 慟哭を上げるカロン。俺は変に慰めることはせず――いや、その資格は無く、ただ泣き続けるカロンを見守り続けたのだった。


「グスン……ごめんなさい。みっともないところを見せてしまったのです」


 暫く泣き続けたカロンだったが、少しは感情を吐き出せたようで、次第に落ち着きを取り戻していく。


「村が壊滅したんだ。その気持ちは理解出来る」


 泣き腫らした目を擦りながらそんなことを謝罪するカロンに、俺は気にするなと首を横に振った。グール達も俺と同じ気持ちらしく、カロンを励ますように各々声を掛けていた。

 少し落ち着く時間が必要だろう。そう思って、同性である次期村長候補の女性にカロンを託して、俺は村の者達の葬送に戻った。


 無言で淡々と、そして丁重に亡骸を埋めていく。

 年老いた者、働き盛りの若者、そして生まれたばかりであろう幼子、その一人一人に冥福を祈りながら。

 全ての亡骸を弔い、最後に俺は黙祷を捧げる。俺が下した判断の結果を真摯に受け止め、胸に刻み付けつつ。


「……ありがとうございます」


 合掌して黙祷を捧げていると、おずおずとカロンが声を掛けて来た。


「いや、感謝されることじゃないよ。自己満足に過ぎないんだしさ」


 そう。自己満足に過ぎないんだ。思わず苦笑が漏れ出す。が……。


「いえ、そうは思いません」


 カロンはきっぱりと、それは自己満足ではないと断言した。


「そう?」

「はい。こんなにも丁重に弔ってもらい、感謝しかないのです。村の者たちもそう思っているはずですよ。それに私も救って下さいました。本当にありがとうございます」


 バッと勢いよく、カロンは頭を下げた。そんなカロンの思いが、俺の冷え切った心を優しく温めるかのように感じられた。


「まさか進化しているとは思ってもみなかったですけど」


 そう言うカロンは苦笑気味だ。生死の境目を彷徨い、目覚めたらコボルトでは無くなっていたんだから、そりゃ困惑するよな。


「迷惑だった?」

「いえいえ! そんなことはないのです! まさか私が進化出来るとは思っていなくて、その……」


 慌てふためくカロンの姿が、少し滑稽で笑ってしまった俺。そんな俺にぷくぅと頬を膨らましてカロンは抗議する。


「もう! クラウ様は意地悪ですっ!」

「ごめん、ごめん。それでどんな種族になったの? 見た目は凄く変わったけど」

灰死犬族ヴァンデルという種族みたいです!」


 はきはきと答えるカロンは、どうやらコボルトから灰死犬族ヴァンデルという種族に進化したらしい。魔素エネルギー量も莫大に増加しており、死鬼族デスグールであるバスメドに迫る勢いだ。弱小種族であるコボルトとは一線画す強者へと進化しているようだ。


 そして一番の変化は、やはりその容姿だろう。犬頭だった頭部は、ほとんど人間と同じような容姿となってしまっている。いや、頭部だけじゃなく、身体もほとんど人間にしか見えない。コボルトの名残は頭頂部に生えた犬耳と、チラチラ背後に見え隠れする尻尾だけだろう。あと、時折見え隠れする犬歯くらいか。灰髪金眼の犬耳美少女になってしまった。


灰死犬族ヴァンデルか……。それにしても大きくなったなぁ」

「はい! 身長も伸びたのです!」


 確かにカロンの言う通り、身長も大きくなっている。村長と同じくらいかな? コボルトの時は俺とあまり変わらない大きさだったし。いや、そうじゃないんだ。俺が言っているのは。


「あと、こんな大きな物が付いちゃって、ちょっと邪魔です」


 むにゅっと柔らかそうな巨乳を持ち上げて、邪魔だとぬかすカロン。

 それが邪魔だと⁉ 夢と希望が詰まったものなんだぞ! 邪魔とぬかす奴は成敗してやる!

 そんなことを思いはしたものの、流石に自重した俺であった。


 さて。カロンも落ち着いてきたようだし、少し話を聞くとするか。


「んじゃあ、カロン。少し話を聞いても良いかな? ジャイアントアーミーアントが襲って来た当時のことを」

「はい」


 俺が了解を取ると、カロンは居住まいを正し、神妙に頷く。その表情は少し強張っていた。


「あの魔物――クラウ様が仰るジャイアントアーミーアントという魔物が襲って来たのは、今朝のことです――」


 カロンの話をまとめると、夜が明けて間もない頃に、突然襲撃を受けたそうだ。今まで見たことも無い強力な魔物――これがジャイアントアーミーアントの分隊だと推測される――の襲撃に、魔物として下位に位置するコボルトでは到底太刀打ち出来ず、成す術無く蹂躙されてしまったと語る。


「――わたしは他の村に逃げようとしたんですけど、魔物に見つかってしまって……」


 当時のことを思い出したのだろう。カロンは思わずぶるっと身体を震わせ、自分の身体を守るかのように抱き締めていた。


「判った。もうそれ以上はいいよ。辛い事を思い出させて悪かった」

「いえ。お話する必要があると思いましたので」


 思い出すもの辛いはずなのに、そうカロンは気丈に振舞う。強い娘だ。


「覚えているか判らないけどさ。カロン、ジャイアントアーミーアントの分隊の行方を知らないか?」

「行方ですか?」

「あぁ。俺達がこの村に到着した時には居なかったみたいだし」


 俺達の目的は、ジャイアントアーミーアントの分隊の捜索及び殲滅だ。野放しにしておくわけにはいかない。現にコボルトの村は壊滅されてしまったのだから。


「んー、私が覚えているのは、突然魔物に襲われたことしか……」

「そうか。ごめんな、辛いことを思い出させてしまって」

「いえいえ。もう大丈夫です。気持ちの整理はつきましたから」


 気丈に振舞っているが、その拳は硬く握り締められており、カロンの心情をありありと表していた。


「あ、そういえば、少し思ったんですけど」

「ん? 何々?」

「少し村の者の亡骸が少ないと思ったのです」


 亡骸が少ない? それはどういうことだろう?


「カロン、それは喰われたのではないか?」


 バスメドがそんなことを包み隠さず、直球でカロンに問い掛けやがった。

 少しはカロンの気持ちを考えろバカ! 言い方ってものがあんだろうが!


 あんまりな物言いに注意をしようとした俺だったが、その前にカロンが口を開く。


「んー、それはないと思うんですよねぇ。喰われた破片とか残っていないみたいですし」


 だが、カロンは特に気にすることなく、バスメドにそう答えていた。

 カロンが気にしていないようだったから、この場では注意はしなかったけど、後でバスメドは説教をしようと心に決めつつ、俺も話に参加する。


「あと考えられるのは、連れ去られたってことくらいか」

「……そうだ、思い出したのです! 意識を失う寸前、魔物に囲まれた者達を見た気がします! それに他の村に逃げることが出来た者がいるかもしれないのです!」


 ハッと思い出したカロンが俺の推測を肯定しつつ、更に推測を重ねる。


「カロンよ。他の村と言っていたが?」

「はい、バスメドさん。コボルトは魔物としては弱いですけど、数は多いのです。この森にはわたしたちの村だけじゃなく、他にもコボルトの村があるのですよ。そこに逃げたんじゃないかって」


 村の生き残りが他にもいるかもしれない。そのことに思い至ったカロンは、今にも飛び出して行きそうだった。だが、続くバスメドの言葉に、ピシッと固まってしまう。


「それはありそうだ。だが、クラウ様の推測が正しければ、ジャイアントアーミーアントに連れ去られた者が多くいるはず」


 そうだ。危険度具合からいって、連れ去られた者達の方が圧倒的に高いだろう。


「それにしても……目的は一体?」


 俺は腕を組んで悩む。ジャイアントアーミーアントの目的がよく判らないのだ。奴らは何を目的として、魔の大森林に棲む魔物の集落を襲っているのだろうか。

 いや、そもそもジャイアントアーミーアントに知性なんかなく、ただ魔物の習性として他種族を襲っているだけかもしれないが。


 考え込んでいる俺に、バスメドが己の見解を述べる。


「クラウ様、ジャイアントアーミーアントの目的は食糧調達だと思われます」

「え? しょ、食糧調達?」

「ええ。クラウ様にはお話しておりませんでしたが、我らの村からも幾人かのグールが連れ去られておりますので」


 ちょっと待て。今、何て言った……?


「今、連れ去られてって……」

「ええ」


 淡々と頷くバスメドに、俺は感情が促すままに叫んだ。


「何でそんなに冷静なんだよ⁉ 仲間が連れ去られたんだろ⁉ それになんで教えてくれなかったッ⁉」


 そうだ。仲間が連れ去られたなんて、一切聞いていない。聞いていれば、もっと俺は……。


 感情を露に叫ぶ俺に、皆は驚いている様子だったが。バスメドだけは驚くことなく、冷静に俺を見詰め返しつつ淡々と答えた。


「大勢を活かす為には必要な犠牲だと。それにグールの問題でしたので」


 テメェ、今何て――。


《マスター、落ち着いて下さい》


 サポートAIさん、これが落ち着いていられる話かよ⁉


《どうか、落ち着いて下さい、マスター。個体名バスメドの言動は、敢えてマスターを激昂させ、全ての責を自ら負う為のもの。更にバスメドの説明は理に適っております》


 サポートAIさんの冷静で平坦な声音が、俺の熱した激情を徐々に抑えていくように感じられた。


《思い出して下さい。マスターが種族名グールの村に訪れたのは昨日の事です。そして、マスターが訪れるまで、種族名グールは存続の危機にありました》


 ……あぁ、そうだよ。まだ一日しか経っていない。


《種族名ジャイアントアーミーアントに急襲され、多くの負傷者を出しながら撃退するのが精々であった戦力で、連れ去られた者の捜索など出来ません。更には前回を超える大軍勢の侵攻が確認されたのです。種の存続が危うい中での判断としては適当です》


 それは……そうかもしれない。サポートAIさんの説明は判り易くて、理解は出来る。


《……それでも納得は出来ませんか?》


 あぁ。だって俺が居たんだ。俺ならば簡単にジャイアントアーミーアントの軍勢を殲滅出来たし、なんなら連れ去られた者だって助け出せたはず……。


《しかし、種族名グールはマスターに全てを任せることはしなかった》


 うん、そうだ。自分たちの村を守るというグール達の思いを理解していたから、俺は最低限のサポートだけしかしなかったんだよな。

 甘いよなぁ、俺。グール達の方がしっかりと現実を見据えているし。


《マスターはそのままでいいのではないでしょうか?》


 そのままでいい……?


《現実を見据え、必要な犠牲と割り切るなどせず。マスターは思うままに行動し、あまねく存在の希望となればよいかと》


 ハハハ。なんじゃそら。そんなの神様みたいじゃないか。神様って柄じゃないよ。


 一通りサポートAIさんと話をして、俺は少し落ち着きを取り戻せた。危うく、バスメドに当たり散らすことはせずに済んで良かった。


「ふぅ……。バスメド」

「はい、クラウ様」

「今度は俺を頼ってくれるよな?」


 俺が真っ直ぐ見詰めると、バスメドは一瞬破顔した後、サッとその場に膝を付く。


「お頼み申します、クラウ様。我らがグールの命運、御身に託しました」


 宣誓じみたバスメドの言葉に、俺は鷹揚に頷く。


「あ、はいはいはーい! 私も力になれるか判らないですけど、絶対付いて行くのですっ!」


 元気よく手を上げたカロンが、便乗する様に追随した。


「あぁ、判っている。グールもコボルトも、皆絶対に助け出すよ」


 俺が決意を示すと、ぶんぶんと勢いよく縦に首を振るカロン。期待に満ちた瞳を向けられたら、答えないわけにはいかないよな。それに……。


「それに、アイツらを駆逐しないと、いつまで経っても脅威は減らないしな」

「「「我々グール一同、クラウ様にお供させて頂きます」」」


 バスメドを始め、次期村長候補の女性や他のグール達も声を揃えて宣言する。


「よし! そうと決まったのなら、早速行動開始だ!」

「「「はいっ!」」」


 俺の言葉に一斉に頷くグール達。


 今回は積極的に俺も戦う。連れ去られた者達は絶対に返してもらうぞ。待っていろ、クソ虫共!


 俺は遠くを見詰め、決意を新たにしたのだった。


 ――後で思い返してみれば、この時が俺のターニングポイントだったと思う。異世界に魔物転生して、それでも気ままに生きようとしたのに……まさかこのようなことになるとは、流石の俺にも予想出来なかった。



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