第3話 燃焼
「へえ、素敵なお店だね」
住宅地に埋もれるように建つ小さな店に足を踏みいれた彼は、いつもより少し興奮した口調で言った。
「おや円花ちゃん、学校の帰り?お母さんには言ってきたの?」
メニューを手にカウンターの向こうからやってきたのは、わたしの祖母だった。この店は、祖母が自宅を改造して開いた俗に言う『古民家カフェ』なのだ。
「うん……まあ一応」
わたしは咄嗟に嘘をついた。大事な作戦を決行中のわたしにとって、小さな嘘など罪のうちに入らない。彼はわたしの勧めに従ってパンケーキセットを注文すると、ディスプレイ代わりに置かれている家具や古い電化製品を興味深げに眺めはじめた。
「あっ、あれ……」
突然、彼が声を上げたかと思うと、驚いたように目を瞠った。彼の目線の先には祖母が密かに自慢している古い鍵盤楽器があった。
「まさかここにこんな楽器があるなんて……」
彼が椅子から腰を浮かせかけた瞬間、パンケーキセットの乗ったトレイと共に祖母がわたしたちのテーブルにやって来るのが見えた。
「お待たせしました、こゆっくりどうぞ」
祖母が柔らかな笑みを浮かべ身を引こうとすると、彼がおもむろに「あのう……あそこの楽器なんですけど」と問いかけを口にした。
「楽器?」
「……はい。古いローズピアノなんじゃないかと思うんですが、違いますか?」
「あら、よくご存じですね、お若いのに」
祖母が目を丸くすると、彼は「ちょっと近くで見てもいいですか?」と遠慮がちに切りだした。
「どうぞご自由に。なんだったら弾いてみても構いませんよ」
「本当ですか?」
彼の弾んだ口調に、わたしは思わず心の中でガッツポーズをとった。どうやらこの古い楽器が、彼の興味を見事に惹きつけたらしかった。
「本物だ……」
彼は鍵盤にそっと手を伸ばすと突然、速いテンポで何かのメロディーを奏で始めた。
「すごい塚本君、キーボードも弾けるんだ……」
わたしは明らかに初心者ではない弾き方に、パンケーキのことも忘れて思わず聞き入った。
「あら、『ハートに火をつけて』ね。よくこんな古い曲を……ご家族の方が聞いていたのかしら」
聞きなれないメロディーに祖母がいち早く反応したのを見たわたしは、これはすごいあたりを引き当てたかもしれないとわくわくした。祖母が古いロックを好きなのは知っていたが、まさか彼と音楽の趣味が同じだとは思いもしなかった。
「すごいわあなた。びっくりしちゃった。……でもそのくらいにして、温かいうちにパンケーキも召し上がってくださいな」
祖母がやんわりテーブルに戻るよううながすと、彼は「すみません、つい」と照れ笑いのような表情を浮かべた。
演奏の興奮で顔を上気させた彼とテーブルに戻ったわたしは、彼が祖母のパンケーキにどんな反応を見せるかをそれとなく探った。
「あ……本当だ。おいしい」
パンケーキを口に運んだ彼は、即座にそう言った。わたしはピアノを見つけた時と同様、目を輝かせている彼を見てやった、これで最初の接点ができたと心の中でほくそ笑んだ。
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