第22話 タコ殴りをする男

脳外科を代表する疾患の1つにクモ膜下出血まくかしゅっけつがある。


突然、金属バットで殴られたような頭痛で発症する。

痛みを訴える暇もなく意識を失くすことも珍しくはない。


最善の治療をしたとしても3分の2は死亡もしくは寝たきり、あるいは車椅子。

元通りに回復するのはわずか3分の1にすぎない。

クモ膜下出血の原因は脳動脈瘤のうどうみゃくりゅうの破裂だ。

初回の破裂に比べて2回目、3回目の破裂の破壊力が凄まじい。


この破裂脳動脈瘤はれつのうどうみゃくりゅうに対する開頭治療こそ脳外科らしい手術の最たるものだ。

クモ膜下腔まくかくうに拡がる血液の中で脳動脈瘤を探し、クリップで仕留める。

手術中に再破裂させないよう、細心の注意を払わなくてはならない。


その日、救急室に搬入されたのは意識不明の80代女性。

頭部CTでヒトデ形に拡がる白い陰影、まさしくクモ膜下出血だ。


オレが手術室に行った時にはすでに若手脳外科医が顕微鏡手術マイクロの最中だった。

クモ膜下腔の血液を洗浄しつつ中大脳動脈瘤ちゅうだいのうどうみゃくりゅうにむかう。


助手はレジデント。

ギャラリー兼第2助手は脳外科志望の研修医。

手術室の80インチモニターの前には他にも関係者が集まっている。


「もうそろそろ動脈瘤に近いんじゃないかと思うんですけど」


術者に尋ねられてオレは答えた。


「親血管は確保できているのか?」

「内頚動脈を確保しています」


もし脳動脈瘤が破裂した場合、親血管を一時遮断いちじしゃだんする。

そのことによって血流を抑えるわけだ。


「内頚動脈だと遠いから視野に入ってないだろう」

「そうですね」

「中大脳動脈を確保できないかな?」

「やってみます」


内頚動脈は遥か彼方かなたで、途中に前大脳動脈が分岐している。

だからたとえ一時遮断したとしても前大脳動脈からの逆流で血流が十分に落ちないことが多い。

もう少し手前、動脈瘤の直近の中大脳動脈を確保する方が効果的だ。


「何とか中大脳動脈を確保できました」

「もう一時遮断いちじしゃだんしてしまったら」

「えっ、80歳ですよ」

「動脈硬化もあまりなさそうだろ」

「いいんですか、これ?」

「オレが許す」


術者の懸念は痛いほど分かる。

専用クリップを使って一時遮断する間、灌流領域かんりゅうりょういきの血流を落としてしまうことになる。

また、高齢者の場合は動脈の解離や閉塞など、色々な合併症も心配だ。


しかし、一時遮断なしでの動脈瘤の剥離はくりは危険すぎる。

たとえていえば防弾チョッキなしで戦場に出ていくようなものだ。


「じゃあ、かけますよ」


うまく一時遮断できた。


「よし、マウントポジションを取ったぞ。タコ殴りにしてやれ」

「何を言ってんすか!(笑)」


一時遮断で血流を落としさえすればこっちのもの。

動脈瘤の剥離も大胆にできる。


「これですかね」


術野の動脈を追っていた術者から声がかかる。

血管の輪郭にかすかな邪悪さがある。


「それじゃないか?」

「こいつですね」


ここからが剥離操作になる。

いわゆる爆弾処理だ。


吸引管きゅういんかんは何を持っている?」

「6Mです」


助手をしているレジデントから返事がある。

6は太さ、Mは長さを示す。

いい選択だ。


万一、再破裂したら噴出する血液で術野が血の海になる。

その時は助手の吸引が鍵になる。

慎重かつ大胆に血液を吸って視野を確保しなくてはならない。


うっかり正常な血管や脳を吸ってしまったらその時点で試合終了だ。

オレが手を洗って助手を交代してやるのも1つの選択かもしれない。

でも、そんなことをしていたらレジデントは永遠にレジデントのままだ。


「ネックの剥離はできたんで、そろそろクリップをかけたいんですけど」

「そうしよう。ここでかけて出血点を押さえてしまおう」

「じゃあ、10ミリのストレート」


多少ラフなクリッピングでも出血点を血流から分離することが大切だ。


「よし、うまくかかったんで、一時遮断テンポラリークリップを外します」


そういえば一時遮断の時間はどのくらいだったのだろう。


「20分くらいかな、遮断時間は?」

「10分40秒です」


すかさず外回りナースから返事があった。

オレたちの会話から必要な情報を拾っていたらしい。



「いやあ、感動の超大作映画をた気分だよ」

「ありがとうございます!」

「あの一時遮断テンポラリーが良かったな」

「あれで大胆に行くことができました」


モニターの前の研修医にはオレたちの感動が共有できていないかもしれない。


「いいか、今日の手術のビデオをコピーして何回も見て勉強しろ」


オレは研修医に声をかけた。


「ここには脳外科のすべてがある」

「はい」

「術者の怖れ、怒り、悲しみ、喜び。すべてだ」

「分かりました」


今はまだ自分の手で手術できなくてもいいから、頭で理解できるようになって欲しい。

それが脳外科での研修目標の1つだ。


「ちょっとだけネックが余っているんですけど、どうしましょう?」


術者に尋ねられた。


「80歳だし、甘目あまめのクリッピングの方がいいと思うよ」

「やっぱりそうですよね」


そしてオレは決めのセリフを吐いた。


「今日はこの辺で堪忍しておいてやろうぜ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る