第87話 神様仏様に祈る男

オレは勤務先の病院で色々な面接官を頼まれる。


初期研修医採用の、いわゆるマッチング試験。

これは医師として次世代を育てるために必要なものだ。


他に附属看護学校の入学試験。

これは一般入試、社会人入試、推薦入試と年3回もある。


事務職員、看護職員の就職試験。

色々な職種の人間が色々な角度から人物評価をした方がいい、ということで医師にも声がかかる。


そして、係長や副師長への昇任試験など、キリがない。



よくある質問として「ストレスはどのような方法で解消しているのでしょうか?」というものがある。


社会人ならともかく、高校生に何かストレスがあるのか?

人それぞれにあるんだろうな、きっと。


「走ります」

「寝ます」

「音楽を聴きます」

「本を読みます」

「カラオケで歌います」


なるほど、色々な方法があるわけだ。


「両親に話を聞いていただきます」


両親に話を聞いていただく?

それ、日本語としておかしいだろう。

大丈夫か、この人。


普段は使っていない敬語を無理に使おうとして失敗したのか?

いちいち減点していたら誰も合格しないので、スルーする。



受験生はともかく、自分ならどうストレスを解消するのか?


オレにとって代表的なストレスは2つある。

職場の人間関係と手術前のプレッシャーだ。


前者に対しては、寝る、音楽を聴く、愚痴をこぼすなどが効果的な気がする。


愚痴をこぼす相手は妻だけだ。

それ以外の人間に言っても無駄だし、場合によっては危険なこともある。

そのくらいの知恵は社会人になって身につけた。



手術前のプレッシャーは脳外科独特のものかもしれない。

以前こんなことがあった。


外来診察室の電子カルテの画像の前で若手脳外科医が頭を抱えていたのだ。

一目見て何をしているのか分かったオレは後ろから声をかけた。


「おっ、プレッシャーにやられているな」

「参りました。助けてください」


若手脳外科医は半ば真剣にオレに助けを求めた。


「どれどれ、先生にふりかかってきた試練は何かな?」

「市民病院で頚動脈ステント留置をしたんですけど、そこが感染して、こっちに紹介されてきたんですよ」


珍しいこともあるもんだ。

金属製ステントはあまり感染しないものだが、目の前の画像は紛れもなく感染を示している。


「どうするわけ、これ?」

「何ともなりませんよ」


もちろん何ともならないから、こちらに送ってきたわけだ。

でも、向こうでも何ともならないものが、こっちで何とかなるわけではない。


それから1時間、オレたちはあらゆる可能性を検討した。


感染した部分を切除してそのままにしておく方法。

抗菌薬だけで粘る方法。

患者の手や足から血管をもってきて置き換える方法。


どれも一長一短だ。

いや、一長三短という方が正しい。


結局、感染した部分を切除して人工血管で置換する方がまだマシな選択だという結論に達した。

これなら一長一短だ。


血流を確保できるという長所はあるが、細菌感染が再び起こるかもしれないという短所がある。

通常、金属製のステントに比べて高分子線維でできた人工血管の方が感染には弱い。

もし、再感染が起きたら打つ手はないし、この患者はまず助からない。

かといってこのまま抗菌薬で粘ってもおそらく救命はできないだろう。


ジリ貧よりも人工血管での置き換えを選ぶか?

それならワンチャンスある。



「こういう時の原理原則ってのがあってさあ」


オレが困ったときにすがっている原理原則を若手に伝授する。


「現在起こっている悪いことと、将来起こるかもしれない悪いことだったら、『現在』を優先しろという法則だ」

「なるほど」

「この症例の場合、現在起こっている悪いことというのは何だ?」

「ステント感染です」

「じゃあ、将来起こるかもしれない悪いことってのは?」

「再感染です」

「ということは、どうすべきかな」


オレは若手に問いかけた。


「ステントごと頚動脈を切除して人工血管に置き換えるってことですか?」

「そうだな。そして再感染が起こらないように祈る」

「祈りますか?」

「祈れ。幸い日本には八百万やおよろずの神様がいる。思いつく限りの神様仏様に祈れ!」

「分かりました」


もうこうなったら国内だけでなく外国からも神様の総動員だ。

旧教徒カソリックの妻にも頼むことにしよう。


「それでも再感染したらどうしますか?」

「再感染したらあの世に行くわけだから、わざわざ頼まなくても神様仏様が対応してくれるだろう」

「そうですよね」



で、術後に奇跡が起こった。

何と人工血管には感染が起こらなかったのだ!


患者は機嫌よく退院していった。


そして若手脳外科医は英語論文で症例報告を行った。


調べてみると、ステント感染後に人工血管で治療してうまくいったという症例が少数ながら報告されている。


世界中の脳外科医が、それぞれの信じる神様に祈った結果に違いない。


「全力で祈る」というのもストレス解消になるかもな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る