第六話 青き球体のその先


 地底湖に潜む強敵――ドレイクを討伐した俺は、目的だった青き球体へと近付き触れた。

 その瞬間、眩い光を放つ青の球体。その光はまるで目晦ましのように眼底を鋭く焼き、俺は情けない悲鳴を上げてしまう。


 ふぅ。まさかこの俺が、ム〇カごっこをする羽目になるとは。全く情けない限りだ。

 徐々に視覚が回復していくと、次第に周囲の状況が判明していく。

 あれ? さっきまで地底湖にいたよな? ここは一体……? 

 周囲を見渡し、驚く俺。そこは仄暗い地底湖ではなかった。


 辺り一面に生い茂る草花。瑞々しい果実が実る樹木。そして神秘的な泉。

 そこは、暖かな光が差し、爽やかな風が吹く幻想的な空間だった。


 悪く言えばメルヘンチック。よく言えば神聖な場所って感じだな。

 そんな感想を胸に、少し呆然としながら周囲を見渡していると。


『あらあら、まぁまぁ。大きなコウモリさんですね』


 鈴が鳴るような女性の声が聞こえた。その声音には、どことなく楽しそうな雰囲気が感じられる。

 その声がする方へと振り向くと、思いもよらない光景が視界に飛び込んできた。


 初々しい少女の様であり、また成熟した大人の女性の様でもある不思議な雰囲気を醸す女性。ただ確かなのは、儚げでありつつも優しげな美女であることは間違いない。

 目にしたことが無いような絶世の美女だったから驚いたのかと聞かれれば、即座に違うと言える。俺が驚いたのは、神秘的な雰囲気でもなく、魅惑的な容貌でもない。その女性の痛々しい姿だった。


 玉座に座る女性。その肢体には何本もの杭が穿たれ、よく見れば刃物で斬られたであろう裂傷が至る所に刻まれていた。その傷からは微かに血が滲み、元は純白であったであろうドレスが、赤黒く染まっていた。

 更に追い打ちを掛けるかのように、幾重にも巻かれた光り輝く鎖。清浄な雰囲気を醸す鎖だが、俺にはその鎖が酷く醜く見えてしまった。


 どうしてこんな……酷い……。一体この女性が何を……。

 余りにも痛々しい、ともすれば惨いとさえ言える状態の女性の姿に、愕然とする俺は言葉を失った。そして、心の奥底に芽生える激しい怒り。


 そんな俺の心境を見透かしたのか、その女性は申し訳なさそうに顔色を暗くする。


『ごめんなさいね。余りにも酷い姿でしょう』

「ビ、ビィッ、ビィビ(あ、ちがっ、えっと)……」


 咄嗟に否定は出来ず、結局しどろもどろになってしまう俺。

 そんな慌てた姿が可笑しかったのか、女性はクスクスと笑みを浮かべる。


『ふふふ。そうよね。そんなこと言われても返答に困りますわよね』


 ……いや、そうなんですけどね、うん。


『コウモリさん。もう少しこちらへ来て下さらないかしら?』


 あ、はい。今そっちに行きますね。

 パタパタと羽ばたいて女性の近くに赴く。近くでみるとより判る。この人、めちゃくちゃ美人だわ……。

 まるで黄金を鋳溶かしたかのように輝く金色の髪。澄んだ瞳は深緑のように清らかで、その人形のように美しい相貌には優しげな微笑が浮かんでいる。


『初めまして、コウモリさん。よく来て下さいました』


 声を掛けられ、ハッとする。いつの間にか見惚れてしまったようだ。


『それにしても本当大きいですわね。私と同じくらいじゃないかしら』


 おうおう、お嬢さん。男性に大きいとか言っちゃいけません!


「ビビビィ、ビィ(ヒュージバットらしいですから、俺)」


 女性は『まぁ! そうなのですね!』と、可愛らしく驚く。


「ビィ、ビビビィ(というか、俺の言葉判るんですね)」

『ええ。私の特技なのですわ。あらゆる生物の声を聞くことが出来るのですよ』


 それはすごい! と素直に褒めると、えっへんと胸を張る女性。鎖に巻かれて強調された部分が、更に強調されて――げふんげふん。


『コウモリさんはどうやってここまでいらしたの?』

「ビビビィビビィ(それはかくがくしかじかで)――」


 俺は女性にこの場所へ至る経緯を語った。秘密にするわけじゃないけれど、邪神に転生されてしまったこと等、暗い話になりそうなところはカットし、なるべく面白おかしく話した。

 大して面白い話じゃなかっただろうに、女性は俺の話に時々相槌や質問をしつつ、楽しそうに聞いてくれている様だった。


 話の途中、女性に教えてもらったのだけど、今まで遭遇した魔物の名前が判明。ネズミの魔物はフットラット、狼の魔物はハイグレイウルフ、蛇の魔物はブラッティナーガ、ムカデの魔物はアーマーセンティピードと言う種族名らしい。

 そして、地底湖に潜んでいた強敵であるドレイクは、アークレイクサーペントではないかと女性は教えてくれた。


 驚愕の事実だ。サーペント……トカゲだと思っていたら、どうやら蛇だったらしい。四肢があったんだけど……蛇なのかぁ……。

 アークレイクサーペントを除いてどれも大体中間くらいの強さらしい。そのアークレイクサーペントは中の上くらいみたいだ。


 ――この時、女性に教えてもらった基準は、遥か昔の基準であった。現在の基準ではどの魔物も上位に位置する強敵である事を俺が知ったのは、暫く後になってからだった。


『大変だったのね、コウモリさん。それにしても……』


 しみじみと呟いた女性が不意に何かを考え込む。そしてジーッと俺を見詰め始めた。


 え、何? そんなに真っ直ぐ見詰められると、なんだかくすぐったいんだけど。

 若干居心地の悪い時間が流れ――唐突に女性は口を開く。


『貴方、誰かに呪いを掛けられていますわね?』


 ギクッ! ど、どうして判ったんだ⁉ 転生や呪い云々は話していないのに。


 可愛らしさや儚さは鳴りを潜め、凛とした雰囲気を纏う女性。その表情はとても真剣で、力強ささえあった。


 あんまり暗い話はしたくは無かったんだけど……。と思いつつ「ビィ(実は)――」と、先程の話では省いた転生やら、邪神に呪われたことやらを話していく。


『転生に、勇者召喚……それに邪神の呪い……』


 あれ? なんか、ぽかんと口を開いたまま呆然としているんだけど。さっきまでのキリッとした表情はどこに行った⁉


『まさか――邪神が――そんな――』


 女性は、聞き取れないほど小声でブツブツと何やら呟いている。


「ビッビ、ビビビィ(えっと、大丈夫ですか)?」

『はっ⁉ ご、ごめんなさい。ちょっとびっくりしてしまって……』


 ハッとして、シュンとする。ホント、ころころと表情が変わるなぁ。それに全部可愛い……ハッ⁉ また見惚れそうになった……。これが魔性……?


『こほん。それで呪いでしたわね。「勇者スキル取得不可」、「勇者覚醒不可」、「下級魔物転生」。まさか三つもの呪いを掛けられているなんで驚きました。それもどれも強力な呪詛が込められています』


 あのぅー、今更キリッと真面目な表情を作っても遅いと思いますよ?


『簡単な呪いであれば、今の私でも解呪することが出来「ビビビビィ(解けるんですか)⁉」――きゃっ⁉』


 この憎き呪いが解けると聞かされてはジッとしていられない。思わず女性に詰め寄り、悲鳴を上げられてしまう。


「ビ、ビビビィ(す、すみません)……」

『もう、驚いてしまったじゃありませんか』


 ぷくぅと頬を膨らます女性に、俺は頭を下げて謝った。ごめんなさい。


『でも、貴方の気持ちも判ります。呪いで苦労してしまったのなら猶更ですわ』


 そう。そうなんです。めちゃくちゃ苦労したんですよ、俺は!


『けれど、申し訳ありません。以前の力を取り戻せたとしても、解呪することが出来るかどうか……』


 そう、か……。やっぱり神と名乗るだけのことはあるんだな。邪な神だけど、その力は強力なのだろう。


 この身に掛けられた呪いを解けるものなら解いてしまいたい。が、もう魔物へと転生して半年ほどの時間が経っている。今更解呪出来ないことが判っても、あんまりショックを受けてない、そんな自分に気付く。いつの間にか順応していると。


 それよりも気になったことがあった。それは『以前の力を取り戻せたとしても』という女性の発言だ。

 なるべく触れないよう、考えないように気を付けていたが……やっぱりこの杭と鎖は、女性を封印するものなのだろうか。


 ドス黒い漆黒の杭。清浄な輝きを放つ純白の鎖。相反するようでいて、それでも同じ効力を発揮しているのだろう。


『……やっぱり気になりますか?』


 俺の視線を敏感に感じ取った女性は、そう訊ねて来る。


 そりゃあ気になる。何でこんな仕打ちを受けなければならなかったのか。一体何があったのか。そして、この湧き上がる怒りは一体何なのか。その全てが気になる。


「ビビビビ、ビビビィ(気になりますけど、無理やり聞き出そうとはしませんよ)」


 俺は何も訊ねないという選択肢を取った。自分の知的欲求を満たす為だけに、彼女に辛い過去を話させるべきじゃない。それくらいの気遣いは持ち合わせている。


『ありがとうございます。今はまだお話出来ませんが――』


 ――いつか必ず。と女性は約束してくれた。そして『でも――』と続ける。


『この血は気になってしょうがないみたいですね、うふふ』


 ぬぉぉぉぉ! お姉さん! 今、いい感じにカッコつけてたじゃん、俺! そんな事言っちゃあ、台無しだよッ!

 女性が指摘したように、チラチラと幾度となく視線を向けてしまっていた。彼女に近付いた時からずっとうずうずしていたのだ。濃厚な食欲をそそる美味しそうな匂いに。


 だって仕方がないじゃないか! 俺、コウモリだよ? 血の匂いに惑わされてしまう生き物だよ?


『これも何かの縁です。貴方に掛かってしまった呪いは、どうする事も出来ませんけれど――』


 女性が人差し指を振るうと、僅かに滴っていた血が一か所に集まっていく。

 辛うじて動く掌の上に集まった血の球体。それはまるで深紅の宝珠のようで、神々しささえ感じさせる。


『――貴方に聖霊せいれいの祝福があらんこと』


 どうぞと差し出された深紅の宝珠。俺は思わずゴクリと生唾を飲み込む。


「ビビィ、ビィ(精霊・・、ですか)?」

『えぇ。聖霊・・ですわ』


 逸る気持ちを抑えつつ訊ねると、女性は首肯する。


 どうやら彼女は精霊・・だったみたい。道理で人外じみた美貌だと思った。きっと地球のトップ女優でも、このお姉さんの前では裸足で逃げ出すしかないだろうし。


『うふふ。そう我慢なさらずともいいのですよ。きっと貴方の力となってくれるでしょうから』


 ……バレてーら。はしたないマネをしたくなくて、必死に意識を逸らしていたのだけれど、お姉さんにはバレバレだったみたい。


 そんじゃあ、遠慮なく頂きます。ちゅーちゅーちゅー。

 おぉ……これは……。


「ビビィ(美味い)……」


 何という美味さ。例え百や千の言葉をどれだけ飾っても、この美味しさについては決して表現出来やしないだろう。ただただ美味い。その一言に全てが詰まっている。


『うふふ。お気に召したようで何よりですわ』


 まるで赤子に母乳をあげているかのように、女性は慈愛に満ちた聖母のような表情をしていた。


「……ビィ(はい)」


 お、おぅ……。なんかめっちゃ恥ずかしいんだけどッ!

 美味すぎて思わず恍惚としてしまった俺は、慌てて居住まいを正す。もう遅いかもしれないけど……。

 ん? 何だ? 身体が熱い? それに力が漲ってくる?


『コウモリさん、貴方にお名前はあるのかしら?』


 突然の変調に目を白黒させていると、唐突に女性は俺の名前を訊ねて来た。

 名前? 俺の名前は、天み――いや、それは前世の名だ。今の俺には名前は無いんだ……。


「ビビビィ(ありません)」

『それなら問題ありませんわね。私が貴方に〝名〟を授けましょう』


 へ? お姉さんが名付け親になるの? 


『……お嫌ですか?』

「ビビビビビビィ(そんなことはありませんとも)!」


 是非とも名付けて下さい。美人なお姉さんになら大歓迎です!


 うーんと宙を見詰めて考え込む女性。そう言えば俺、このお姉さんの名前も知らないんだよな。


「ビビビィ(お姉さんのお名前は)?」

『へ? 私ですか? んーそうですね。創ぞ――こほん。私も貴方と同じく名前はありませんわ。聖霊には特定の名はありませんの』


 へー。精霊には名前が無いのか。初めて知ったわ。


「ビィ、ビビビ(じゃあ、お礼に俺が考え――『いいの⁉』――ますね)」


 食い気味というか、もはや食い込んでいるというか。とにかく俺の提案に、物凄く嬉しそうだ。これは早まったか……?

 かなりのプレッシャーだ。これは俺のネーミングセンスが問われるぞ……。

 もう一度、女性をよく見てみると……ふと脳裡に浮かんだ名前があった。


「ビビビィ(ディーネ)……」


 無意識に口に出たその名前。何故かとてもしっくりくる。

 評価が気になり、チラッと横目で窺うと、女性はその大きな瞳をまん丸にして驚いていた。そして――。


『素敵なお名前をありがとう』


 ――花が咲いたような満面の笑みを浮かべたのだった。


 良かった。どうやら気に入ってくれたみたい。なんで〝ディーネ〟になったのか。それは全くの謎だ。この女性を見ていると、本当に突然脳裡に浮かんで来たんだ。まぁ直感って奴かな。


『決まりましたわ。貴方には〝クラウディート〟の名を授けましょう。愛称は〝クラウ〟ですわ』


 女性――ディーネに名付けられた瞬間、俺の心の奥底――魂に〝クラウディート〟という名が刻まれる。クラウディート……それが俺の名だ!


 直後、俺の身体が変化――進化を開始した。


『魔物にとって名前はとても重要な意味があるのですわ』


 先程から感じていた熱が全身に広がっていく。


『名を与えられることによって、存在の格――魂の位階が上がるのです』


 熱が全身に行き渡ると、俺の身体が突然光り輝き出す。


『そして、貴方――クラウには、私の祝福と血を授けました』


 身体の輪郭を越えて、次第に輝きが大きくなっていく。


『私に出来得ることはこれで全て』


 その瞬間、空間いっぱいに光が覆い尽くした。


『さぁ、今こそ誕生の時です!』


 光が消えると、そこには進化を果たした新たな俺の姿があったのだった。



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