第14話



「レナ……?」


「消えろ!消えろ!消えろ!!」


そこにはレナ以外誰もいなかった。だけどレナは泣きながら怒鳴って鏡を何度も叩いていた。

もう鏡は酷く割れていてレナの血が鏡や洗面所に飛び散っているのにレナは錯乱しているかのようだった。いったいどうしたと言うんだ。私は唖然としたもののすぐにレナを止めた。


「レナやめて?なにしてるの?!」


「うるさい!離せ!」


「レナ……!」


後ろから抱き締めて手を掴もうとしたのにすごい力で振り払われる。そしてレナはまた鏡を血だらけの手で叩く。

レナの手には割れた鏡が刺さって痛いはずなのにレナは痛みなんか感じていないようだった。


これはどう見てもおかしい。レナは何か違うものが見えている。消えろ消えろと言いながら何かを恐れているかのように鏡を一心不乱に叩いている。私は今度は離されないようにレナに強く抱きついて鏡から離れるように後ろに身体を引いた。


「レナ!落ち着いて?なにもいないよ?大丈夫だから」


「離して!!私に触るな!!」


「レナ!!大丈夫だから!」


レナは本気で私から逃れるように暴れるが私はレナが鏡に近づけないようにどうにかレナの前に回り込むとレナの目をしっかり見ながら話しかけた。レナは酷く泣いていて怒っているようにも苦しんでいるようにも見えた。


「レナ?落ち着いて?なにもいないよ?大丈夫だから。私を見て?」


「うるさい!離せ!」


「レナ!!話を聞いて?!大丈夫だから!!」


「触らないで!離して!!」


身体を掴んでもレナは嫌がって私を突き放してくる。

鏡に執着するレナの精神は普通じゃなかった。レナは私なんか見てすらいない。ただ鏡を睨むように見ている。

私はどうにかレナの目を私に向けたくてレナの身体を抱き締めながら話しかけた。


「レナ!お願いだから暴れないで?また怪我するよ?やめてもう!」


「私に触るな!!」


怒鳴るレナにすごい力で突き飛ばされて私は床に尻餅をついた。レナをどうにか落ち着かせたいのにどうしたらいいんだ。すぐに立ち上がろうと手に力を入れようとしたら床にあった鏡の破片で手を切ってしまった。私が怪我をしている場合じゃないのに、私は錯乱状態のレナに強く抱きつくと血だらけの手を強く握った。自分の手に破片が刺さっても気にならなかった。レナはそれでようやく顔を歪めながら私を見た。


「レナ?怪我してるから落ち着いて?手痛いでしょ?血だらけだよ?」


「………だから、なに?アイツが……」


「誰もいないよ?レナと私しかここにはいないよ」


「…………」


落ち着きを見せるレナはようやく正気に戻ったようだった。鏡に視線を向けて私を見るとレナは倒れるように私に凭れてきて私はレナを支えるようにそのまま座らせた。レナはいつもと比べ物にならないくらい弱々しかった。


「レナ、大丈夫?」


「……わたし……声が聞こえて……」


「声?」


小さな声でレナは泣きながら静かに言った。

どこを見ているのか分からない虚ろな目をしながら。


「アイツがまた私に話しかけてきて、それで、私を見て笑ってたから……」


「怖くなったの?」


アイツが誰かは分からなかったけどレナの恐怖は感じ取れた。さっきのは何かを恐れているようだったから。レナは涙をこぼした。


「うん………。怖かったから、消したかった……」


「じゃあ、私を起こしてくれたら良かったのに。レナが怖くないように助けたよ?」


私はレナに明るく言ってあげた。

レナの恐怖はとても本人にとって辛いと思う。あのレナがこんなに取り乱すなんて普段からは考えられない。レナのストレスは精神的にとても重いものなのだろう。


「……でも、私にしか、見えない………」


「それでも助けるよ?レナにしか見えなくても怖いなら怖いって言っていいんだよ?怖いのは恥ずかしい事じゃないでしょ?皆怖いものはあるんだから、レナが怖いなら私が守ってあげるから」


「…………うん」


レナは静かに泣いていて私は落ち着くように抱き締めながら身体を擦った。そうしていくらか落ち着きを取り戻したところで私はとりあえず美穂に連絡をして状況を知らせた。美穂は驚いていたが救急車を呼んで直ぐ様病院に向かった。


病院に着いてレナはガラスの破片が刺さったままだったからその処置を受けていたら美穂が大慌てでやってきた。見るからに急いでやってきたであろう美穂は私を見つけると本当に心配そうに言った。


「瑞希!レナは?!大丈夫なの?!」


「うん。今処置してもらってるけど大丈夫だよ。レナも今は落ち着いてるから」


「そっか…。あぁ……、よかった。本当によかった。瑞希ありがとうね本当に。レナを助けてくれてありがとう」


「ううん。それよりレナは……なんか、すごい悪いの?レナ誰もいないのに誰かに怖がってて…混乱してた」


あれはおかしかったけど美穂にはちゃんと伝えておいた。レナは見るからに異常だったから。美穂は難しい顔をした。


「…何も言わないから分かんないけど仕事のストレスはあると思うよ。レナのお母さんは舞台で有名な女優だったからよく比べられるし、レナはそれをすごい嫌がってる。元々批判とかは気にしないんだけどお母さんと比べられるのだけは気にしてるからそれなのかなって思うけど私には何にも話してくれないから……」


「そうなんだ…」


「レナはなんか言ってた?」


「なにも。ただ、怖がって泣いてたよ」


「そっか………」


つまり親がコンプレックスなのだろうか。

美穂の話を聞いてもあまり納得がいかない。

比較されているからってあんなに怯えて泣くのだろうか?それに親をレナはゴミだと嫌っていた。

レナはいったい何をそんなに怖がっているんだろう。


「瑞希、レナのそばにいてあげてくれない?」


美穂はそれから申し訳なさそうに言った。


「レナといると大変だと思うけどレナ友達もいないし、いつも一人だから心配なの。私も一緒にいたいけど怒ってどっか行っちゃったりするから無理だし…。まぁ、いれたらでいいんだけど」


「うん。できるかぎり一緒にいるよ。私もあんなレナ初めて見たから心配だよ」


「うん。ありがとう。私も今回みたいなのは一緒にいて初めてだから本当に心配だよ。お母さんみたいにならないといいけど……」


「…お母さんみたいって、どういう意味?」


私は何も知らなかった。レナの事を、レナの本質を。

美穂の言葉で分からされた気がした。

美穂は言いにくそうに言った。



「レナのお母さん自殺してるの。だから、ずっと心配なの私は。今回のレナの休養も私が無理矢理させたし、レナの様子もちょくちょく見るようにしてるけど……レナはいつもなにも言わないから突然いなくなりそうで怖いんだ」


「………そう、なんだ……」


「うん………。まぁ、本人はお母さんを嫌ってるからそうはならないかなって少しは思えるけど実際はストレスで体調崩してるからさ…あ、レナ!大丈夫だったの?!」


美穂は処置が終わってこちらにやって来たレナに急いで駆け寄った。

私はそれを唖然と見ていた。衝撃的だった。

レナが普通と違うのはそれなんだ。

強く見えて脆く見えるのもそれで、レナが逃げる事に拘って嫌がっているのもそれなのかもしれない。

あのドライブの時に言っていた一番嫌いな女はきっとお母さんだろう。自殺したのを逃げたと思っているから恥のように感じて嫌っている。



そんなの美穂が気にかける訳だった。

あんな態度でも嫌いにならないで一緒にいて心配までしてるのはそれだ。美穂はレナを家族のように心配している。レナが文字通り一人だから。

レナは美穂が心配しているのに無表情だった。



「別に」


「別にじゃないでしょ?もう、ちょっと私聞いてくるから瑞希と待ってて?」


「………」


相変わらず何も言わないレナを私に目配せして預けてきた美穂は話を聞きに行ってしまったので私はレナと一緒に座って待つ事にした。レナは無表情だけど疲れているようにも感じる。私は包帯に包まれた手に優しく触れた。


「レナ大丈夫だったの?」


「破片を取り除いて縫って終わった。糸取りに来いって」


「そっか。大事にならなくてよかった」


「あんたなんで帰らなかったの?」


そうしてレナはいつものようにズレた事を言ってきた。

レナのこのズレはレナにそうしてくれる家族や友人がいなかったからなのかと思うとなんだか切なく感じる。レナは知らないからこういう事を言ってきていたんだ。


「レナが心配だからだよ」


「でも、あいつが来たでしょ」


「美穂は来たけど私はレナの事好きだから帰らないよ」


「私は今誰ともいたくないから帰って」


「やだ。レナが心配だから一緒にいる。一緒にいるくらいいいでしょ?」


素直に帰る気なんて更々なかった。

レナは本心だろうが一人にさせたくない。

私はここにきてレナに愛情のような感情を抱いていた。レナが急に愛しく感じた。


「……ウザい」


「ウザくても鍵あるから無駄だよ。今日は帰ったらとりあえず横になろ?もう朝だけど疲れたから休もうよ」


「いや」


「嫌でもだめ。嫌がるならご飯死ぬ程食べさせるよ?それに美穂も呼ぶけどいいの?」


「……じゃあ、寝る」


「そっ。よかった。じゃあ、帰ったらぐっすり寝よう」


レナの扱いはもうそれなりに分かっている。

素直じゃないけど頷いてくれたので良しとしよう。

それから美穂を待っている間レナと会話はしなかった。ただ一緒にいて私が怪我をしている手を優しく擦っていたらレナは弱々しく私の手を握ってきた。


無表情で何を考えているのか分からないレナだけどそれがなんだか子供っぽくて私は軽く握り返した。

何も言わないのにレナの心が現れているみたいで応えたくなったから。レナはそれにも何も言わなかったけど私は安心していた。頼る事が少しずつできるようになればレナの心の負担が減る。

私がこうやって少しずつレナに教えていけばいいんだ。そうすればきっと大丈夫な気がする。

レナは普通とは違っているけど私と同じところがあるから。



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