第5話 類焼
彼と奏絵の『特別授業』の件はわたしを狂おしいほどもやもやさせたが、それでもわたしはぐっと堪えて次のチャンスをひたすら待った。
ようやく彼の足を祖母の店に向けさせられたのは、印刷室の話を聞かされてから四日後のことだった。だが、薄まりかけた彼の関心をもう一度こちらに引きつけようという私の目論見は、思わぬ形で砕かれることになったのだった。
前回と同じパンケーキセットを運んできた祖母に対して彼がいきなり、「あの、唐突ですが『ドミナント』ってお店知ってますか?」と尋ねたのだ。
「ごめんなさい、聞いたことないけど……どんなお店?」
「レストランです。ここと同じくらい古いレコードがあって、楽器も並んでいるんです」
珍しく興奮気味に話す彼に、祖母は「素敵、行ってみたいわ。……ご自分で見つけたの?」と目を細めながら聞いた。
「ええ、先……知り合いの方に教えてもらったんです。今度、その人の知り合いで昔、ロックバンドをやっていた方が来られるんで会ってみたいなって」
彼がバンドの名を口にすると、祖母は「まあ」と目を丸くした。
「そのバンドなら知ってるわ。活動期間は短かったけど私、ファンだったの」
祖母と彼とのやり取りを聞いているうち、わたしのもやもやはピークに達しそうになっていた。知り合いって誰?今度っていつ?
「もし写真か動画を撮らせて貰えたら、持ってきてお見せします。でもその人がお店に来るのは演奏のためじゃなく、僕の知り合いと数学の話をするためなんです」
「数学の話?」
「ええ。その方、バンド活動からはずっと前に離れていて、今は数学者になってるんです。……将来、僕が留学した時に力になってくれるかもって知り合いの人から紹介されて……」
――知り合いの人?……知り合いの人って誰?……いい加減、ぼかすのは止めて!
わたしが叫びだしそうになった時、祖母が「……お話の続きはまたあとでゆっくり聞かせて頂くとして、温かいうちにパンケーキを召し上がって」とお茶の時間に戻るようやんわりと促した。
パンケーキとコーヒーを口にした彼は「やっぱり美味いや」と満足げだったが、わたしの胸中は焦りと疑惑で食べ物の味もわからなくなるほどだった。
※
それからしばらく、わたしは彼をお店に誘うのを控えるようになった。
うっかり誘って、留学に関する後日談などを披露されるのが怖かったのだ。
彼は相変わらず放課後、奏絵と印刷室で高等数学を解く『特別補講』を続けているようだったが、わたしはやめろと言えるような立場ではなく、いたずらにもやもやする日々を重ねる以外になかった。
正直に言えば、彼に直接「あなたに『ドミナント』っていうお店を教えてくれた人って、誰?」と問い質したかったし、「まさか留学なんてしないよね?」と問い詰めてみたくもあった。
そのいずれもできぬまま二週間と言う時間が経った理由はひとえに、下手に問い詰めて彼の口から「本当は君といるより、先生と問題を解いている時の方が楽しいんだ」と告白されることが怖かったからだ。
そんな我慢もいよいよ限界に近づいたある日、わたしを奈落の底に付き落とすトピックが同じクラスの子からもたらされたのだった。
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