第640話 壺の好きな男 1

 カルト宗教につぼを買わされる被害が後を絶たないらしい。

 だから、かの宗教に解散命令がくだるとかくだらないとか。


 ただ、信者が壺の購入を強要されるというよりも、洗脳されて買ってしまうってのが本当ではなかろうか。


 というのも、外来患者を診ていると「この人、オレの話よりも壺の方をありがたがって買うんだろうな」と思う人が少なくないからだ。

 洗脳されやすい人はいくら壺を買えなくしても、別のところから壺に相当するものを探し出してくる。

 1枚3万円のおふだとか、1回10万円の民間療法とか。


 こういう人に医学的な説明をしても通じない。

 論理的に説明すると疲れるだけだ。

 今回なんか疲れるというよりも疲労困憊ひろうこんぱいした。

 特別難しい説明をしたつもりではなかったのだけど。


 先日やって来た患者は80歳前後の高齢夫婦。

 御主人の歩行障害ってのが主訴だ。

 歩いていると次第に速足はやあしになって来る。

 そして足腰あしこしだるくなって休まなくてはならない。

 しばらく休むと普通に歩けるが、また歩行を再開すると次第に速足になるそうだ。


 パーキンソンではないか、という事で複数の医療機関を経由してオレに紹介された。

 すでに、MRI や DaT Scan ダットスキャンを含む画像検査も色々とされている。

 紹介状によれば、それらはすべて正常だったそうだ。


 で、御夫婦は診察室の椅子に座るなり開口一番こう言った。

「画像はどうなっていますか? 先生、見てください」と。


 オレは馬鹿正直に「最初に画像を見ることはしません。まずはいつ頃からどういう症状があって、というところからお聴きしたいと思います」と答えた。

 明らかに夫婦は落胆している。

 オレが画像診断を後回しにしたからだろう。


 先に症状を確認し、その後で画像を見るというのは、オレの我流がりゅう診察法でも何でもない。

 ベイズ推定という理論に基づくものだ。

 この理論を説明するためには、聴く側に中学校卒業程度の数学の力と30分ほどの時間を必要とする。

 だから医学生に説明するのは難しくないが、普通の人に説明しようとしても徒労に終わってしまう事が多い。


 今になって思えば、医学的に正しい事であっても、一般人に通じない事は沢山あるのだから、先に画像を確認するフリだけでもしておけば良かったのかもしれない。

 が、クソ真面目にベイズ推定通りにやってしまった。


 もちろん、オレとて相手の理解力に合わせて説明をする努力をしている。

 が、初対面で壺に走る人を見抜く事は難しいのが現状だ。


 いつまでも愚痴ぐちをこぼしていても仕方ないので、先日の診察の診察で何があったのか、それを述べたいと思う。

 オレに余力があったら、本シリーズの最後にベイズ推定についても説明しよう。


(次回に続く)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る