第979話 爽やか対応の男 1

 多くの日本人が経験する大学受験。


 オレは現役の時に国公立の医学部を2つ受けた。

 私立は最初から選択肢にない。


 にとって何千万円というお金を用意する事は不可能だ。

 だからといってオレは親をうらんだりはしなかった。

 そんなお金を出せる事の方が例外中の例外だ。

 だから私立医大の受験などというのは地球の裏側の出来事も同然。

 ブラジルや南アフリカで何が起ころうがオレは気にならない。


 だから受けたのは2校とも国公立だ。

 残念ながらどちらにも落とされた。

 今にして思えば、単純に学力が足りなかったにすぎない。

 けれども、当時のオレにはショックだった。


 行く大学がない以上、浪人生活を送らざるを得ない。

 同じ高校を卒業して受験に失敗した連中の大半は最寄りの〇✕予備校に行く。

 〇✕予備校は家から歩いて30分のところにある。

 30分の徒歩通学というのは大変そうに思えるが、18歳のオレにとっては何でもなかった。


 ちょっとした散歩程度のものだ。

 だから往復1時間を歩いて通っていた。


 予備校生活の何が辛かったといって、自分がやっている事が無意味なものに思えてくることだった。

 高校の同級生たちは大学に入ってドイツ語や経済学など新しい事をやっているというのに。


 オレは相変わらず数学やら英語やら、わりえしない受験勉強に明け暮れている。

 毎日が同じ事の繰り返しだ。

 退屈そのものの日々が過ぎていく。


 さて、予備校でオレのいたクラスは医進コースというものだった。

 1クラスが100人ほどだろうか。

 いや、200人だったかもしれない。


 この全員が医学部を受けるなんていうのは大変な事だ。

 皆が医学部に入ったら日本に医学部がいくつあっても足りなくなる。


 医進コースのいいところは誰も受験理由を話題にしない事だ。

 高校生の時は担任や部活の顧問に散々尋ねられた。


「お前はどうして医学部に行こうと思うんだ」


 教師だけでなく父親にまで言われる。


「なんだってまた医者になろうってんだ。お前は高校の数学教師になるんじゃなかったのか」


 いや確かに高校の数学教師ってのはオレも考えた事があった。

 でも仮にも1度は医学部受験を口にしてしまったんだ。

 途中で引っ込めたら日和ひよったみたいじゃないか。


 でもそんな本音を世間様に向かって言うわけにはいかない。

 だから「病気で苦しんでいる人を助けたいと思います」とか「癌の研究をして多くの人を救いたいです」とか。

 その場しのぎの言葉で誤魔化した。


 ところが予備校では誰にもそんな事をかれない。

 一応、担任の教師はいたが、面談ではどの大学なら通りそうかという話に終始した。


 予備校では席が固定されていたので前後左右の人間と親しくなるのに時間はかからなかった。

 驚いたのは2浪生、3浪生が普通にいる事だ。

 中には6浪生とか、大学を卒業しての再受験組までいた。

 こうなってくるとオレより10歳も上になってしまう。


 目標を同じくする若者同士、日曜日になると模擬試験を受けにいった。

 当時の大手は駿台すんだい予備校とか河合塾とかだ。

 ただ、どちらも近所になかったので、県をまたいで受けに行く必要があった。

 

 当時の10代にとって模擬試験を受けに行くのは日常生活を離れた冒険旅行でもある。

 皆でワイワイガヤガヤと電車に乗って出かけた。



 ある日の事。

 登校すると教室の一角いっかくに人だかりが出来ていた。


 誰かがいち早く入手した駿台予備校の模擬試験の結果をクラスに持ってきたのだ。

 全国で何万人受けたのか知らないが、上位300人ほどの名前がのっている。

 300番に近い方とはいえ、その中に自分の名前があるのを自慢するためだ。


「すごいなあ。駿台すんだいの二百何十番だったらいい所にいけるんじゃないか」


 そう皆で感心していたら、別の誰かが「あっ、僕の名前も出ている」とゆびさした。

 なんと200番前後にそいつの名前があった。


「おおー!」


 一同びっくり。


 さらに驚いた事には、さらにその上にオレの名前が出ていた。


「やったな。たいしたもんだ!」


 いやいやいや。

 駿台の模擬試験なんか難しすぎて、全然できた気がしなかった。

 でもほかの連中がオレ以上にできなかったんだろう。


(次回に続く)

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