第30話





「…あんたなにしてんの?」


意味が分からなかった。

瑞希がいつものように笑っていたから否定するもんだと思っていたら瑞希は自らナイフで自分の腹を刺したのだ。腹からは瞬時に血が滲み出る。瑞希は痛いはずなのに笑って言った。


「好きだから…このまま死のうと思ってさ」


瑞希の口調はいつもと同じだった。落ち着いていて痛みなんか何も感じてないような優しい声で瑞希は続けた。


「さっきはごめんね。でも、もう怖くないし逃げないよ。レナが好きなのは本当だから」


「……なんでいつもみたいに否定しないの?そういうのはおかしいとかいつも言うくせに」


「うん、そうだね…。……でも、幸せになりたいんでしょ?これで幸せになると思うんでしょ?だったら否定なんかしないよ。私はレナのこと好きだから幸せにしたいの」


瑞希はいつも通りに話すのにいつもの瑞希とは違うように感じる。この違和感がなんなのか分からなかった。瑞希が逃げたから腹が立って刺したのに、このまま殺してやろうと思ったのに私はなぜか動けなかった。


「なんにも気づいてあげられなくてごめんね。分かった気でいて、レナのこと何も分かってなかった。レナはすごく辛かったんだね」


「……」


「レナが辛くないようにしたかったけど、私あんまり役に立ってなかったね。ただの自己満足を押し付けてただけだった…本当にごめん…」


「…なに謝ってんの?私は謝ってほしいなんて言ってないし思ってない」


謝られたって別に嬉しくもなんともなかった。それよりも瑞希の気持ちが分からないし瑞希がどうしたいのかも分からない。口だけならなんとでも言える。そういうやつは腐るほどいた。違うと思ったけど瑞希も一緒なんじゃないのか。


「うん。でも、死んだら言えないから言っとかないとって思って」


「あんたどういうつもりなの?」


「死ぬつもりだよ。好きだから殺していいよ。でも、レナには犯罪者になってほしくないから自分で先に刺しただけ。レナはさ、私が自殺するのを止めたって言ってよ?レナが犯罪者になってほしくないから」


瑞希は本気なのだろうか?逃げたくせに、さっき私を怖がったのが答えなくせに。ムカつく。いつも私を諭すように口うるさく言うくせに……。


「信じられない?」


私の気持ちを見透かしたように瑞希は言った。笑っている瑞希にまたイライラする。瑞希は片手で力なく手招いてきた。


「レナ、悪いんだけど…近くに来てくれない?」


「なんで?」


「顔、よく見ておきたいんだ。あと……キスしたい…」


イライラするからいつもならいやと言うはずなのに私は元々近かった距離を埋めた。さっきから自分の行動すらも分からない。瑞希に関しては前から分からないと感じることばかりだ。でも、殺していいならこのまま殺してしまえばいい。傷つけると嬉しくなっていたから殺せばもっと嬉しくなって幸せになるはずだ。あいつのことなんか忘れるくらいに……。


「ありがとうレナ……。大好きだよ」


ナイフに手を伸ばしかけて瑞希にキスをされる。

弱々しいキスだった。唇をちょっと重ねるだけのただのキスだ。それなのに瑞希は本当に嬉しそうな顔をした。


「なんか……レナが言う幸せが……分かったかも」


「死ぬくせになに言ってんの?」


「死ぬから言いたいの」


瑞希は私の手を握ると腹に刺さっているナイフの柄を握らせてきた。血生臭い匂いと瑞希の血で湿っている感触が伝わる。私はそれに妙に緊張した。ずっと殺してみたかったのに初めてだからだろうか。これを望んでいたのに。瑞希は私の目をしっかり見てきた。


「私、レナのこと…本当に好きだよ。だから、死ぬから……私がレナを好きなの……覚えててくれないかな?」


「私も死ぬんだから覚えてられるかなんか分からないから」


「あぁ……そっか……。レナはそうしたかったんだっけ。でも、レナには……死んでほしくないのになぁ……」


「なんで?幸せになれるかもしれないのに」


瑞希は他人事なのに少し悲しげな顔をした。


「そうかもしれないけどさ……私は、レナが好きだから……私が死ぬのはいいけど、レナが死ぬのは悲しいよ……。幸せになると思っても……悲しい」


「……なんでそんなに他人のことばっかり考えてるわけ?そんなに私に好かれたいの?」


「好かれたら良かったけどここまで無理だったからさ、だから……せめて幸せになってほしいの……。まぁ、レナにはまだ分からないかなぁ……」


瑞希に当たり前のように言われて私はますますイラついた。好きなのを伝えるって言ったくせになんで私の気持ちを決めつけてるの?私が好きだって言ったくせに、好きって気持ちが分かるよって言ったくせに、なんでもう諦めて決めつけてんの?私は反論しようとしたら瑞希は少しふらついてソファに手をついた。


「瑞希?!」


「ごめんレナ…。大丈夫だよ。まだ、大丈夫だから……」


「……大丈夫じゃないでしょ?」


瑞希の顔色は悪くて青白くなってきている。こちらを見るけどもあまり焦点が合ってないような眼差しに不安を感じる。でも、瑞希は笑っていた。


「レナ……このまま……深く刺してくれる?そしたら……死ぬと思うから……」


「……なに、笑ってんの…」


私は笑っている瑞希に急に恐怖を感じて動けなかった。どうしたのか自分でも分からない。なんで怖いんだろう。瑞希がもうすぐ死ぬから?でも、殺したかったし、死んでもどうも思わないはずだ。だって別に好きでもなんでもないから。私は瑞希を好きなんかじゃない。瑞希の太股からも腹からも血が溢れ出て止まらない。痛いはずなのに痛そうにしない瑞希になんだか落ち着かない。


「ねぇ、瑞希……?」


「あのさ、レナ……抱き締めてくれないかな」


「なんで?」


「たまには抱き締めてくれてもいいじゃん。そんなにやだ?」


「……別に」


「じゃあ、抱き締めてよ?お願いレナ」


こうやって頼むことなんかなかった。瑞希はいつも自分から何かをしてちゃんと言う人だった。

今さらなんなの?いつものように笑っているけど分からない。

私は言われた通り軽く抱き締めてやると瑞希は見透かしたように言ってきた。


「怖いの?自分が信じられない?」


「え?」


思わず瑞希に視線が行ってしまう。瑞希の笑顔は変わらない。瑞希は私をよく見ている。そこまで一緒にいる訳じゃないのになんで分かるんだ。瑞希は笑いながら続けた。


「いつも自分の考えがぶれないのに今はぶれてるように見えるから……」


「……」


「信じて大丈夫だよ。私も信じるから」


「……なんで?」


瑞希だって初めてのはずだ。この状況が。

それなのに確信を持っているように言うから聞いていた。瑞希はいつも私のようにぶれないから。


「さっき言ったのと同じ。それに、好きな人のために死ねるならいいかなって思って。最後に一人で死ぬより好きな人に殺された方が私は幸せかなって思ってさ」


「……意味分かんない」


「うーん……一人だと寂しいからこう思うのかなぁ。私は誰かといたいし、必要とされたいって思うから」


「その相手に何も思われてなくても?」


何も思われてなかったらただ虚しくて惨めなだけだ。無駄な意味のない行為で自己満足でしかない。だから次に無駄だと言おうとしたら瑞希が先に言った。


「求めないよ。求めたらきりがないじゃん?求めたからって返ってくる訳じゃないし、ただ自分がしたいからそうしてるだけ。いつも同じ考えの人なんかいないし、返すかどうかは人によるじゃん」


「じゃあ、……なんで私に求めてるみたいなこと言ったの?いつか好きとかいろんなことが分かるようになるって……あんた言ってたじゃん!あれはなんだったの?」


イラついて語尾が強くなる。教えるとか言っていたくせに…!少しでも信じた私がバカみたい。抑えられない苛立ちはもう溢れ出しそうだった。


「あれはレナが辛い思いをしないようにしたかっただけだよ。私は別にレナに好かれなくても良かったの。それよりもレナが辛い思いをするのがやだったから」


「綺麗事ばっかり言わないで本当のこと言ったらどうなの?痛い思いして死ぬことより大事な訳ないでしょ?!」


「大事だよ。自分より私はレナが大事なの。レナが幸せになるなら私はいいんだよ。嬉しくて幸せだから」


真面目な顔をして言う瑞希になぜか急に怒りが収まって訳が分からず悲しくなった。意味分かんない。本当に……意味分かんない。なんでこんな気持ちになるのかも分からずに瑞希から顔を逸らそうとしたら身体を預けるように瑞希が凭れてきた。


「…瑞希?」


身体を支えながら声をかけても瑞希は何も言わなかった。



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