第4話 炎上


 彼との接点ができたことで安堵していたわたしに不穏な空気を運んできたのは、一人の女性教師だった。


「小宮先生のお父様がご病気になられたということで急遽、担任の代わりを務めることになりました樋口奏絵ひぐちかなえです」


 黒髪と切れ長の目が印象的なその女性は、わたしたちに一礼すると薄い唇の両端をきゅっと持ち上げた。


 ふと胸騒ぎを覚えて彼の方を見たわたしは、退屈そうな表情の中にじっと新しい女性教師を見つめる眼差しを見つけ全身が熱くなるのを感じた。


 ――まさか……ね。


 奏絵が担任としてやってきてから一週間ほど過ぎた頃、わたしの嫌な予感は現実の物となった。わたしが思い切って彼を再び祖母の店に誘ったところ、思いがけぬ答えが返ってきたのだった。


「ごめん、今日はちょっと……」


「あ、用事があるんだ」


「補講みたいな奴がね。三十分くらいだけど」


 彼がいまひとつはっきりしない説明を口にした、その時だった。廊下から顔を覗かせた奏絵が「塚本君、印刷室で待ってるわよ」とあの得体の知れない笑みと共に言ったのだった。


「印刷室?あんな狭い部屋で何かあるの?」


 わたしは思わず彼に尋ねていた。印刷室は一階の奥にある部屋で、印刷機とテーブルだけで満杯になるほど小さな場所だった。


「うん、高等数学の問題を解く練習をするんだ」


「高等数学?」


「先生の大学時代の友達が数学者で、僕が数式に興味があるって言ったら「じゃあ問題を送ってもらうわね」って言ってわざわざ取り寄せてくれたんだ」


 わたしはぎょっとした。それは奏絵がわたしたちの教室に来た日よりさらに激しい胸のざわつきだった。


「放課後に先生と二人で高等数学の問題を解くわけ?受験にも関係ないのに?」


 わたしが問い質すと、彼は怪訝そうな顔を見せつつ「先生に言われたんだ。もし数学に関する飛びぬけたセンスがあるなら、向こうの大学に進むのもいいかもね」って」と答えた。


「向こうって……外国の事?」


 わたしは頭がくらくらするのを覚えた。せっかく彼の好きな物を共有できそうなところなのに、得体の知れない女にどこかへ連れ去られてしまうなんて。


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