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子どものケンカに大人も参戦するのかと思いました(笑)
私の高校の体育祭、小説にも書いてありますが、「俵運び」という種目があります。
グランドの真ん中に土嚢をたくさん置いて、自陣にたくさん運びんだチームが勝ちです。
高校生なので、土嚢の奪い合いで相手チームとガチの殴り合いをするのが恒例です()
やり過ぎると、体育教師が跳び蹴りで参戦してきます。
昭和の時代ですね~
今は男女比率が逆転したそうですが、わが母校
作者からの返信
子供の喧嘩に大人が、じゃなくて、高校生の喧嘩に体育教師が、という事ですね。
この年代の男の子はエネルギーが余っているのに、それを無駄な方向に使う奴ばかりで呆れます。
という私もその1人でしたが。
毎朝、いいお話ありがとうございます。
確かに、指揮者が違うだけで、出る音が変わりますね。
同じ楽団、同じ曲でも、指揮者が変わるだけで全然違う音楽になります。
教育、という点でも、一つの目標に向かって、ギクシャクしながらも向かっていく、という点で合唱コンクールや、体育祭でのクラス対抗競技なども、あってよいと思っています。自分自身を振り返っても、自分のidentityを確立する高校時代(中学は荒れてて暗黒でしたが)の体育祭、みんなで頑張ったことを懐かしく思います。
作者からの返信
コメントありがとうございました。
合唱コンクールや体育祭に向けて頑張るのは人間力をつけるための大切な機会だと思います。
ある塾講師が保護者に「自分たちの役目は学力をつける事だけど、人間力を培うためには学校での時間を大切にするようにしましょう」と言ったそうです。
名言だと思います。
現在の中学校。生徒数が多いので別の会場を借りての発表会の前に授業参観の最後に合唱の発表をしてくれました。
生徒達が一生懸命合唱している中、保護者は一切聞いてないで雑談ばかり。
流石に会場を借りた際は雑談相手の近くに行けないとか夫もいるので、等で少しはマシでしたが。
そして似たような経験が少しあります。
女子高時代、現国で教科書を読み上げる担当に初めて当たった人が、ただ教科書を読み上げているのに周囲が静かになりました。
音読というか、多分ナレーションをするような職業の才能があったのでしょうね。
残念ながら彼女にその才能を指摘する人はおらず、本人もその才能に気が付かないまま、人生を歩んでいるかと思います。
作者からの返信
雑談ばかりでは困りますね。
先生も保護者に注意するわけにいかないし。
音読については、宝塚音楽学校の入学式での代表の読み上げる挨拶が「既にプロだ!」と思わせるものでした。