第138話 クロスワードをする女

その女性は初老。

10年ほど前にオレが手術したくも膜下出血の患者だ。


当時、病院に担ぎ込まれた時は肺水腫で手術どころではなかった。

気管挿管の後に人工呼吸器管理を行い、ワンチャンスに賭けて開頭手術を行った。

手術はうまくいき、幸い自立した生活を送るまでに回復出来ている。


彼女がオレの脳外科外来を受診する時はいつも御主人と一緒だ。


くも膜下出血自体の影響か手術の影響か、軽い左片麻痺が残っている。

年を取るにつれて麻痺が徐々に強くなってきた。

左上肢をスムーズに動かすことが難しい。


「頭がボケないように、家内はいつもクロスワードをしています」


御主人がそう言った。


「でも、歩くときに左手がお留守になってバランスが悪いんですよね。通院しているリハビリでは現状維持が目標みたいです」


さらにそう付け加えた。


「なるほど左手足をうまく使えるようになればいいわけですね」

「先生、何かいい方法はありませんか?」


御主人に尋ねられて、ふと思いついた。

シリアス・ゲームだ。


一般にリハビリや勉強は辛く苦しいものとされる。

これをゲーム的に楽しんで、いつの間にか効果が出ている、というものがあれば理想的に違いない。

このようなものをシリアス・ゲームと呼び、学会まで存在している。


オレは以前、ボストンで行われたシリアス・ゲームの国際学会に出席したことがある。

展示場にはダンス・ダンス・レボリューションが設置してあって、「お前もやってみないか」と金髪のセールスマンに話しかけられた。

「これはゲームであると同時に健康にもいいんだ」と爽やか兄ちゃんは強調する。


その時はスーツにネクタイだったので遠慮したけど。

学会出席者のアメリカ人たちは恰好や上手下手うまいへたを気にせず、どんどん挑戦していた。



「左手足を使って楽しく遊べるゲームがあったらいいですね」


オレは外来診察室で夫婦に説明した。


諸外国のナーシング・ホームではニンテンドーのゲームなどを取り入れて入所者の健康維持に役立てているそうだ。

確かに Wii Sports Resort なんかはピッタリかもしれない。


真面目な話をすれば、ゲーム王国日本は残念ながらシリアス・ゲームでは諸外国に1歩も2歩も遅れをとっている。

実はオレ自身、シリアス・ゲーム開発に取り組んだことがあったが、世界には差をつけられる一方だった。


人々の役に立つと同時に夢中になれるゲームを開発できたら素晴らしいんじゃないかと思う。


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