第101話 偉い弁護士が出てきた女

その患者は昔オレが手術をした女性だ。

すでに還暦を越えている。


心房細動があるので血栓予防のためのワーファリンを処方されていた。

というのも、心臓に血栓ができると脳に流れて血管を詰まらせ、脳梗塞を起こしてしまう恐れがあるからだ。

それを予防するために抗凝固薬であるワーファリンを服用していた。


ワーファリンは素晴らしい薬だ。

値段が安く、強力な抗凝固作用がある。


問題は食べ物や他の薬との相互作用があることだ。


うっかり納豆を食べてしまったらワーファリンの効果が落ちてしまう。

そうすると心臓の中に血栓ができて脳梗塞が起こる。


逆に抗真菌薬を服用すると、ワーファリンの効果が強くなりすぎてしまう。

それによって出血を起こすことがある。


オレの患者は某病院にかかったときに抗真菌薬のゲルを処方された。

この薬は口腔内に塗り広げて使うものだ。


ゲルを塗った結果、ワーファリンが効きすぎ、消化管出血を起こしてしまった。

幸い別の病院に搬入され、この患者は一命をとりとめた。


もちろん患者は怒って某病院にクレームを入れた。

某病院の担当者はのらりくらりとした態度であった。


さらに患者が怒鳴ったらついに弁護士が出てきた。

で、某病院の担当者やナースたちに言われたそうだ。

「すごく偉い弁護士さんなので、もう心配する必要はない」と。


その騒動のさなか、患者はオレの外来を定期受診した。


「すごく偉い弁護士さんだっていわれたんだけど、先生、知ってる?」

「もちろん、有名な先生ですから」

「心配いらないって」

「いや、偉い先生が出てきたら困るでしょう」

「どうして?」


オレもうっかり混乱しそうになる。


偉い弁護士というのは、医師と弁護士のダブルライセンスを持っている井之元いのもと先生のことだ。

全く分野の異なる2つの資格を持っているのだから超優秀なのは間違いない。


しかし、相手側に優秀な弁護士がついて困るのは患者の方だ。

だからオレは患者に言った。


「向こうに偉い弁護士がついたら、うまく言いくるめられてしまいますよ」

「やっぱり?」

「ダメな弁護士と取り替えてもらいましょう」


結局、裁判にならず示談ですんだ。

たしか損害賠償と慰謝料あわせて100万円ほどだった。


今回、某病院の過失は明らかだ。

井之元先生は勝ち目のない裁判をするほど馬鹿でも悪徳でもない。

適当なところで手打ちにしたのだろう。


超優秀ではあるが、同時に超省エネでもあったわけだ。

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