第590話 排尿する男
学会でたまたま隣になったのが同門の先輩である
オレと同じように最初は麻酔科医だったが、途中で脳神経外科に転向した。
というか、いずれは脳外科に行くつもりで最初だけ麻酔科にいたのだと思う。
北目先生はちょっと前に脳外科を引退したが、彼の話を聞くと引退間際の脳外科医の行動や考え方が良く分かる。
「長時間手術なんか出来たもんじゃなくなるぞ」
「やっぱり体力が続かないのでしょうか?」
「それより何より、トイレが近くなっちまってな」
「長い手術だと8時間くらいかかりますからね」
「昼でも夜でも2時間おきにトイレに行くようになったんだよね」
オレも最近になってトイレが近くなったので気持ちは良く分かる。
「それに『ちょっとおしっこに行きたい気がする』と思ってから『もう駄目だ、間に合わねえ』となるまでの時間が短くなるんだよな、これが」
終始トイレの話ばかりだ。
「病院での部長室は個室だったんだけど、部屋の中に洗面台があってさ」
病院の建て替えに伴って旧い病棟の部屋をそのまま医局や部長室として使うことは良くある。
北目先生の部屋はもともと個室タイプの病室だったものを流用したのかもしれない。
だから部屋の中に洗面台があったのだろう。
でも、何だってトイレの話の中に洗面台が?
まさか……
「何も部屋からトイレのある場所が遠いってわけじゃないんだけど、尿意を催してから排尿までが近くなってしまったんで」
「話の流れからして、その先は聞きたくない気がします」
「つい部屋の中にある洗面台に排尿してしまった事があるんだ」
「それ、無茶苦茶じゃないですか!」
「1回、禁断の果実を味わってしまうと、ついエスカレートしてしまって」
エスカレートって、アアタ。
「ひょっとして排便までしたとか、ですか?」
「馬鹿な。便までしてどうするんだ。尿と違って流れないだろう!」
「でも、さっきエスカレートしたと聞いたんで」
「いやいや。1回だけと思っていたのが1回で済まなくなったということよ」
「じゃあ10回くらいですか」
「いや、100回はやったかな。でも排便1回に比べたら排尿100回の方が罪が軽いだろ」
知りませんがな、そんなこと。
「ある日、
「バレたんですかね」
「いや、人に見られたことは1回もないけどな」
「目撃されたら人として終わりでしょう」
「それで考えたわけよ。ほら、犬が同じ電柱に何度もおしっこを引っ掛けたらしまいには腐って倒れてしまう、という都市伝説があるだろ」
「それ、昭和の時代の木の電柱の話ですね」
「もしかして
果たして北目先生は作業服の人たちに確認したのか?
「そんな事を
なんだ、訊かなかったのか。
でも、洗面台に排尿するなんて、
目撃されなくても人として終わっている気がする。
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