第9話 勇者連れ去り事案
保護するべき男に突き立てられたナイフを見たと同時に、保管人は猫背の男に向かって殴りかかっていた。
「てめぇぇぇどういうつもりぁぁぁ!!」
「ああ……あんたはどうでもいいんで」
スッ、と猫背は手に持った何かを銀一郎に差し向けた。
「!?」
銀一郎と駿はそれを見て、瞬時に理解した。猫背が持っていたのは、測量機器――メジャーだった。コンベックスと呼ばれる巻き尺の一種だ。目盛りの部分が薄い金属で出来ており、主に工作や建築などに使用されるタイプである。
この状況で、そんな場違いなものを出す人種など、一つしかない。
「白具使い――――!!」
襲撃者がメジャー側面のスイッチを押した。
すると、目盛りのテープが、まるで獲物に一直線に襲いかかる蛇のように、銀一郎めがけて飛び出した。
瞬く間の出来事に虚を突かれた銀一郎は避けきれず、目盛り先端の金属爪に胴体が触れる。
「しまっ!」
「それじゃ」
すると、銀一郎の目に映る猫背の姿が、みるみる内に小さくなっていった。
「はっ!?」
理解不能の現象に脳の処理が追いつかなかったが、男の周囲を、そして自分に向かって伸びるメジャーを見てすぐに把握した。
男が小さくなっていたのではない。銀一郎自身が、男から離れていたのだ。自分の身体に触れているメジャーが銀一郎を押し出したと考えるべきだろう。
(けど、何だ? 全然押されたような感覚がなかった)
普通、何かしらのモノに押しのけられた場合、必ず身体に抵抗感を覚えるはずである。しかし、このメジャーはそういった感覚を一切与えず、まるでスライドしたかのように銀一郎を移動させていた。
「……押し出したんじゃない。移動させたんだ」
「え、すご。もうバレてる」
低空飛行な猫背の口調に、僅かながら驚嘆が混じっていた。そしてスイッチを押し、メジャーを元に戻す。目盛りが収まる、パチンという小気味よい音が鳴った。
「メジャーの先端に触れたモノを目盛りの距離通りに『移動』させるってトコだろ。下らな。すぐぶっ飛ばしてやる」
銀一郎はちらと片膝をついて苦悶の表情を浮かべる駿を見た。
どんな状況でも頑なに一人でいる事を選ぼうとする彼を、それでも銀一郎は見殺しにする選択肢は初めからなかった。
「言ったそばから……そんなんで死んでたら世話ないって!」
依頼されたものを守る。それが物であれ人であれ、必ず成し遂げる。
双間の名を継いだ自分が成すべき務めだった。
「ぐううっ!」
敵が銀一郎に気を取られている隙に、駿は痛覚を抑え、駆け出し、歩道の防護柵を乗り越えて、反対側に逃げようとする。
「マジすか、そんな動ける? フツー」
手負いとは思えない俊敏さに猫背は目を見張りながらも、すぐさま、メジャーを駿の方に向け、目盛りを射出した。
「何を――」
逃げる相手にメジャーを放っても遁走を手助けするだけだ。猫背の意図がわからなかったが、銀一郎の疑問はすぐ氷解した。
駿の背に目盛りの先端が触れる。同時に、その白具の使い手は、もう一度メジャーのスイッチを押した。
パチン、と勢いよくメジャーが巻き戻る音が響いたと同時に
「うおっ!?」
駿が防護柵に下半身をぶつけ、前につんのめった。だが、それは反対側の歩道の柵ではない。先ほど、駿が乗り越えた柵だった。
駿が後ろに目を向けると、すぐ側に猫背が立っていた。
「押すだけじゃなくて引くのも出来るのかよ……!」
目盛りの先端に触れたモノを目盛りの長さが許す限りの距離まで瞬時に移すといった所か。気だるそうな見た目とは裏腹に、一筋縄ではいかないようだった。
逃走は不可能と判断した駿は、すぐさまアヴリーバウを構えようとズボンの後ろに手を回そうとする。
「はいダメ~」
猫背は駿に刺さったままのナイフの柄を蹴り上げた。
「ぐっ、ああっ!!」
刃に肉を抉られ、激痛が駿の全身から力を奪う。
崩れ落ちる駿の身体が上半身から柵を乗り越え、車道側に転がり落ちた。
「クソッ! やめろォォ!!」
銀一郎は六面城の軟体状態を解除する。弓袋の口から出て、端から徐々にロッカー状に戻った六面城をキャッチし、担いで突撃しようとした。
「ゲッ、やば」
ギョッとした猫背はターゲットを駿から再び銀一郎に変更する。
(用は当たらなきゃいいんだろ!)
銀一郎はメジャーを注視した。射出の瞬間をしっかり捉えれば、避ける事は不可能ではない。
スイッチが押され、目盛りが放たれる。それを見切り、銀一郎は横に回避した。
「よし!」
「よくね~です」
パチンと、音が鳴ったと思うと、真横から気だるそうな声。一瞬前に銀一郎がいた位置からだった。
猫背が音もなく、刹那に銀一郎へ肉薄していた。
「がっ!!」
猫背の回し蹴りが銀一郎の背を容赦なく叩いた。体制を崩し、前のめりに倒れる。
「しくった――!」
メジャーの先端に合わせて移動させるだけではない。使い手ごとメジャーを先端側に巻き戻す事も出来る。考えてみれば当然だった。最初、猫背が二人の間に突然現れた時も、今と同じ手を使ったのだ。
「ほっ、ほっ、ほっ、よっと」
猫背は銀一郎から数メートルほどステップを踏みながら後ずさり、今度は六面城に向けて目盛りを伸ばした。先端が触れた六面城は瞬間、尺が巻き戻る音と同時に猫背の側まで引き寄せられる。
「ロッカーで人殴ろうとか頭どうかしてるっスよ。これ、預かりま~す」
コンコンとノックするように猫背は指で六面城を叩いた。
完全に武器が奪われた形になる。
「くっ……そっ……」
「あんた、邪魔っすねぇ……」
コンビニから誰かが騒ぐ声が聞こえてきた。外の異常を客か店員が察知したらしい。
その様子を見て、猫背がチッと舌打ちをする。
まだ深夜という事もあって、人通りはほぼ無いが、戦いを長引かせて野次馬を増やす事は避けたいのだろう。
メジャーが、上体を起こした銀一郎に向けられた。
「まぁ、いっか。殺っちゃって」
猫背はボサボサの頭を掻き、まるで近所に出かけるかのような軽さで、殺意を口にした。
(どうする……どうする!?)
銀一郎が脳の回路をフル稼働させる。絶体絶命ながら、その目に諦めの色は見えなかった。むしろ、闘志が湧き――
「おーーーい、そこの兄さーーーーーん!!」
底抜けに明るい大声があたり一帯に響き渡った。
三人は思わず、音源の方を向いた。
軽トラが車道を走り三人へと近づいてきていた。その荷台に立った丸メガネをかけた男が、満面の笑みを浮かべて大きく両腕を振っている。
おかしなことに、その軽トラの運転席の屋根には、そこから少しはみ出る程度の大きさの岩が乗っかっていた。
岩の周囲にしめ縄が巻きつけてある。まるで神社のご神体だった。
「は? あいつ誰スか」
「知るか馬鹿! てめーの仲間じゃないのかよ!」
「いやあんなん知らねぇっスけど……」
「えぇ……!?」
思わぬ乱入者にすっかり気勢を削がれた混乱している二人をよそに、軽トラは甲高いブレーキ音を上げて、車道の真ん中まで這いつくばって移動していた駿の横に止まった。
「な……んだ、お前……は」
「兄さん、危険信号だねぇ。乗せてってあげるよ」
丸メガネは荷台から飛び降りると、「ちょっと失礼」と言って、駿の身体を起こし、背中側に回って、脇の下に手を入れ、背中から抱きかかえる形になって運び出した。
それを見て、猫背が目を剥く。
「おい、何してんすか。ざけんなよ」
「え? そっちの兄さんも乗りたかった? いやぁーごめんねもう定員オーバー!!」
「うぜえ」
獲物を横取りされそうになった猫背は、丸メガネの男に向けて躊躇なく『発砲』した。
「させっか!」
すかさず、銀一郎は立ち上がってメジャーの目盛りを横からはたいた。白具とはいえ、薄い金属で出来たそれはあっさりと弾かれ、目標にとまるで違う方向に曲がった。
「は? おい、マジ」
「んん? あれ、もしかして白具使い? すげぇ!! 助かったよ銀髪少年!!!」
丸メガネはやたら大声で感謝の言葉を告げると、荷台に上がり、駿を寝かせる。
「ハイヨーー!」
丸メガネが掛け声をかけると、軽トラは急発進して、銀一郎と猫背を残してその場を去っていった。
「あー、クソ。これ良かったのかな……」
「はぁ~?? いや、これ。えぇ~~~ダルッ……」
勇者が拉致された。
丸メガネの正体はわからないが、ひとまず駿を猫背から遠ざける事はできた。
少なくとも、丸メガネの目的が殺害ならば、あのまま駿を轢けばいいだけの話だ。目の前の男に手渡すよりかはマシだと銀一郎は判断した。
銀一郎は猫背を見やると、その表情は今までとは打って変わって、怒髪天を衝いたと言わんばかりだった。
銀一郎は、男の怒気を孕んだ視線を受け止める。
「ぜってぇ殺すわ」
ボソリと、しかし底冷えするうような声音が、はっきりと聞こえた。
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