第82話 すぐにカッとなる女

 亡くなった母親はカッとなりやすい人だった。

 怒るとすぐに手が出る。

 オレが小学生の時に叩かれた数は何十回になるか分からない。


 中学校、高校と進んでからも母親とオレとの衝突はしばしば起こった。


 人がカッとなるメカニズムや、その治療法、そういったものは無いものか、とオレは医師になってから仕事の合間に調べた。

 が、本業が忙し過ぎて後回しにならざるを得なかった。


 そんな母親も年を取るにつれて体が弱り、カッとなることもなくなった。

 母親が亡くなったのは、女性の平均寿命のはるか手前だ。


 今になって思うのは、頭部外傷後高次脳機能障害だったのではないか、ということだ。

 というのもオレが幼かった時に親子でトラックにはねられたからだ。


 幸いオレは軽傷だったのですぐに退院し、しばらく親戚の家に預けられていた。

 物心つくかつかないかの頃だろうか。

 そのことは薄っすらと覚えている。


 一方、母親の方は生死の境を彷徨さまよった後、奇跡の生還を果たした。

 その後遺症か、よく頭痛を訴えていた。


 オレの推理はこうだ。


 交通事故による頭部外傷があり、しばらく母親は昏睡状態だったのだろう。

 医学的にはびまん性軸索損傷せいじくさくそんしょうというタイプの頭部外傷だと思う。

 幸い、記憶や計算にはほとんど影響はなかったが、性格が変化して怒りっぽくなったのではないか?


 その事を確認するには、事故前と事故後の性格を比較する必要がある。

 母親の事故前後の性格は父親が1番よく知っているはずだ。


 そういえば父親もよく母親におこり飛ばされていた。

 ところが父親も度重たびかさなる病気で頭がボケてしまい、今やオレの顔すら分かっていない。


 ということで、母親の怒りっぽさの原因について、確認の手段がほとんどなくなってしまった。


 手掛かりがあるとすれば年の離れた母方の従姉いとこたちくらいだろうか。


 母親が生きていれば、頭部MRI撮影で簡単に診断できたのに。

 生前には思いつきもしなかった。


 もし頭部外傷後高次脳機能障害だと分かっていたら、もう少し対処できたかもしれない。

 いや、現代医学をもってしても症状の改善は困難だ。


 できたことと言えば、母親に対してもう少し寛容に接することくらいだろうか。


 我知われしらずカッとなってしまう事に母親自身も不本意だったのではないか、と今になって思う。


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