第11話 ひとり

 もしもの時の連絡用に銀一郎からスマホを渡されていた。それがデフォルト設定の着信音を鳴らしている。

 画面に並ぶ電話番号は、銀一郎のものだった。


「あの銀髪の綺麗な子から? 出てもいいよ」

「いや……」


 駿は手に持ったスマホの画面を見ながら言う。轟喜のうつむきがちな顔の、レンズの奥の様子は窺い知れない。

 駿は唯一の連絡手段を躊躇無く放った。走行中の軽トラから捨てられたスマホは、地面にぶつかり、衝撃で部品が弾けて壊れた。


「いいのかい、兄さん」

「ああ」


 二人は、荷台の上で向かい合い、対峙していた。

 駿の手にはペットボトルの水を剣としたアヴリーバウ。相対する轟喜の手には、スタンガンが握られている。


「…………三日櫛か?」

「まぁね」


 駿の問いに、轟喜はあっけらかんと答えた。

 轟喜は先ほどこう答えた。

 「実はね、兄さんを捕まえに来たんだ」と。

 それを企む人間は、今のところ一人しか知らない。


「あの人に頼まれてね。昔、世話になったことあったから」

「世話? あいつが? そんなタマか?」

「まぁ、身勝手が過ぎて恨み買いまくってる人だけど、良いとこもあるんだよ」

「アレで悪くないんだったら、この世から法律は消えるべきだな」

「たはーっ、手厳しーっ」


 轟喜が額に手を当てて、眉毛を八の字にして笑った。


「まぁ、三日櫛さんは最悪死体でも良いって言ってたけどね。オレ個人としては、それはポリシーに反するから。こうして、ちゃんと正直に話してるワケ」

「……それで? 馬鹿正直について行くとでも思ってるのか? 応急処置の手伝いなんかせずに、そのまま制圧すれば良かったものを」

「たはは……そう言われると何も言い返せないね。でも、何だろうな。兄さんと話をしたかったから」

「話……?」


 初対面の相手に、一体何を話すというのか。駿が訝しんでいると、轟喜がおもむろに語り出した。


「三日櫛さんは、魔王さんの依頼のもと兄さんを探していた」

「なに……!?」


 驚愕する駿を差し置くように、轟喜はさらに続けた。


「もともと、魔王さんは十年ほど前に突然現れ、『老師』という二つ名で『編纂人』たちへ異世界の情報や遺物の解析を手伝って、人脈を広げていった人だ」

「…………十年前?」

「そう……兄さんが異世界に行った後、入れ違うように彼はこの世界へ来たらしい。それから、彼は兄さんが異世界へ跳んだ事件を知り、兄さんが帰還する時を待っていた。兄さんと戦った際におおよその年齢は検討がついていたらしいから、ここ一年ほどであらゆる手段を使って、手がかりを探していたんだ」

「その手段の中に三日櫛も?」


 轟喜がうなずく。


「貴重な異世界からの住民に様々な資料を約束された三日櫛さんはすぐに飛び乗った」

「……何となく読めてきたぞ。三日櫛の野郎、まさか……」


 駿の気づきに、轟喜が困ったような笑みを浮かべてため息をついた。


「そ、あの人、半グレと争ってた兄さんの情報を得るや否や、魔王さんを裏切って兄さんを独り占めしようとしたってワケ」

「………………」


 駿は目眩がするような感覚がして、頭を抱えた。強欲で身勝手な男だとは思っていたが、ここまで来るといっそ清々しい。


「通りで、ずいぶんと手際が良かったわけだ」

「魔王さんは緊急の対応に追われた末、保管人に対象人物の保管という形で兄さんの護衛を頼んだ……これが、今回の騒動の大枠だよ」


 つまり、駿が今夜出くわしている厄介ごとの全てが三日櫛の愚挙によって起こされた事であると言って過言ではない。あの時、逃さずトドメを刺すべきだったと駿は割と本気で後悔していた。


「さて……これがオレが話せる全部。じゃあ、兄さん、今度はこっちからいいかな」

「……何をだ」

「兄さんは、何を目的にいま生きてる?」

「はぁ?」


 何を聞いてくるのかと思えば、想像以上に抽象的な話に駿はポカンと口を開けた。


「なんだそりゃ……道徳の授業でもやりたいのか?」

「兄さんが異世界あっちに行くまでの経緯、異世界での活躍。失礼だけど、魔王さんの資料で見させてもらったよ」

「!」

「辛い事ばっかりだったんだろうね。多分、それは異世界あっちでも変わらなかった。その目を見て確信したよ。オレも昔、そんな目してた」

「……知った風な口を」


「自分の周りが全て、何かを隠し持ってるんじゃないかって疑ってる目だ。一人で生きていくしかないって鋭くなっちまった目だ」


 轟喜の口調は、先ほどの脳天気な大声とはまるで違う、まるで、迷える人々を説く僧侶のように穏やかなものだった。


「兄さんが魔王さんに会おうとする理由は?」

「……奴は、異世界へ跳ぶ方法を見つけたと。その為には、僕の協力が不可欠だと」

「あっちでやり残した事でもあったのかい? 恋人や家族を残して来たとか」

「そんなんじゃない。一人で自由に、好き勝手に暮らしたいだけだ」

「それって、絶対に異世界あっちでないとダメな事? 兄さんの力は唯一無二だ。何処でだってやっていけるだろうに。そもそも、魔王さんがウソを言ってない保証は? おびき寄せる為にわざと言ってるのかもしれない」

「……魔王は……ラグラムは、常に己ではなく、配下のドラゴンたちを第一に考えている男だった。つまらん我執で動きはしない」


 ラグラム――彼の意思は常に愛するドラゴン達の安寧の為に向けられていた。おおよそ、欲望と呼べるものは内面にはなく、故に、ドラゴン達を差し置いて意趣返しを企むなど考えられなかった。


「だとしても、兄さんはそこまでして異世界にまた行きたい? 仮にも魔王さんを倒す勇者なんだろう? 魔王の脅威までも元に戻すのかい?」

「知ったこっちゃない……。また倒せばいいだけだ」

「本当に、そう思ってる?」

「……どういう意味だ」


 轟喜の問いの理解ができず、聞き返す。

 

「兄さんはいい人だ。三日櫛さんに人質に取られた保管人くんを助けた。放っておいて逃げても良かったのにね」

「それは、たまたまで――」

「勇者として、たった一人で魔王と戦いに行ったのもたまたま?」

「――――」

「言ってる事とやってる事が全然違う。そうやって、自分への評価を否定するのが証拠さ。一人好き勝手にしたいなんて言うくせに、常に何かを背負おうとしている」

「だから、それは僕の自由――」

「出来ない事だから、いつも口に出して言い聞かせるんだ」


 静かな轟喜の声が、鼓膜の内側で何度も反響しているような気がした。


「自由気ままな暮らしを望むなら、最初から勇者なんて役目選ぶわけない」

「……………………」

「伝え聞く限りでも、異世界あっちの『勇者』ってのは重い肩書きだ。責務を果たした後にだってつきまとうだろうね」

「黙れ……」


 駿の口から獣のような、喉奥から絞り出すような声が漏れる。

  

「……わかった。喋りすぎたよ、ごめん。でも、これだけは言いたい」

「何だ」

「兄さんの意思は、兄さんを追い詰める為にあるんじゃないよ」


 その言葉を聞いた駿は、張り詰めていた筋肉が一瞬だけ弛緩するのを感じた。奥歯が数回、小さくガチガチと鳴った。

 しばらく、二人は何も言わなかった。夜風だけがその間を通り抜ける。


「……どういうつもりだ。お前、捕まえたいのか諭したいのか、どっちなんだ?」

「たはは、本当にね。正直なところ、迷ってるよ。兄さんの、そのしかめっ面を解きほぐしてあげたいけど――」

 

 轟喜は一回大きく深呼吸する。

 そして、ゆっくりとスタンガンを駿へと向けた。


「厄介なことに、義理立てってやつもある」


 駿を見据える目は、また先ほどとは違った真剣さを秘めていた。

 轟喜という男は矛盾していて、同時に真っ直ぐだった。

 自己愛の権化とも言える三日櫛を「良いところがある」とまで言い、その三日櫛の命令で動きながら、駿を不意打ちするどころか気遣うような素振りを見せる。

 

 銀一郎に感じていた苛立ちが、また駿の心に湧き上がった。

 それを振り払うように、自分に言い聞かせるように、駿は言う。


「……どう言われようが、僕は僕だけだ。それ以外にはないんだ」


 横目で周りの風景を観察する。案内標識が目に入った。

 機が熟した事を感じ取り、駿は轟喜に告げる。


「一応、先に言っておくぞ。その岩のしめ縄なり何なりにしっかり捕まってろ」

「え――」


 軽トラが走っている方向は、奇しくも咲道が指定した場所と一致していた。目的地が近い事を悟ると、駿は行動に出る。

 いや、出ていた。


「……? ?」


 轟喜は何か違和感を覚えた。反射的にアヴリーバウを見やる。

 水剣の先端からいつの間にか水が垂れ、荷台を這うように流れている。それは荷台から端を乗り越え、後輪に向かっていた。


「軽トラって確か後輪駆動だったよな?」

「なっ、まさか!」


 轟喜は咄嗟に軽トラの進行方向に振り向く。車体は鋭いカーブに差し掛かろうとしていた。

 轟喜の軽トラは自身の白具で動いている。運転席に人はおらず、白具による自動操縦で動いていた。

 深夜帯という事もあり、早めのスピードで動いていた軽トラは、カーブ手前で強めにブレーキを作動させる。


「まずい! 滑らせる気か!!」


 突如、軽トラは制動が効かなくなり、車体が横滑りしだした。

 駿は後輪にアヴリーバウで操る水を纏わせ、タイヤと地面の摩擦をほぼ無くしていた。いわゆる、ハイドロプレーニング現象と呼ばれるものである。

 駿は機を見計らうと、荷台から飛び出し、歩道脇の茂みへと受け身を取って着地した。 


「う、ウソだろ!?」


 轟喜は駿の言葉を思い出し、咄嗟に要石のしめ縄へとしがみつく。瞬間、軽トラに衝撃が走り、轟喜の身体が大きく揺れたが、何とか投げ出されずには済んだ。

 滑った軽トラはガードレールにぶつかり、車体の前面は見るも無惨な状態になっていた。


 轟喜はすぐさま駿の姿を探すも、歩道から林へと消えたらしく、既に捉える事はできなかった。

 諦めるしかないと悟り、大の字になって荷台に仰向けに寝転がった。火照った身体を冷たい夜風が撫でていく。


「あ~あ、どう言い訳したもんかなぁ……。ま、三日櫛さん倒せる相手なんだから、わかりきってたけど」


 独りごちると、今度は夜空へと向けるように、小さく呟いた。

 

「何やってんだか、オレ……」

 

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