カルデロン
柴田 恭太朗
カルデロン ~あるいは、眠れぬ夜の一考察~
とある秋晴れのすばらしい青空の下、昭和な住宅街の空き地でフリオが、アッと叫んで右頬をおさえた。
「どうしたの、フリオくん」
カルデロンが彼独特のタヌキ頭をかしげて、フリオの顔をのぞきこんだ。カルデロンはAIを搭載した未来型の高性能ロボットであり、ちょっとオツムが平和な小学生フリオの良き友である。ちなみにカルデロンのボディは水色に塗装されていた。
「カルデローン、むし歯がいたーい」
「だからあれほど言ったじゃないか、きちんと歯をみがかなくちゃだめだよって」
「カルデローン、何とかしてぇ」
フリオは彼の必殺技を繰りだした。得意の泣き落し戦術である。
しかし必殺技というものは、ウルトラマンの例をあげるまでもなく、己の限界を予感するに到るまでは、耐え難きを耐え、しのび難きをしのんで大切にとっておかなければならない性質のものである。
安易に繰り出される必殺技は、おのずと価値が低下する。
「だめだめ、フリオくんは、すぐ僕に頼ろうとするんだから」
「お願いだよ、カルデローン」
「しょうがないなぁ」
他愛もなく、情にほだされてしまうカルデロンである。
それにしても「情にほだされる」といった高度で微妙な感情反応を示すところを見ると、カルデロンというタヌキ型ロボットの、知覚判断モジュールの結びつきは、極めてヒトの神経系のそれに近似した方法を採用していると推測される。
「それじゃ、フリオくんにちょうどいいものを出してあげよう……
『思考分解酵素入りハミガキ粉ぉ!』
」
便利なポシェットから取りだした何の変哲もないハミガキ粉のチューブを、誇らしげにたかだかと差し上げ、カルデロンがドラ声をはり上げた。
「わーい」
とりあえず歓声をあげておく、フリオであった。
「このハミガキ粉にはね、ニューロン間の化合物のはたらきを阻害して、思考をローレベルから分解する酵素がはいっているんだよ。思考がはたらかないから、虫歯の痛みが感じられなくなるって仕組みなんだ。さぁフリオくん使ってご覧」
「それじゃまるでモルヒネじゃない、やだよそんなの」
「大丈夫。モルヒネより効果はずっと強力だから」
「何が大丈夫なんだよぉ」
「しょうがないなあ。じゃいいかい、見ててよ、僕が先に使ってみるから」
カルデロンは便利なポシェットから、歯ブラシをとりだして、思考分解酵素入りハミガキ粉をたっぷりとつけた。
「こんなもの別段どうってことは……」
歯ブラシを口にいれるやいなや、強い電流に触れたように、カルデロンは巨大な楕円の目をクワッと見ひらいて一瞬体を硬直させた。そして歯ブラシを口につっこんだまま気絶して仰向けにどっと倒れてしまった。
「カルデロォーン! 起きてよ、カルデロン!」
ちなみにフリオのボキャブラリは大変貧困である。会話の五十%近くを『カルデロン』という単語が占めるような気がするが、まあそんなことはどうでもよい。
フリオはおろおろと、倒れているカルデロンの体をゆさぶった。すると気のせいか、かすかにまぶたがピクリと動いたようだ。
「ねえ、カルデロンッてば!」
そのフリオの大声に、カルデロンが歯ブラシをくわえたまま、ふらつきながら起き上がった。
「良かったぁ。気がついたんだね、カルデローン」
「カルデロン……カルデロン?」
カルデロンは小声でブツブツつぶやきながら、しばらく自分の丸い両手をじっと見つめていたが、やがてその手を便利なポシェットにつっこんで、確信に満ちあふれたドラ声でこう叫んだ。
「
『カルデロンッ!』
」
彼がポシェットからひっぱりだしてきたのは、歯ブラシをくわえた彼自身だった。
いまや2体になったカルデロンは、そろって手をポシェットにつっこんで、くちぐちにこう叫ぶと、さらに2体のカルデロンを取りだした。
『カルデロンッ!』
「どうしたんだよ、ねえ、カルデロンなんか出してどうしようって」
『カルデロンッ!』
4体がそれぞれ1体づつ取り出して、都合8体になった。
ポシェットからカルデロンを取り出すのに要する時間は、ちょうど1秒。
つまり、カルデロンは1秒に2倍の割合で増殖しはじめたのである。まるでバクテリアだ。
「カルデローン、気を確かにもってよ」
周囲を六十四体のカルデロンに囲まれたフリオは悲鳴を上げた。しかし、思考を分解されたカルデロンの増殖は一向にとまることがなかった。
「カルデローン、重いよー」
『カルデロンッ!』
フリオの叫びを、2048体のカルデロンのユニゾンがかき消した。
「カルデロンーーっ!」
最期までボキャブラリに乏しいフリオであった。
『カルデロンッ!』
そんなフリオのあっけない最期にもカルデロンは増殖し続けた。
『カルカルカルカルカルカル』
32768体のカルデロンが発する声は、住宅街に響き渡り、こだまし、位相のずれを生んで、次第にわーーーんという定常的なノイズへと変化していった。
カルデロンがカルデロンをリカーシブ コールしはじめてから、たった15秒後のことである。
無限ループに陥ったカルデロンは、最初の空き地を中心として堆積しはじめたが、彼の丸みをおびた体型は、容易にカルデロン崩れを引き起こして、堆積の麓を外へ外へと広げていった。
東京の都市部が壊滅したのは、28秒後。
すでにカルデロンは、2億6843万5456体になっていた。
増殖のしかたはバクテリアによく似ていたが、実際バクテリアであれば、コロニーが巨大化するにつれ、養分の欠乏に代表される生存環境の悪化から、いずれ死滅数と増加数が等しくなる平衡が、もしくは滅亡がおとずれるはずである。
が、カルデロンは未来型のタヌキタイプAIロボットであって、生存環境の悪化という、彼の増殖にとってネガティブな条件ははじめから存在しなかった。
無論、堆積の一番下になったカルデロン個体も、堆積の莫大な質量に押しつぶされることはなく、1秒に一体の割合で、着実に自分を出現させ続けていった。
やがてカルデロンは無数の音源から発する、わーーんという騒音をまき散らしながら海へとこぼれ落ちていった。
最初の海外上陸地点は、韓国のどこかと伝えられるが、さだかではない。なぜなら、その1秒後には、アジア大陸の東端はカルデロンでうず高く盛り上がっていたからだ。
カルデロンの青い波は、アジア大陸を西に進み、北方においては、シベリアの白い凍土の上でカリブーの群を追い散らし、ヒマラヤ方面においては、チョモランマの上で世界一の高山を築きあげた。
海中で増殖を続けたカルデロンの体積は、もはや無視できないレベルに達し、北西ヨーロッパの低地は、カルデロン前線に蹂躙される以前に、急激に上昇した海面の下に没していた。
それもこれも、最期は一瞬のことであった。
まず、地上がカルデロンで青一色に埋めつくされ、数秒後には成層圏を飛ぶ航空機のパイロットたちが、突如出現したカルデロンの山を目前に発見し、彼らは脳裏に過去の記憶を走馬燈のようにかけ巡らせ、残りわずかな生をいつくしんだ。
ついに、たった一人の生存者を残して世界は滅亡した。
最後まで日本は世界第一の(とりわけロボットと歯ブラシの)『輸出国』であり続けたのは、なんとも皮肉な結果である。
さて、その最後の生存者だが、世界が滅亡したとき彼は成層圏外にいた。
「窓から、地球がよく見える……いみじくも俺の先祖が言った通り、どこもかしこも真っ青だ」
ガガーリン小佐の末裔は、上機嫌で無線機に語りかけた。
「地上ステーション聞いてるかい? 地球は真っ青だ、"地球は青かった"だよ」
彼は聞くもののいない地球に向けて、虚しく電波を送り続けた。
『青い地球』の膨張と、その急激な引力の変化にも気づかずに。
おしまい
カルデロン 柴田 恭太朗 @sofia_2020
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