第10話 馬鹿

 駿は荷台の上で仰向けになっていた。年期が入った感じの軽トラで、常に荷台が微振動しており、それが傷口に響いてズキズキと痛む。

 

「ぐっ……」

「兄さん大丈夫かい? ナイフ刺されてんだなぁ……あ~隠して! 見たくない見たくない!!」


 丸メガネの男は両手を突き出し、顔を背ける。

 走る軽トラの荷台の上では、深夜の冷えた空気が肌に突き刺さってかなわない。そんな中、駿を助けたこの男はTシャツにジーンズとラフな格好だった。


「誰だ、お前……」

「おっす! オレ、轟喜とどろき 涼真りょうまってゆーんだ。兄さん助けに来たんだけど……それ、手当てどうしようかね」

「このトラック……給油口どこだ?」

「え? なんて?」

「給油口どこだって訊いてんだ……」

「自己紹介する時に給油口訊くのって、お作法か何か?」

「いいから教えろ!」

 

 駿の怒鳴りにビクッと轟喜は笑顔を引きつらせた。


「み、右後輪のすぐ後ろ……だったと思う。いや、ガソリンスタンド行くといつもドッチ側が給油口だったかなぁ~ってわかんなくなっちゃうんだよな~。やっぱりガソスタはセルフよりも店員さんがいた方が」

「黙れ」

「はい、ごめんなさい。でも、これだけは言いたい。最近お店の無人化って結構流行ってるけど、慣れてる人はともかく、知らないと全然買い物なんて出来ないわけじゃん? 特にお年寄りとか機械の操作なんててんでダメだから、結局操作方法教える為に人員が」

「…………」

「はい」


 無言の圧力とガン飛ばしに轟喜はあっさり屈した。

 駿は右後輪近くに移動し、手を伸ばして荷台の下を探る。蓋と思わしき感触があって、それを回した。外した蓋には鍵穴がついていたが、幸い鍵はかけてなかったららしい。

 今度は、アヴリーバウを取り出し、それを開いた給油口にそっと当てた。


「に、兄さん? なにしてんの」


 相手の意図がわかりかねている轟喜はおそるおそる質問した。

 駿はアヴリーバウを給油口から離して、轟喜の疑問に応えて見せた。


「これが要る」


 アヴリーバウの柄の先には、ガソリンが刃状になって剣を成していた。軽トラのガソリンを抜き取るのが目的だったという事だ。


「でも、それで何すんのよ?」

「こうする」


 駿はポケットからコンビニで買ったライターを出し、火をつけた。

 その火をアヴリーバウに近づけると、当然のようにガソリンに引火して、オレンジ色の液体は一気に燃え広がった。


「え!? いや、車の上でそれはちょっと!」


 轟喜の制止を気にも留めず、駿は脇腹のナイフを引き抜く。抑えを失った傷口から鮮血があふれるが、駿は患部にアヴリーバウの刀身を焼きごてよろしく押し当てた。


「ぐっ……ううっ!」


 肉が焼ける音と、焦げた匂い。そして、火傷による激痛を歯を食いしばって耐えた。


「えぇ~っ! そのやり方何時代!?」


 傷口を熱して止血する、焼灼法と呼ばれる方法だ。雑ではあるし、火傷の代償はあるが、とりあえず失血は避けられる。

 止血を終え、アヴリーバウの刀身を解除し、道路にガソリンを捨てた。


「……で? もう一度訊くが、お前は何者だ?」

「え~? もっかい聞きたいのォ……? いいよぉ、名前は轟喜 涼真! 漢字は車が三つに喜ぶ。だからアダ名は「くみっきー」っていって」

「馬鹿だったんだなお前、どうしようか馬鹿この馬鹿」

「そんな言われる事ある?」


 力なく轟喜は笑う。そして、何かを考えるようにぽりぽりと頬を掻いた。


「ん~なんて言えばいいかな……んーと」

「……どうした?」


 考えあぐねている様子の轟喜に、駿は問いかけた。

 丸メガネの奥の目を閉じ、腕を組んで「うーん」と唸っていたが、意を決したように「よし!」と言うと、轟喜は駿に近づいて、言った。


「実はさ」



 ◆



「もう、殺すわ」

 

 死刑を宣告した猫背は、銃殺刑の如くメジャーを銀一郎に向けた。

 六面城は猫背の側まで引き寄せられ、武器を失った銀一郎に抵抗する手段はない。

 まさに、手詰まりだった。

 しかし


「ふふっ、ははは」


 しかし、当の本人はそれをまるで意に介さない様子で、朗らかに笑う。


「は? なんすか。ガチで頭やられちゃった?」

「いや……別に、なんか可笑しくってさ。殺すって、そんな自信満々に言うから」

「自信じゃねーよ、事実っすよ。これからあんたを壁なり駐車場の自動車なりに『押して』『潰す』」

「俺の六面城を奪ったから? 何もわかってないね」

「むつ……? ロッカーに名前つけてんの? キモ」

「……そのキモいのにやられるんだよ」


 銀一郎の語気が強くなる。


「どういう……」


 銀一郎の気勢に猫背は気圧され始めた。顔には当惑の色が浮かぶ。何かを見落としているのかという疑惑が鎌首をもたげていた。

 それを振り払うように言う


「あんた……そうやって惑わせようって作戦っス」

「今だ! 出てこい!!」


 バン! と、すぐ隣で何かが開く音が猫背の耳を叩いた。


「なっ!」


 反射的に猫背は六面城の方を向く。


「まさか、誰か中に――!」


 開いた六面城へとメジャーを構え――


「ぃ?」


 そして、がらんどうの中身を見て、動きがフリーズした。

 理解が追いつかず、数瞬の思考停止の後、敵の心算に気がつく。


「やべ――!」


 彼がメジャーの性能を隠していたように、他方もまた、自らの白具の性能を秘めていた。銀一郎が頭の中で命じれば、六面城はひとりでに開閉する。三日櫛の戦いでも、爆弾写真を処理する為に利用していた機能だ。

 心理的に揺さぶりをかけ、六面城の扉をあけて、あたかも不意打ちを狙われたように錯覚させる――。

 猫背はすぐさま銀一郎に向き直るが、既に遅かった。

 

「その名前は! 俺がつけたんだっつの!!」


 銀一郎の咆哮と共に、猫背の頬に拳が突き刺さった。身体が宙に浮き、後ろから倒れようとする。

 咄嗟に片手で受け身を取り転倒を防いだが、すぐ眼前には銀一郎が迫っていた。


「ううっ! くそっ!」


 苦し紛れに猫背はメジャーで銀一郎の胴体を狙い、発射した。

 それを読んでいたと言わんばかりに、銀一郎は避け、同時に六面城を手に掴み奪還する。

 そのまま、六面城を振りかぶり、尻餅をついている敵めがけて槌の如く振り下ろそうとした。


「チッ! でも!」


 標的から外れたメジャーは、斜め上に向けて発射したお陰で先端は地上から離れた場所に伸びていた。このメジャーの利点は、攻撃と回避がセットになっている所である。

 たとえ、メジャーが避けられて隙が出来てしまったとしても、先端側に移動すれば、その隙を補える。

 六面城が顔面に当たる直前、猫背の姿が掻き消えた。

 目盛りの先端側、空中に座った状態で現れた猫背は、数メートル下の地面に自由落下していく。

 地面に降りたら即座に距離を取って仕切り直す

 そのつもりだった――。


「同じ手使ってんなよ馬鹿ァ!!」


 銀一郎は振り下ろしていた六面城を勢いのまま、身を捻り、後方――猫背が現れた方に向けて、振り子の要領で、地面に滑らせるようにして横倒しで投げた。

 六面城が摩擦でアスファルトを削る音を響かせながら、猫背の落下地点へと滑っていく。 

「な、なんすか!?」


 地面を走り迫る六面城を見て、猫背が困惑する。

 六面城は扉側を上部にして滑っていた。そして、落下する男は尻を下にした体勢だった。


「開け!」


 保管人が、自らの白具に命じる。六面城は主に従い、再び『城門』を開いた。


「しまっ!!」


 猫背が叫喚した時には遅かった。

 六面城が落下地点に入ると同時に、落ちてきた猫背が開いた六面城の中に嵌まる。


「閉じろ!!」


 猫背を中に収めた六面城は、その門を閉じ、牢獄と化した。


「うわぁぁぁっ! なんだこのロッカーッ!! 暗い! 狭い! なんかあったかい!?」


 六面城の中から悲鳴に近い叫びが反響する。貴重品の収納と保管を本来の目的とした六面城は、銀一郎の意思でなければ開く事はない。当然、内部から破壊する事も不可能だ。


「さっきキモいとか言ってたな!? 名前! 三日悩んでつけたんだぞ、習字の授業で書くぐらい気に入ってんだ!!」


 凄みながら、銀一郎は六面城の扉をガンガンと踏んづける。

 すっかり意気消沈した猫背は恐慌の声を上げる。


「ひぃぃぃっ! すんませんすんません!」

「三日櫛か!? あいつに依頼されて来たんだな!」

「みかぐし!? なんすかそれ、銘菓か何か!?」


 銀一郎の足がピタリと止まった。

 

「は? え? ……マジで知らないの」

「ふ、復讐代行人なんす俺! ホームセンターで偶然見つけたメジャーが、なんかこんな感じのやつだったから、これで金稼げるなって思って! んで、虎牢団って半グレ集団から、あんたらに仲間を三人殺られたから復讐してくれって!」

「半グレ……!?」


 昨晩のチンピラ達が脳裏をよぎる。二人を逃がした後、三日櫛によって爆殺されたが、彼らがそんな事を知る由もない。駿と銀一郎が殺したと誤解されているようだった。


「じゃあ、俺らを見つけたのは……」

「メンバー全員、あんたらを探してんだ。報告があったら、俺が直接やりに行くって手はずで……」

 

 銀一郎から血の気が引いていく。この男こそが三日櫛の差し向けた刺客だったと思っていた。

 なら、三日櫛の刺客は誰か。残すところは、一つしかない。


「まさか――!」


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