第149話 怒鳴るのをやめられない男

電子カルテを見た瞬間、「これはまずいな」と思った。

初診予約の患者だが、患者の息子からすでにクレームが入っている。

前日に別の医療機関から電話をかけて「今すぐ診てくれ」と言ってきたみたいだ。


案の定、持参の診療情報提供書には複数病院の極端に短い入院歴が並ぶ。

あちこちでトラブルを起こした可能性が大きい。


「お薬は何をのんでおられるのでしょうか?」

「それは分からんから、全部持ってきた」


90歳代になる母親が薬の名前を憶えていないのは仕方ない。

だが同居している息子がこうであっては困る。


オレは薬袋やくたいをみながら薬品名を1つずつ電子カルテに記録していった。


「あちらの病院ではすぐに退院されたようですが」

「母親が笑われたというから、看護師を怒鳴りつけて無理に連れて帰ったんだ」

「笑われたところを息子さんが目撃していたのでしょうか?」

「いや、母親が自分で言ってたので」

「病院のスタッフは全員マスクをしているはずですが、笑われたというのは何故分かったのですか?」

「それは、その……本人が言ってたから、そうじゃないかと」


むしろ高齢者の勘違いの可能性の方が高そうだ。


「大人の人間関係で怒鳴るってのは、あまり感心しませんね」

「ええ。私はちょっと声が大きくて気が短いもんで」

「後で誤解だと分かっても怒鳴った事は回収できないですよね」

「それはそうです」

「言い足りなかったら後で追加して怒鳴ればいいじゃないですか」

「確かにそうですね」


なるべく説教に聞こえないように説明しておこう。


「まあ、済んだことは仕方ありません」

「すみません」

「ただ、怒鳴ったりしたことはすべて電子カルテに記録されて皆が読むので、注意しておいた方がいいですよ」

「分かりました」



90歳を超えているわけだから、体中どこもかしこも悪い。

が、敢えて1つあげるなら腎不全だ。


「最優先で治すべきは腎機能です」

「本人は肋骨が痛いと言っているのですけど」

「医学的にみれば、それは後回しで、腎臓を何とかすべきです」

「こちらとしては先生の所におすがりするしかないので」


残念ながらこのテの人は最初だけ殊勝しゅしょうな事をいう。

が、すぐにトラブルを連発してくれる。


「腎臓内科の方でてもらうよう手配しますが、2つ約束してください」

「はい」

「まず、スタッフに怒鳴ったりしないこと。大きな声を出さなくても話は通じます」

「努力します」

「私どもに頼るからといって卑屈になる必要は全くありません。でも、気に入らないことがあっても怒鳴るのはやめておきましょう。患者さんと医療従事者はどちらが上でも下でもなく対等な関係です。『ここはこうして欲しい』と普通に言えばいいわけですが、できるでしょうか?」

「分かりました」

「もう1つは処方された薬の種類と名前をキチンと言えるようにしてください。何をのんでいるのか分からない、と言われたらお医者さんはガッカリします。逆に、『血圧が高いのでアムロジンをのんでいます』と言われれば、こちらも嬉しいわけですが、それはできますか?」

「できる、と思います」


どちらも120%できないだろうが、言った上でカルテに書き残しておくことが大切だ。


残念なことに人間は変わることができない。

遅かれ早かれ息子は病院スタッフとの人間関係を維持できなくなるだろう。

それが何時いつどういう形で起こるのか?


時間がある時に腎臓内科受診後の経過を電子カルテで追ってみよう。

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